ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

プロフィールを書くのは微妙なので、とりあえず読んで欲しい記事をここに置いておく。

こんにちわ。

 

以前はプロフィール記事というどうしようも無いものを書いていたのですが、流石に僕のプロフィール何か書いても誰も読まないだろ、という事に気が付きました。

また、自分の事を多く書いたり話したりするのは良くない、と気付かされたんで、読んで欲しい記事をここにまとめて置いておくことにします。

 

naocchi3.hatenablog.com

 

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このブログを読むような人、またはGoogle検索から辿り着いたという人は、あまり友達がいないか、暇か、無職か、かなり変わった人とかだと思います。

お察しします。その気持ち.....。世の中、辛いことの方が多いのかもしれません....。せめて、このブログを読んで、「あぁ、世の中にはこんな人もいるんだ」と思ってくれれば、幸いです。

最近ではコロナウィルスの流行で経済的にかなり苦しい状況になってきています。世の中、どうにもならない事がほとんどなので、適当に生きていきましょう。

スーパーの肉屋つまり社畜として一年経過しての雑感。

こんちわ、なおっちです。スーパーの肉屋、まさに社畜として一年を過ごした元無職ロックンロール。働けというなら、そいつに仕事を持っていけ!

という訳で皆さんお久しぶりです。生きてました。このブログを読みに来るうだつの上がらないピープルの皆さんもお元気でしたか?まぁ元気でもないですかね.....。

という訳で、昨年スーパーの食肉部門に入って一年が経ちました。いやいや、もう大変でしたよmajide。

 

という事で、今回は僕の社畜としての一年を振り返ります。

 

入社~半年。

その前にメンバー紹介。

・部門長

別名C。パートのお局(後述)に抗えない。風見鶏。

・副部門長

元大手小売。何かあるとすぐに「俺元大手〇〇〇〇だから」が口癖。なぜ転職してきたのかは謎。パートのお局(後述)と結託し、腹黒い一面を見せる。ユーチューバーでもある。

・パートのお局

部門のドン。裏で、と言うかほぼ部門を仕切っている。確かに仕事は出来るが、気に入らない人間には容赦ない。Cを使い、その人間を退職に追い込む事も....。とにかく何にでも文句を付ける。

・十年選手

大ベテラン。十数年働いているが、後から来たお局(前述)に主導権を奪われた。お局に終始陰口を叩かれる。

・元ラーメン屋

元ラーメン店勤務。地元の進学校を卒業。地頭の良さを買われ入社するも、その片鱗を見せるには、まだ至っていない。最近ではお局の標的にされ、日々キツい指導を受ける。かつてのなおっち氏のよう。

 

元メンバー

・元自衛隊

入社直後、お局に気に入られるも、前向きな理由から退職。終始、なおっち氏と比べられた。

・パートH

仕事が出来ず、お局の暗躍により、退職。

・モンスターノーフェイス

行く先々でたびたび問題を起こして来たモンスター女。その素行の悪さは市内全体に知れ渡る。資材の配達に来た運送屋から「あの人、気を付けて下さい」と忠告をされるほど。ここでも十年選手とたびたびバトルを繰り広げた。なぜノーフェイスなのかと言うと、あの大ヒット映画の登場人物に似ているから、らしい。

 

はい、どうです?メンバー紹介だけで、かなり濃いでしょwww。そうです、コレが僕の働くスーパーなのだ。他の部門もこうなのかな?では、僕のスーパーの肉屋としての一年を振り返ってみよう。

 

入社して半年

入社してから半年は適応に苦しんだ。僕は入社当初からお局に目を付けられ、毎日のように厳しい、時に罵倒のような指導を受けた。何か気に入らない所、動作があると「おい、何だこれ?」と激しい口撃が飛んできた。それは明らかに気に入らない人間に対する攻撃だった。

一方、元自衛隊は、お局の寵愛を受けていた。「元自衛隊君、今日はこれからやってね」とか、明らかに僕の時と指示の仕方が違う。おいおいコレは明らかな贔屓じゃないか。大人の世界にも、こんな露骨な差別があるのか、と社会の厳しさと「差別はいけない」という教育の空虚さを実感。本音と建前これが世の中の常識なのだ。

お局は他人を使って攻撃を仕掛ける時もある。昨年の夏、部門長別名風見鶏からも刺々しい指導が飛来するようになった。それは間違いなく、お局が仕向けたものだ。Cは何かを聴いても「あ?」とか「あぁそう」など、とてもクール過ぎる態度で僕に接するようになった。挨拶も凄く素っ気ない。あぁ、コレがお局の得意技なのかと、このように何人も退職に追い込んで来たのか、と恐ろしさを身をもって体感した。

 

そのようなお局と風見鶏の、時に熱すぎる指導に必死に耐えていた僕は瀕死状態。そのうち、幸か不幸か、お局から信頼を得ていた元自衛隊君が退職。僕は、その自衛隊君の持っていた仕事を引き継ぐ事に....。ちょうど同じころ、市内にその名を轟かせるモンスター通称「ノーフェイス」が入社。コレが、幸なのか不幸なのか、僕自身の立ち位置にも大きな変化を引き起こすのだ。

 

半年~。

お局の寵愛を受けていた元自衛隊君の退職。そして後にモンスターと呼ばれる通称ノーフェイスの入社により、僕の立ち位置にも変化が訪れた。

自衛隊君の退職後、「元自衛隊君は居ないんだから、お前がしっかりやんないとダメなんだぞ」と、厳しい指導は続いた。そして新人モンスターさんの入社もあって、「あの人に追い越されないように頑張ってね」と嫌味を言われ続けた。それは明らかに、僕はこの場所では長く居られないことを暗に示していた。お局、風見鶏も、僕を早く退職させたかったのだろう。ニート卒業から半年経たずで、僕は再び職探しを始めた。

ノーフェイスは最初こそマトモそうに見えた。しかし、その本性は、意外な場所から明らかとなる。ある日、いつものように資材の搬入に来た運送屋の人間から、衝撃の事実が明かされる。「あの人、気を付けて下さいね.....」。どうやらノーフェイスは、市内のあらゆるスーパーを転々とし、入社しては問題を起こして退職を繰り返していた。思えば、食肉加工会社での勤務経験もあるという事で入社してきたのだが、彼女の技能からは、とてもその実力の片鱗が見えない。それもそのはず、どうやら彼女は経歴を詐称していたらしい。

まず、ノーフェイスとバトルを繰り広げたのは十年選手。十年選手はノーフェイスの過去を何故か知っていたようだ。この僕にも「あの女には気を付けなよ」と忠告をしてきた。お局の陰に隠れていた十年選手も、ここではベテランの意地を見せる。さすがに、そんな問題児を、この店の、この部門に入れるわけにはいかない!という気概が伺える。十年いわく「ノーフェイスは前のスーパーで物を盗んだり、態度が悪すぎて部門長に水の入ったバケツをブン投げられた」らしい。本当かどうか、検証する術を僕は持ち合わせていないが、日々の態度を見ると、それも少しは信憑性を帯びて来た。

 

大魔神お局も、運送会社の人間の言葉を聴いて驚いた。「まさか、あんな問題児だったとは」と。ノーフェイスは食品スーパーでの勤務経験も多数であるにも関わらず、全く使い物にならない事から、お局大魔神の標的は、次第にノーフェイスへとシフト。「忙しい時、アイツいるとイライラするから、なおっち君、この日来れるか?」という期待なのか誰も居ないから仕方なくなのか、そのように頼まれる事も増えた。幸か不幸か、僕は少しだけ、お局の呪いから解放された。これは恐らく、問題児ノーフェイスが巻き起こしてくれた嵐のおかげだった。こう言っては悪いが、僕はノーフェイスに、今でも少し感謝している。

 

部門長はお局に同調した。「なおっち君」と、僕を呼ぶ時のトーンも、少し明るくなった。これで明らかになったのは、部門長はお局が吹かせる風向きの方向に、自分の向きを変える存在であるという事だ。通称、風見鶏。お局の攻撃に耐える僕の姿を見かねた十年選手との間で、彼のあだ名は、「風見鶏」で決まった。彼は部門のトップでありながら、非正規のBBAが操る風向きに支配されるだけの存在に過ぎなかったのだ。

んで、そのノーフェイス。正直言って、僕にとっては全くの無害な存在だった。スーパーを渡り歩いてきたという肩書に能力が似合っていない事を除けば、というかそれすら僕にはどうでも良かったが、ノープロブレムな人間だった。

しかし、ノーフェイスは十年選手とバトルを繰り広げた。ノーフェイスは十年選手からの指示を一切無視。十年選手はノーフェイスとの死闘で精神科に通ったらしい。ある時、生でノーフェイスvs十年選手のバトルを見たが、確かにノーフェイスはかなりのモンスターだった。十年選手の立場だったら、僕も死ぬほど嫌だっただろう。そのうち、ノーフェイスは、お局から激しい叱責を受け、姿を消した。ノーフェイスの退職後、お局は「アイツやっと辞めたな?」と僕に言った。お局の標的は明らかにノーフェイスに向かっていたので、僕に対して吹き荒れていた嵐は、かなり収まっていた。僕は「そうですねー。良かったです」と、風向きに従った。しかし、ノーフェイスの退職後、僕はなぜか寂しささえ覚えた。彼女が皆の攻撃対象になってくれた事で、僕の立場は少し改善された。ノーフェイスの悪口を部門のみんなで言っている時、僕は彼らの中に入れたのだ。彼女が身代わりになってくれた事で自分が救われたという事実が、そこにはあった。

 

さて、問題児の退職で万事解決。と思いきや、今度のお局のターゲットは、何と部門長Cだった。お局は元大手の副部門長とタッグを組み、部門長を攻撃し始めた。お局と副部門長ユーチューバーは以前から気の合う所を見せていたが、遂にタッグを組んだ。嵐は遂に、部門のトップでありながら、お局が操作する風に従順だった風見鶏に対して、吹き荒れる事になったのだwwww。

副部門長は、ある時、Cのことを「空前絶後ポンコツだ」とボソッと僕に呟いた。どうやら以前から、Cの事が気にくわなかったらしい。大手企業から転職してきた彼からすると、物足りなさを感じたのか。それか彼自身も、お局の吹く風に支配されただけなのか。お局は、以前からCの居ない所で、元大手と共にCを小馬鹿にしていた。彼らの性格の悪さが、ジワジワとこの辺から顔を覗かせた。

元大手とお局はCを無視したり、本部の偉い人にCのことをチクったりと、陰湿な攻撃を仕掛けた。確かに素人の僕から見ても、Cは仕事が出来るタイプではないかもしれない。しかし、もう少し大人の話し合いは出来ないものか?

Cに非が無い訳ではない...。パート従業員の風見鶏を演じていたことは、部門長として恥ずべきだろう。お前がしっかりしていれば、こうはなっていないんだから。しかし、僕がそんな事を言える訳もない。そんな彼にも、同情の余地が無い訳ではない。彼は朝から作業場で作業をし、夕方には残業をして、事務作業して帰っているのだ。彼の仕事量は確かに多い。そんな彼がお局と元大手のタッグから攻撃されているのを見ると、何だかやり切れない気持ちにもなった。Cの僕に対するあまりにクールな対応は今でも忘れらないが、それにしても彼は不憫だった。

「なおっち君。何か俺に言いたいこととかある?」とある日の夕方、2人になった作業場で、Cは僕に問うてきた。彼は平静を装っていたが、その眼からは風見鶏の、かつての輝きが失われていた。おそらくCは、相当参っていた。僕は「特にないです」とだけ答えた。それは率直な感想だった。確かに彼のあまりにクールな態度は僕に浅からぬ傷を与えたが、僕も少し大きめのミスをやらかした後だったので、それは仕方が無いという事で自分で決着を付けていた。今更どうでも良い。金さえ貰えれば、誰が云々とか、そんな些細な事に首を突っ込む気はない。学生じゃないんだから、と部門の連中を見下す気にもなった。不満が爆発しないように普段から話し合っておけば良いじゃないか、と彼らの幼稚さに反吐が出た。大人なんて、ただのデカい子供じゃないか。単純にコイツらキモいなぁ、と。

 

年末から年初にかけて、しばらくこのようなギスギスとした感じが続いた。お局と元大手がCの居ない場所で彼を小馬鹿にするのは相変わらずだったが、僕も居ない場所で、こんな風にバカにされている事に気付いた。コイツら全員fuck。みんなタヒね。

 

そのうち、元ラーメン屋くんが入ってきた。心に闇を抱えているとのことだったが、地元の進学校を卒業しているとの事で、その地頭の良さを買われの入社だった。最初こそ飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け抜けていったが、彼が終始ボケっと突っ立ているという理由から、次第にお局の標的に....。彼がお局から激しく怒られている所を見ると、かつての僕を見ているかのようで辛い...。元ラーメン屋くんは決して人間的に崩壊している訳ではないのだが(むしろ崩壊しているのはお局と元大手とC)、確かに彼は使えない。

そのうち、Cは僕の時と同じように、元ラーメン屋くんにクールすぎる対応を見せるようになった。お局と元大手の攻撃を食らって参っていた彼は、一体どこへ?彼はまた風見鶏を始めた。ホントにコイツは学習しない。しかし、お世辞にも仕事が出来るとは言えない彼が生きる道はコレしかないのだ、と彼に同情さえ覚えた。彼は彼なりに、必死に風に乗っているだけなのだから。

 

結局Cとお局の関係はどうなったのかは分からない。今では談笑する姿も見られる。が、彼らは全員が腹が漆黒なので、本当は嫌い合っているのだろう。それくらい、この僕でも理解できる。ホントに、僕が働いている部門は、魑魅魍魎が跋扈しているという表現が当てはまるだろう。

 

さて、曲者強者たちに囲まれた波乱万丈の一年だったが、ここから僕なりに得た知見がある。人間は相対な生き物だ、という事と、人間社会にとって最も大事なのは風向きではないか、という事だ。

 

人間は相対的な生き物だ。この知見は、人間には絶対的な悪の存在なんて理解できない、という所から来ている、「あの人に比べて、まだこの人の方が良い」、「コレに比べたら、あれの方が良い」とか、多くの人間には、知覚できる範囲の物事の比較でしか、善悪を決められないのではないか?と。僕の立場も、比較によって、つまりは相対的な立場によって変化してきた。でも、これは多くの会社などの組織でも同じでは無いだろうか?誰かより仕事ができたら、何となくその人は良く見えるし、誰かより仕事が出来なければ、何となくその人は悪く見える。勉強とか、スポーツとか、容姿とかでも、同じではないか、世の中では比較が行われ、その中で優劣が決まって、風向きが決まるのだ。だから、みんなあの手この手で、周りとの比較に勝とうとするのだ。

 

人間社会にとって最も大事なのは風向きではないか。コレは前述の比較の話と関係しているのだが、人間の組織内では、比較によって風向きが生じる。この風がどのように吹くか、この風をどのように利用するかが、人間社会を生きるキーポイントになる。その場所にいる人間によって、風の向き、風の質が決まる。もし良い風なら、その風を離さない努力が必要だし、悪い風なら、どのように風向きを変えるのかが肝心になる。風向きを変えるのは当人には困難で、不可能なことも多い。だから、場合によっては環境を変える必要もある。風向きは、誰が決めるのか分からないし、どのように決まるのかも分からない。神のような絶対的な存在が決めるのかもしれないし、何となく決まってしまうのかもしれない。誰にもそれは分からない。僕の所はお局大魔神が多くの風向きを決定しているが、それは組織や社会によって様々だろう。

 

所詮、人間は多かれ少なかれ、風に支配される風見鶏的な存在に過ぎない。人は相対的な存在で、風向きに支配される小さな存在でしかない。これが僕のこの一年間で得た雑感だ。だから、みんな、そんなに己を責める事はない。みんな、所詮は人間なんて比較対象で、風向きに支配されるだけの存在だと思ってくれ。そして是非、おのおの頑張って風を味方に付けて生きていって欲しい。

 

会社員、人間関係、そのほか仕事で疲れたら、半沢直樹とか観て勇気と元気と希望を貰いましょう。僕は2013年版の方が好きですね。

 

レールを外れた人間の辛いことシリーズ。

皆さんこんにちわ。なおっちです。お久しぶりです。大学を出て、ニートをして、今はスーパーの肉屋にいる非正規、負け組男性です。お先真っ暗です。

約2年ぶりくらいですかね。皆さんお元気でしたか?僕はスーパーに勤めて2年くらい経ちます。我ながら、よく続いていると思います。最初の方はお局や部門長にイジメられて辛かったですが、紆余曲折あって、どうにか続けてきました。その辺については後日また別の記事で書こうかな。

さて、僕はこの通り社会のレールを外れた人間です。地方の国立大学を出て、就職を決められず、フラフラと世の中の波に呑まれている、彷徨う浪人のような存在です。つい先日、亡くなられた漫画家の先生も、僕は永遠の浪人と言っていましたが、まさにそんな感じです。今回は、そんなレールを外れた人間にしか分からない事を書いていきます。

 

1.周りの目が辛い。

コレはあるあるだと思います。周りが、「コイツはいい歳して何やってんだ?」みたいな目で見てくる時があるんですよ。被害妄想かもしれないけど。

何歳?その歳でこんなこんな事してて大丈夫?大学出てるのに何やってるの?、、、。

そんな事を何回か聞かれます。あ、コイツは俺のことを怪しんでるんだな、て思いますよね。学校を出た男は正社員で働くべき、という固定観念は強いですよね。男は辛いよ。女なら、まだ許されるかもしれないですが。

 

2.交友関係が広がらない。

コレは特に男にあると思うんですが、レールを外れると、友達を作るのを辞めますよね。弱い立場の男が、自分からコミュニケーションを取ろうとは思わないでしょう。人をなるべく避けるようになりました。

当然、彼女なんて作れないですよね。いい歳して非正規のくせに彼女なんて出来ません。高校生大学生じゃないんだから。

でも、これも女なら違うのかな。女は弱くても許されますよね。むしろ弱い人の方が積極的に友達とか彼氏を作る印象です。スーパーのパートBBAたちは、寄せ集まって気持ち悪い噂話に花を咲かせてますよね。アレはキモいですけど、あーやって女は生き延びて来たんだな、という進化論的なものが見えてきます。

 

3.レールに戻るのは難しい。

一回レールを外れると、そこに戻るのはムズいです。僕はバイトに応募しても受からない日々が続きましたね。バイトでもして社会復帰を目指すという試みは、何回も却下されました。これほど辛いことはなかったですね。

何で就職に失敗したからといって、バイトさえ拒否されるのか?こんな社会なら無くなってしまえ、と何回思ったことか。働けと言うなら、俺に仕事をもってこい!

落とされた会社の事は今でも恨んでます。もし僕が失うものが無くなったら、仕返しするかもしれないですね。日本という国の悪いところを、嫌というほど思い知らされました。この国は、一回落ちると辛いですよ。

 

4.同窓会に行けない

レールを外れてると、負い目を感じて、知り合いに会えなくなります。僕はもともと地元に友達とかいないので良いですが。

 

5.周りの人の流れから置いていかれる

当然、レールにいる人は、どんどん前に進んでいきます。会社に入って、昇進して、結婚して、とイベントを消化していきます。コレが世間一般でいう普通の人になるわけです。レールから外れると、普通の人になるのが難しくなるんです。そこに戻ってくるには並大抵の努力では無理でしょう。まさに孤独死予備軍ですね。

 

6.毎日の「自分は何やってるんだろ?」感

一番大きいのはコレですね。毎日、自分は何をやっているだって自己嫌悪に陥ってしまいます。

特に朝は地獄です。またスーパーで下らない非正規労働をするために、起きて、歩いて行かなければならない。コレが辛いんですよ。休みの日はコレがないだけ楽です。

 

レールから外れない為にはどうしたらいいか?

では、レールから外れて辛い人生を送らない為には、どうしたら良いのでしょうか?

答えは、とにかく就職することです。業界、職種とか何でもいいので、とにかく正社員で働くという選択をしてください。

就職活動が上手く行かないなら、学校のキャリアセンターとか頼って下さい。求人とか色々と教えてくれますから。僕みたいに上手く行かないからヤケクソになってると、人生詰みます。

とにかく正社員になるというのが大切です。僕がいる食品スーパーでも、社員と非正規の扱いは全く違います。非正規の特に男は人間扱いされません(半分マジ)。何処でも良いから、正社員になってください。もし合わなければ、それから転職でもすれば良いです。

 

非正規の毎日は糞です。皆さんは、なるべく正社員として、そんなものとは無縁な生活を送ってください。読者の皆さんの幸福を祈っております。

『教誨師』 聖職者とは何か?を問う。

こんにちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒す、スーパーの肉屋。正真正銘の社畜ですww。

 

この前はこんな映画を観ました。

教誨師

教誨師

  • 発売日: 2019/04/02
  • メディア: Prime Video
 

 

大杉漣って役者を知らない人もいますでしょうね。亡くなって3年経ちましたから。今の人は誰って感じでしょう.....。言い役者だったんですよ~。もっと見たかったですね。

 

現場者 300の顔をもつ男 (文春文庫)

現場者 300の顔をもつ男 (文春文庫)

  • 作者:大杉漣
  • 発売日: 2018/09/04
  • メディア: 文庫
 

 

大杉漣: あるがままに (文藝別冊)

大杉漣: あるがままに (文藝別冊)

  • 発売日: 2020/05/19
  • メディア: ムック
 

 

死刑囚と拘置所でお話をする教誨師プロテスタントの牧師)の映画です。拘置所内で、死刑囚と教誨師の佐伯(大杉漣)の間で行われる会話を中心に、終始ストーリーは進行します。

 

初めの方はしょうもない会話がダラダラと続くだけです。死刑囚のような悪い人でも普通の所はあって、という所でしょうか。

問題は中盤あたりに出て来る高宮という理屈っぽい男です。他の死刑囚とは違い、この男は社会や歴史に関する知識を少なからず持っています。彼は彼なりの独特の正義感を持っています。彼は社会を良くしたくて、生きていてもどうしようもない人間たちを殺してきて、死刑になり、拘置所にやってきました。当然、聖職者の佐伯にも疑いを向けます。面倒な質問で、佐伯を追い込む非常に面倒な男です。佐伯は彼の問にうろたえます。

 

高宮などの死刑囚たちと会話を重ねていくうち、佐伯は自身の過去について語り始めます。佐伯にも罪深い過去があります。そして素の佐伯という人間が現れます。結局は佐伯自身が一番救いたかったのは、自分だったのかもしれません。

ラストシーンは強烈です。それまで、罪深い過去を背負っていたとはいえ、教誨師として役割を果たして来た佐伯ですが、やはり彼も結局は、単なる人間でしかなかった、と言うべきでしょうか.....。

 

僕が思うに、教誨師あるいは大きな括りで言うところの「聖職者」は、職業なのではないか。神の意思を良く理解して世界に広める人がいても良いです。何か救いがないと、人間は生きていけません。実際、宗教は良くも悪くも人類に対して大きな役割を果たしてきました。でも、実際、100%神聖な人間なんて当然ながらいなくて、結局はどこかで使い分けているのでしょう。肉魚だって食いたくなる時はあるし、生殖本能だって消える事はないでしょう。

 

仏教の坊さんは修行をして煩悩(欲求や執着心)を取り除くと言われますが、虚勢でもしない限り、そんな事は科学的に不可能です。もちろん宗教は科学とは少し別ですが。プロテスタントの牧師だって同じでしょう。神やイエス様のことを理解しているとはいえ、彼らは人間です。デカルトの「神の存在証明」という有名な理論があるのですが、牧師というのが神を前提にしているのなら、逆に聖職者は人間ですから、完璧ではあり得ません。つまり性欲もありますし肉も食います。だから、結局それは役割や職業でしかない、という事になります。

 

坊さんも神父も牧師も、結局はサービス業なのではないでしょうか。と言ってしまうと、それらは神聖な存在ではなくなってしまうので、俗で生きる人間たちはどうやって救いを求めればよいのでしょうか。難しいですね。聖職者は人間そのものなのか、それとも単なる職業に過ぎないのか。それとも世の中の人は、そんな事は分かっているけど、それについて突っ込むのはタブーなので、あえて言わないだけかもしれないですね。大人の事情というのはそういうものでしょうか。故に神聖というのかもしれないですね。しかし、どんな聖職者も「最も救いたいのは自分」なのは確かでしょう。じゃないと、そんな事しないでしょうし...。

 

大杉連は良い役者さんでしたね。大杉連という役者を通して、聖職者は人間そのものか、それとも単なる「役割」なのかを問う映画です。

 

教誨師

教誨師

  • 発売日: 2019/04/02
  • メディア: Prime Video
 

 

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映画『ミナリ』 そういうものに私はなりたい。

こんにちわ、なおっちです。

無職ロックンロール~社畜ロックンロール。現在はスーパーで肉を切ってます。まさに社畜ですね。

 

という訳で『ミナリ』を見てきました。『ノマドランド』に続いてアカデミー賞候補作の鑑賞です。

映画『ミナリ』公式サイト

映画『ミナリ』公式サイト

 

アメリカのアーカンソー州にやってきた韓国系の移民ファミリーが、農業で一発あてようと奮闘する物語です。

 

今年のアカデミー賞では、『ノマドランド』が作品賞をとりました。『ノマドランド』は職を失った女がキャンピングカーで移動しながら、その日暮らしをする話です。人間とは何か?的なテーマを含んだ作品でありました。人が生きる上で大切なことは?と思い立ったら、観てみましょう。

 

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ノマド 漂流する高齢労働者たち
 

 

そんで、本作『ミナリ』は、アメリカのカントリーサイドに移住してきたアジア系家族のストーリーです。

 

『ミナリ』とは芹(セリ)の意味で、セリは何処にでも生えているらしいです。冒頭でファミリーの婆さんが、芹の優秀さを孫のデビッドに説明します。

確かに農作物として良いものは他にもあります。トマト、ニンジン、レタス、キャベツ、などなど、日常的に消費されているものは、このような物です。あくまでセリはマイナーな存在です。

しかし、それらは育てるために適切な環境があります。何処でも育つ訳ではないです。時にビニールハウスなど、特殊な養育環境を必要とします。つまり、それは弱いのです。ミナリ(セリ)は、その反対の強さの例え(メタファ)として用いられています。

 

移民ファミリーに強烈な試練や悲劇が待っていた....ていう訳でもなく。移民だからといって差別に遭うわけでもなければ、凄惨な事件に巻き込まれるでもないです。むしろ回りの人間たちは移民ファミリーに親切に接します。物語はわりと淡々と進みます。これは本当にありそうな、リアルな日常の表現に徹していますね。こういうテイストの映画では、誇張しすぎるのは良くないということを踏まえています。

 

しかし、ファミリーが経営していた農業は行き詰まります。水が出ない、取引先が見当たらないなどの困難に直面し、それもあってか父親と母親の喧嘩が絶えません。だから、夫婦ともに養鶏場で細々と働くのですが、父は成功してBIGになることを夢見て渡米してきたわけです。それに納得いくわけがなく、徐々に夫婦に亀裂が生じます。

 

これをどのように乗り越えるのか、または耐えるのかは観てのお楽しみだとして、やはり本作は『ノマドランド』と似ています。『ミナリ』は、アメリカに移住して一から農業を始める家族の話です。『ノマドランド』も、失業した人間が旅に出て人生をやり直す話です。前者は定住生活者で、後者は遊牧民つまり移住生活者で、そこに違いはあれど、本質的な「全てを捨ててきた状態」あるいは「全てを失った状態」つまり「何もない状態」から人生を始める、という所は共通しています。何も無い状態で、人間がどうにかして生きていく様を表現している、という訳です。

 

都市部あるいは郊外での生活に慣れている人々には、そもそもこういう生活は奇異なものに見えるかもしれないですね。しかし、そもそも人間とはこういうものだったのですよ。人類の、移住しながら生活して、定住を覚え....という過程では、おそらくこんな感じだったんじゃないかな....と個人的には思っています。つまり人間の本当の姿は、『ミナリ』や『ノマドランド』みたいな状態なんじゃないか、と。ゆえに、人間がどう生きれば良いのか、という問いに、この二作は非常に良いヒントをくれるでしょうね。

技術を発達させた人類が、今度は自分たちより遥かに賢い人間やマシンを開発し、実際に運用しようとしています。そこで、いったん基本に戻り、「我々はどこから来て、何者で、何処へいくのか?」という人類の一番の謎に、そろそろ取り組む時が来ているのかもしれないですね..。この2作の流行は、それを反映しています。

 

最後に『ミナリ』は、おそらく賢治の「雨にも負けず」という事だと思います。この詩を引用しておきましょう。ちなみに僕は賢治が好きでもないし、興味もないです。

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

参照:宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕

 

つまり、どこに行っても逞しく生えるミナリ(セリ)の様子が、賢治の詩と重なる訳です。ラストのシーンで少し残念なことが起こりますが、ファミリーのミナリのような姿が見えるでしょう。

 

本作、主人公はどうやら婆さんらしいですね。エンドロールでも「全ての婆さんに」とあります。

 

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あえてレールから外れる逆転の無職論。

こんちわ、なおっちです。約4年に渡って無職ロックンロールを叫び続けた26歳。

という訳で働き始めました。スーパーで肉を切ってます。

 

仕事を初めて気づいたのは、働くって素晴らしい、ということ。別に大した仕事じゃないけど、労働力を提供して金を貰うことに悪いことなんて一つもないのです。別に大した仕事じゃないけど、仕事を終えた後、休みの日に何処かに行くとき、全てに於いて無職期間の時より幸福度が高いです。

 

ここから得た教訓がある。人間は一度、無職になるべきだ。

 

これはあくまで個人の感想だ。でも無職を経験して得られるものは多い。無職とはつまり、自分に何もない状態。仕事、金、人間関係、責任など、無職の人間には縁もない。あるのは自分というあまりに無力な存在だけだ。そんな自分という存在を受け入れ、ただただ考える。そうすることで、自分という存在以外に何もない、という状態に慣れ、「自分には最低限何が必要で、何があれば満足出来るのか?」という問の答え(らしきもの)に到達できる。

 

もちろん、その問いに1+1=2のような絶対的な答えはない。あくまで答えらしきものしかない。見方によっては宗教のようだとか言われるかもしれない。しかし、自分という器の中に何を詰めるかという問を立て、暫定的な答えらしきものを導きだすことは、下手をすると人間にとっては何より重要なのだ。自分という器は無限ではない。あらゆる物事には限度がある。何でも入れられる訳ではない。何かを入れたら、何かを入れられないかもしれない。それを選ばなければいけない。そこに何を入れたら良いのかを知れるのは自分しかいない。それを他人に決めて貰うことは出来ない。

 

残念ながら、人生でその問いについて考えられる時間はあまり多くない。学校では部活をしろ勉強をしろと言われ、ゆっくりと思考する暇は与えられない。そのまま社会に出て、忙しさに忙殺され、いざ我に帰ったときに、「さて自分は何をしているんだ?何がしたいんだ?」と答のない問に為す術なく立ち尽くしてしまう....。

 

例えば、学校を出て証券会社に就職したとする。言っては悪いが、証券会社が売ってる商品は怪しい。一説によると、儲かる望みが薄い商品を無理にでも売り付けようとするらしい。成果のでない部下に対しては四季報を投げる、椅子を蹴るなどの指導がされるらしい(これも一説によるとで、はあるが)。

そもそも株式などに詳しいなら自分で運用すれば良い。今時ネット証券があるから、客から金を預かって運用する必要はない。バフェットは証券会社で営業してるのか?違うだろ。

んで、そんな場所で働いて消耗して、果たしてそれは何になるのか?世の中に仕事なんて沢山あるなか、証券会社の仕事をする必要はあるのか?僕に言わせると、多くの証券マンの仕事は、無くても困らない。必死に営業してやっとの思いで金をかき集めて、その金を運用してる時点で、その仕事の価値は薄い。本当に価値のあるものに対しては、客は自ら足を運ぶなり自分で調べるなどして買いにいくものだ。食料品をスーパーやコンビニに買いにいくのと同じだ。本当に必要なら客は自分から買いにいく。

もちろん全ての証券会社や証券マンに価値がないと言っているわけではない。優秀な会社やファンドマネージャーは世の中に存在する。しかし多くない。世の中の大半の人は金持ちではなく、そんな人達から金をかき集めようとしている事から、それは明らかだろう。貧乏人に儲け話はこない。 

そんな証券会社のような場所で消耗していく人間は、果たして本当に証券に拘る必要はあるのだろうか?たぶん、ない。世の中ほかに仕事はあるからだ。でも何でか、ブラック企業で消耗してしまう人はいるのだ。なぜか?その人は、きっと「自分には何が必要か?」という答のない問いに対峙したことがないのではないか?だから、何か分からないけど、とりあえず詰め込んでいる、という状態になっているのではないか?

 

人間はうまれた段階で何をすべきかなど決まっていない。つまり人間には本来的に何も備わっていない。これが人間の本当の姿だ。だから本来の何もない状態から、自分には何が必要で、何を身に付けていく必要があるのか?を考えなければいけない。これが答のない問いだ。

 

残念ながら学校ではその問いに対して答えどころかヒントすら与えてくれない。受験科目には当然ながら答えが用意されているし、何より学校では教員という絶対的な答えが存在している。教員の言うことをやることが、学校では正しい。それゆえ学校は答のある問題を解くことを訓練する場所だ。学校という中途半端な環境に包摂された状態では、自分には何もない状態で考えることが、できる訳がないのだ。もちろん学校を否定するわけではないが。

 

だから、人は一回は無職になるべきだ。中途半端に何かに包摂された状態で、自分の器に何を入れたら良いのかという深い問に立ち向かえない。その問に対峙できるのは何もない自分だけだ。学校を卒業し、本来の何もないつまり無職という状態に立ち戻って、最低限自分には何が必要かを考える。じゃないと、中途半端に何かを詰め込んで、振り返ってみて自分の気に入ったものは何も残らなかった、という事になりかねない。話しは少し逸れるがコストパフォーマンスで物事を考えると、中途半端で何も心に残らないことになる。

 

もちろん無職になれない人間もいる。「自分という有限な器に何を入れるか?」なんて贅沢な問題について考えるほど豊かではない、という人だって、間違いなくいる。そういう人は、まずは働いて金を作ってから、少し無職になれば良い。働くことつまり会社に勤めるということの答は「利益を出す」という答えがあるし、「答えがある」という意味で学校のテストなど大きな違いはない。

 

しかし自分には何が必要なのか?に答はない。あるとしても人によって違う。誰かが教えてくれることはないし、誰かが答えをくれたとしても、それで自分が満足することはない。そこで、中途半端に何かに囲まれた状態から離れ、「本当に何もない自分」に戻って考える必要があるだろう。そこからしか、"答え"は出てこないだろう。

 

残念ながら人生は有限だ。なんでも詰め込める訳ではない。だから、最低限なにがあれば良いのかを考えて、こんなはずではなかった、という最悪なことにならないで欲しい、と。僕は無職を経験して良かったと思っている。流石に4年は長過ぎだが。自分でも社会復帰にここまでかかると思わなかった....。

 

あえてレールから外れる逆転の無職論。人間に足りないのは、もしかしたら、この精神かもしれない。

 

ちなみに、この記事は、この本から着想を得ています。

映画『ノマドランド』 ノマド生活は楽ではなく、むしろタフさや覚悟が求められる。

こんにちわ、なおっちです。無職ロックンロール→社畜ロックンロールもどき→無職ロックンロール→今度こそ社畜ロックンロールを行き来している26歳。

 

という訳で、バイトの面接に受かった日に勢いで『ノマドランド』を観てきました。チラシの写真がカッコイイですね。

 

 原作本はコチラ。

ノマド 漂流する高齢労働者たち
 

 

リーマンショックの影響で会社を解雇された女が、キャンピングカー一台と最低限の持ち物でノマド遊牧民)的な移住生活を開始するというストーリーです。

 

リーマンショックで労働者のファーンは解雇され、家も失います。そこでバン一台と生活道具で旅に出ながら生活していく姿が、凄く逞しいです。

と言うか、ノマド生活というのは、タフでないと絶対に出来ないでょう、と思いました。

 

ファーンはバンで移動しながら、所々で日銭を稼ぐ労働を見つけて働きます。住居は車なので寒いし暑いし、ウンコも車の中でしますから、臭いです。

さらに行く先々で、その土地の人々(移住者)たちと、上手く関わっていかないといけません。移住生活とは言え、ファーンのような人間たちは少ないくないです。移住者たちのキャンプ的な場所では、爺さん婆さん、そのほか色んな人達が生活しています。当然、そこで生まれる人間関係もあり、それに彼女は上手く対応していきます。

ノマドは自由気ままで、煩わしい人間関係とは無縁と考えていてはいけません。僕はそう考えていたのですが。そこで生まれる軋轢や、逆に絆というモノに、またノマドの味わいを感じます。

例えば、ファーンは車のタイヤがパンクしてしまいます。彼女は自分で治す術を知らなかったので、その辺のオバサンに聴きにいきます。普通はオートバックスとかイエローハットとかに行って交換するかもしれないですが、そうはいきません。彼女はノマドですから。まず誰かに聞きに行くことをしなければいけないです。彼女は他人から助けれ貰いやすい人柄で、そういう所もノマドには必要なのでしょう。そこも彼女のタフさです。やはりノマドは、普通の定住者よりも、コミュ力が物を言うかもしれないですね。

 

前にも書きましたが、ファーンは日銭を稼ぐために、短期間の労働に出向きます、アマゾンの倉庫とか、国立公園の清掃などの季節労働をすることで、必要な金を稼ぎます。移住生活とはいえ、資本主義や貨幣経済のロジックから100%逃れられる訳ではないので、この辺にも難しさがある訳です。上手く折り合い付けながら、生活しなければいけないのです。彼女は周りと上手く協調しながら、上手く生きていきます。この辺からも逞しさが求められるのが分かるはずです?

 

この移住者同士の人間関係というのも本作のキーワードの一つです。移住者の先輩爺さんは「ノマドにさようならはない」と言います。あるのは「またどこかで」だけだと。コレも移住社会ならではです。定住社会だと「あそこの誰々が死んだ」と葬式とか様々なものに追われます。しかし、そもそも家を持たなければ、そういう事にはなりません。生き死に執着せず、死ですら旅の一つである、というノマドの精神を感じますね。でも僕は人間は本来それで良いと思います。誰かが死ぬことは当たり前だから、別に騒ぐことでもないし、大げさに葬式をする必要もない。それが本来の人間ではないかと。少し話は逸れましたが。

 

最後の方にいくと、彼女が定住者に戻るのか.....という案件が発生します。彼女はやはり定住にも揺れますが.....。彼女はどちらを選ぶのでしょうかね。彼女の生き方が問題になります。煉獄さんみたいですが、彼女が如何に生半可でノマドをしていないかが分かるでしょう。ノマドとしてのタフさ逞しさ、覚悟が伝わってきます。

 

 

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映画『凪待ち』感想 サスペンスなのに何で犯人の動機に触れない?

こんちわ、なおっちです。

『凪待ち』を見ました。白石監督の映画です。

凪待ち

凪待ち

  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: Prime Video
 

 

他には『凶悪』とか『彼女が知らない.....』とかが有名ですね。面白いっすよ。

凶悪

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  • 発売日: 2014/04/25
  • メディア: Prime Video
 
彼女がその名を知らない鳥たち

彼女がその名を知らない鳥たち

  • 発売日: 2018/04/25
  • メディア: Prime Video
 

 

『凪待ち』は、ギャンブル好きの男が交際中の女と石巻で人生をやり直そうとするが、まさかの事件が起こり...という話です。

 

主人公の男は川崎で印刷会社で働いていましたが、その会社も解雇になり、石巻で彼女である亜弓の実家で印刷所で働きながら再起を目指します。地方の人間というのは村社会なので、ネチネチと鬱陶しい粘着質な連中です。地元の教員の男は、東京(正確には川崎)からやって来た郁男に、亜弓と付き合っていることをネチネチと弄られます。この教員の男は亜弓に気があったように見えます。過去の人間関係を何時までも引っ張るような陰湿な感じは、やはり地方ならではです。僕は地方の人間なので、そういうのは凄く分かってしまいます。

でも、最初は真面目に働いて、周りの人も助けてくれたりで、上手く行きそうでした。

しかし、悪い仲間とフラっと寄った居酒屋で、またもギャンブルにハマってしまいます。バーでヤクザ風の人が運営している、賭博みたい場所です。まぁ良いです。大体こういう男のクセは治りません。人間とはこういうものです。

それだけならまだいいです。しかし、ここで事件が起こります。何と彼女の亜弓が何者かに殺害されます。原因は郁男が夜中にクルマに乗っていた亜弓を喧嘩が原因で降ろしてしまったことです。

 

えええ...。せっかく上手く行き始めていた郁男の人生が、再び狂い始めます。しかも、何と警察から容疑をかけられます。また、会社の人間からある事ない事を言いふらされ、会社でトラブルまで....。完全に、郁男の人生は狂っていきます。

 

ここまで凄く面白いんです。人間の汚さを表現するのが上手い白石和彌は、やはり凄いなぁと思いましたよ。ここまでは...。

 

この後、真犯人が捕まるんですけど、何で亜弓を殺したのか、全く触れられないんですよね。えええ、そこ重要でしょうよ...。

しかも話の本筋ではない郁男のギャンブル物語が加速していきます。亜弓の死後、辞めたはずのギャンブルに更にハマっていくし、何故かスゲェ賭けに出て勝って、しかしヤクザに金を持ち逃げされて..。いやいや、ギャンブルはしない亜弓との約束守れよ。おまえ何も反省してないじゃん...。て言うか、亜弓の殺害理由が明らかになれない時点で白けて、どうでも良いですね。その後も亜弓の親父の船の話とかが出てくるんですが、どうでも良いです。

 

せっかく役者は良かったのに、話も途中まで面白かったのに、どうしてこういう中途半端なものを作ってしまうのかな。白石和彌らしくない...。

そう言えば、問題を起こしても郁男にはスグに仕事が見つかるのは何ででしょうか?僕は特に何も問題は起こしていないのに、面接を受けても不採用ばかりで、何でギャンブル依存でヒモで問題を起こして殺人の容疑までかけられる郁男は仕事に困らないのか?見ていて全く共感できないっすwww。

せめて犯人の動機さえしっかり明らかになるか、最後に無惨にも郁男が殺されて後味悪いラストになれば、良い作品だったのですが....。まぁ本作は駄作ということですな。

 

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