ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

3月11日が来るたびに同情を求めて来る風潮が嫌いです。

初めに言っておくが、この記事の内容は震災の悲惨さをポエムっぽく表現するものでは無い。むしろ、被害に遭った人や、近親者などを無くした人からすると、少し不快に思う人も居るかもしれない。

ただ、僕も一応その近くに住んでいて、かなり不便な思いをした。その立場から、このような内容の記事を書かせてほしい..。

 

また今年もこの日がやって来た。

冬の寒さがまだ残っているけど、どこか埃っぽくて春の匂いがする。

東北の3月はそんなものだ。そして、8年前のあの日も同じだった。微妙な明るさと、砂埃や花粉が混じった匂い、春を喜ぶには少し早い寒さがあった。

僕が住んでいた地域では、午前中は晴れ、午後は微妙な曇り空となっていた。

実家から少し離れた高校に電車で通っていた僕は、部活動のために春休みでも学校のある場所まで来ていた。

 

まだ雪が残っていたので体育館で練習をした。少し変わり者の指導者の下、その日も少し理解に苦しむ練習で混乱したような気がする。

その日の前、僕はそんなに仲良く無かった、当時の高校一年生のクラスの集まりに行っていた。まぁ同じ部活の人間もいたし、そこそこ面白くはあったが、そのあと彼らとは遊んだりはしていない。

その翌日、部活が終わった僕は、同じクラスの人間ともう一度カラオケに行くことになった。

当時歌っていたのは、今見ると「あぁ懐かしいなぁ....」と思う楽曲ばかりだ。それらの曲のMVを見ても、「あぁ昔だな」って思えるのだ。衣装やメイク、撮影セットなどを観て、時代を感じることは誰でも一回くらいはあるだろう。

居酒屋や定食屋で、アサヒビールのイメージガールが水着姿にビールを持っているポスターを貼っているのをよく見かけるが、まさにあんな感じだ。「あぁ昔だな」。当時、僕たちが歌っていた曲は、8年の月日が、すっかり風化させてしまったようだ。

しかし、一方で、8年という月日は、僕の中ではあっという間、つまり大したモノでは無かった。その間に色んな事が変わってしまったのだ。言うならば、僕は時間に取り残されたのだ。

僕が何となく時を過ごした一方で、社会は常に針を回し続け、時を刻み、当時の出来事を置き去りにしてしまったのだ。時間というモノの残酷さをここまで感じる事は無い。世の中は残酷にも進化し続け、当時の流行っていたモノなんて、今は跡形もなく消えようとしている。

 

しかし、自分の中では短かった8年間だったが、記憶というモノはあまり長続きしないらしい。

その間に就職失敗とか色々あった僕は、既にその時の事を上手く思い出せなくなってしまった。少なくとも、100%正確なその時の状況は、もう頭には残っていない..。あるのは断片的な内容の曖昧なモノだけだ。

 

自分の中では最近の出来事だと思っていても、記憶は経過した月日の長さを正確に示していた。

時間の流れと自分の間にギャップを感じたら、まずは当時の記憶の探ってみると良い。瞬時に当時の事を、ある程度正確に思い出せなかったら、それは経過した時間が長い事を示している。

自分が「あれは最近の事で...」なんて言っても、記憶という第三者は冷静に判断を下す。「それは違う。お前がそう思っている、そう思いたいだけだ」と告げるのだ。

それに抗っても、あまり意味はない。それほど記憶というのは、8年の長い間に進化しない僕に、正確かつ客観的に経過した時間の長さを教えてくれた。あぁ無情無情...。

 

そのカラオケの最中に、ついに事は起こった。ある人間の歌唱中、ある人間の携帯電話から、危機感を煽る、あまりに不快な音が鳴り響いた。

当時は折り畳み式の「ガラケー」が主体だったのだが、聞いた瞬間に自分の耳を疑うような、胸からゾクッとする音...。あれはスマートフォンになってからでも変わらないようだ。

その音が鳴り、数秒後、地鳴りのような「ごごごごぉぉ~」という僅かな音がした。その後、いきなり大きな揺れに見舞われた。

カラオケ店の天井からは埃がズザザ~と流れ落ちて来た。おそらく建物を構成していたコンクリート地震によって擦れて落ちて来たのだろう。それだけで、この地震の大きさは何となく分かった。コレは大変だぞ、と。

 

店員の「早く出て~」という悲痛な叫びが聞こえていた。女性の店員の声だ。そのカラオケ店の店員は見た目も振る舞いも褒められたものでは無かった。愛想というのはほんの申し訳程度、弁当のおかずの下に敷いてあるパスタにも及ばないレベルの、そういう人間だった。

そんな彼女たちが、大声で「早く出て」と、自動ドアを必死に抑えながら叫んでいるのを見ると、僕は「コレまたヤバい事態だな」と事の大きさを実感した。

彼女たちの表情に、人を馬鹿にしたり騙したりするような意図は感じられない。客の中には、震度6の地震があっても、ヘラヘラしてスグに逃げない人間も居たため、彼女たちも感情的になったのかもしれない。

擦れた女が、必死に助けを求めるようでもあった。僕は彼女たちを見て、とりあえず外に出ることにした。走ってカラオケ店の外に出た。

 

外に出ると、わずかに看板や建物、クルマ揺れているのを確認した。県庁所在地では無いものの、国道沿いで、チェーンのファミレスやファストフード、ブラック労働で知られるアパレル店などがあったため、建物が崩れたり、看板が落ちて来る心配も少しはあった。

 

周りからは叫んだり怖がる声も聞こえて来たが、僕はあまり騒ぐ気にはなれなかった。騒いだ所で災害は止めようがないし、復旧が進む訳でも無かった。

むしろ、被害状況などが聞こえずらくなる事もあるし、僕らが騒ぐ事は意味がないのだ。それに僕は騒がしいのがあまり好きでは無い。どちらかと言うと大人しく目立たない事をしていたかった。そこには、まぁどうにかなるだろう、という楽観的な期待も含まれていた。

 

しかし、その期待は木端微塵となって裏切られる事になる...。

いつまでも復旧しない電気、動かない電車....。足止めを食らった僕は、駅で運行再開の連絡を待ったが、一向にその気配すら感じない。

カラオケを切り上げて数時間。結局、僕は帰る手段すらなく、自転車で帰る決断をする。変速機の無いママチャリで、20キロ先の家路を自転車で目指すことにした。

11日は3月にしては冷え込む日だった。日が暮れると雪が降りだし、部活のダサいジャージ姿の僕を、刺すような寒さが襲った。

アップダウンの激しい国道を走る。時々、寒さで足が動きずらくなっても、手が凍りそうになっても、僕はチェーンを動かして車輪を回す行為をやめない。ただ、そこには、少しでも早く暖かい所に行きたいという気持ちがあった。

僕が住む街につくと、街灯は消えていた。田舎出身の僕でも、コンビニと信号の明かりが消えた所を観たことが無い。どんなに遅い時間でも、何らかの明かりが点いていて、「僕はまだ活動していますよ」と、道行く人の心を少しでも安心させるモノだと思っていた。

しかし、その時は、その僅かな灯さえもも無く、僕はこの世界にただ一人だけ残されたんでは、という不安感に襲われた。ゾンビ映画で街が壊滅的な状況になるシーンがあるが、それとも少し違う感覚だった。何もなく、一瞬にして社会が活動を停めた感じだった。

 

家の最も近くにあるコンビニ(直線距離で500mくらい)に立ち寄ったが、そこでも店の明かりは無かった。店員が電卓を打って、商品を販売していた。

カップラーメンなどのスグに食べられるモノは棚にはほとんど無かった。韓国産の辛いラーメンだけが残っていたが、災害時には辛いモノを敬遠する傾向が人間にはあるのかもしれない。

 

家に着いたのが午後8時。学校の最寄り駅を出て、約2時間。20キロの距離を自転車で移動すると、平均的な所要時間は大体それくらいで落ち着くだろう。個人差はあるが、チャレンジしたい人はぜひ試してもらいたい。

 

家に着いても、僕が期待していた暖かさは皆無だった。冷え切った玄関には何も無い。僕はかなり空腹を感じていたので、棚にあったとんがりコーンを食べて、それを凌いだ。携帯電話を見ると、僕の身を案じた親からの着信が入っていたが、雪降るアップダウンの激しい国道を20キロ走っていた僕に、それに応対する余裕は無かった。

記憶が曖昧になって、社会と自分の距離がどんどん出来ても、あの時の記憶は、今でもわりと正確に思いだせる。自分でも、アレはよくやったと今でも思っている。

 

さてさて、家でも電気が止まったので、僕は震災の被害の状況を、2~3日後に目にする事になる。

ラジオでは津波が襲ったとか、そんな情報が入ってきた。津波なんて、まぁ少し街が浸水する程度だろうと思っていたが、テレビでやっていたのは想像をはるかに超える状況だった。リアルで津波の被害を観たのは始めだった。

意外にも、電気が通っていた関東や関西以西の地域だと、震災の津波をリアルタイムでテレビで見られたらしい。何とも皮肉な話だ。近くの人間ほど、その情報に触れられないとは...。

当時は「〇〇が〇〇らしい」という人づてに情報が流れてきたりで、それが正確なのか間違っているのかを検証するコストが掛かる。電気もなく、ネットも遮断された時、情報を精査することは恐ろしく難しい。

幸いにも水は出たしガスも付いたので、僕は20キロの道のりを自転車で、寒い想いをして走ってきたくらいで済んだ。家の水とガスが止まっていたら、どうなっていたか分からない。

 

被災の状況は悲惨だ。それに疑いは無い。しかし、復興も進んでいるんだか分からない。

少し話は逸れるが、復興の名の下に開催する東京オリンピックも来年に迫ってきた。とても復興に繋がるとは思えないのは僕だけだろうか?

東京でオリンピックをやるのは良い。しかし、国のお金も使って1兆円くらいの赤字を見込んでいるという。そのうえ、本来は復興に必要な人材が、オリンピックの施設を整備するために使われているという話もあるらしい..。

僕は反政府論者でもないし、政府ベッタリの人間でもない。いわゆるノンポリと言われるポジションの人間だ。開催するのは勝手だし、華やかで面白いモノでもあるのは分かる。

が、それを「復興五輪」と銘打って、果たして良いモノか?やるにしても、ムリなこじつけは辞めてもらいたい。

進んでいるのか進める気が無いのか分からない被災地の復興...。真面目に復興させたいなら、オリンピックではなくそちらにリソースを割くだろう。要は、東北の田舎など、まぁ二の次だという事だ。

それも、政府としては合理的に国を経営していく手段なのだから、仕方が無いのかもしれない。別にオリンピックにも政府の方針にも、文句を言う気はない。会社で言うと、採算部門にお金と人材を割くのは正しい事とされる。

そして、不採算部門にお金を使うのは、良い経営からは逸脱しているとされる。国と株式会社を同列に扱うのはムリがあるが、「組織の運営」的には、儲かる所にコストを割くのが効果的なのは言うまでもない。

 

しかし、そんな中で、未だに、「震災についてどう思うんだ?」と強気に尋ねて来る輩がいる。僕はこの事に物凄い違和感と疑問を覚えるのだ。

どう思っているのかと聞かれても、大学を出ても職に就けないような僕には、せいぜい「悲惨だし、早急に復興される事を願っています」としか言えない。

僕がお金をつぎ込んで復興を進める事は出来ないし、祈った所で何かが前に進む訳でも無い。それは政府だったり行政の人間たちが行う事である。または影響力のある著名人などが、その気があれば取り組めば良い事だ。

政府が復興を進める気があるのか不明な状況で、一般人に強気にそれを聞いても、意味がない事くらいは、20年ほど生きていれば分かるはずだ。

 

そして、僕の毎日は、現在もあまり面白くないものだ。高校に在学中もフラフラと歩いて、何となく生きて来た。大学に入ると、普通に単位は取って卒業はしたものの、就職という高い壁を突破できなかった。そして、震災の有無にかかわらず、僕の毎日に変わりはない。

そんな冴えない境遇の一般人に、震災の被害について同情を求めるのは辞めて欲しい。それはホームレスの人間に、議員の裏金問題を尋ねるようなものだ。

 

震災について議論したい人は、ぜひ中央省庁の役人や、自民党の人間を捕まえて「お前は震災についてどう思うんだ?」と聞いてみれば良い。その方が明らかに有意義な議論となるはずだ。

被害が悲惨なのは分かる。だが普通の人は、毎日を生きるだけでも大変なのだ。営業先で怒られたり、会社で理不尽な目に遭ったり、学校で人間関係に苦しんだり...。そんな毎日を過ごしている人間が、震災について意見や同情を求められるのは、とても鬱陶しいだけなのだ。

「震災なんて知らねーよ」とまでは行かないが、一人の民間人がそれほど震災について同情したりしなければいけないのか?と疑問に思う昨今。やれやれだぜ....。

 

ではでは...。

映画感想:「誰でもない女」 鑑賞後に背筋に寒気が走った社会派サスペンス。

こんちわ。なおっちです。

暇つぶしで見ていたアマゾンプライムビデオで、また面白い発見をしました。

「誰でもない女」という映画です。

ちょっと邦題のセンスが問われるタイトルの映画です。が、内容的には凄く良かったです。

事実を元にしたサスペンス映画で、すご~く暗くて、観た後にゾワッと背中を襲うような怖さを覚えました。

 

 

あらすじは....

ノルウェイの普通の家庭で母と夫と娘で暮らしているカトリーネ。彼女は世界大戦中にドイツ人の兵隊とノルウェイ人の女間に生まれた子だった。

カトリーネは幼い頃にナチスの政策によって母と生き別れドイツで暮らしていたが、終戦後に東ドイツから脱走して、母と再会していた。

そんなカトリーネの元に、一人の弁護士がやってきて、大戦中にドイツ兵の間に生まれた子供に補償をするために国を訴えたいと言ってきた。そのために、カトリーネの証言が欲しいと。

しかし、カトリーネは少し微妙な反応をする。そして証言も少し噛み合わない..。彼女には何か秘密があるらしい...。

 

てのが大雑把な内容です。

 

前にも書きましたが、僕どうも社会派映画って苦手なんですよ。恋愛映画と並んで苦手なジャンルの一つです。

社会的、歴史的事実を、役者を使ってスクリーンで流しても、どうも面白さを感じないんですよね..。やはり話は作ってこそ、その上手さとかがある訳で...。

世間的には、そういう作品の方が評価が高いんですがね。賞レースでも、そういう作品を好む傾向にあります。僕には分からないなぁ....。

 

 

そんで本作。ノルウェイを舞台にした事実に基づく社会派作品です...。

え、これって僕の苦手な社会派じゃないの...?という匂いがプンプンしたんです。

 

しかし、それにしても面白い!確かに、事実ベースの話でノルウェイやドイツであった事を題材にしたストーリーです。

そこに社会の暗さとか人間の怖さとかをプラスして、しっかりエンタメとして面白さ表現できています。

常々、事実をそのままストーリーにして映画に疑問を抱いていた僕でしたが、コレは超優秀です。立派なサスペンスの傑作として認定します。

 

結末の方でカトリーネの正体とか、過去の事とかが明らかになるんですけど、その辺にゾワッと背中が凍るような怖さを感じるんですよ。

「あ、実際にこんな事ってあるんだ」っていうリアリティに富んだ怖さ。自分の身の周りにもカトリーネのような人物が居るかもしれないし、そのような活動をしている団体、その犠牲になった人がいる可能性もあるんですよね。

ひゃひゃひゃ,,.人間というのはつくづく恐ろしいですね。僕が人間が嫌いな理由は、こんな所だったりします。本作はまさに人間こわい系のサスペンスです。

幽霊とかオバケって出尽くしている感があってホラーというジャンルに限界を感じています。やっぱり人間こわい系の方が怖いっすよね..。って思う作品です。

 

共産主義の国って、学生とか一般人を使ってスパイ活動をさせているケースってあるんですけど、それを考えると「国境が無くなる」とか「グローバリズム」っているのは、幻想なのかなって思うんですよね。

かつてはソ連っていう共産圏の盟主がいて、その活動も活発だったことを思うを怖いですよね。

日本の隣にも北朝鮮とか中国っていう国がありますが、本作のような事が日本でも起こっているのかな...。そういうのを考えさせられました。

アレ、社会派は嫌いだったはずだったんですけどね..。たまには良いのかな...。

 

本作はヨーロッパ製作の映画なんですけど、暗い空気づくりとかがホント上手いんですよね。

「ミレニアム」とか「特捜部Q」などの優秀な作品がありますが、サスペンスを作るのはアメリカよりも上手いんじゃないかな。

ジットリした〆っぽくて重いのが、逆にサスペンスのような話に合っているんでしょうかね..。アメリカ映画だと妙にザックリ大々的な所が逆に馴染めない感じがあるんですよね..。

 

今ならアマゾンプライムビデオで観れます。無料体験もやっているのでどうぞ。

 

 

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新卒は間違いなく大企業に入るのが正解だと思う件。

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新卒の学生は、よくフリーか?起業か?それとも就職か?っていう選択肢があると思います。中には、「大企業なんかやめてフリーで行きましょう」という意見もあるようです。が、それってセンスが無いですよね...。

フリーでよほど稼いでいる実績が無いのなら、迷わず大企業に行くのが正解でしょう。だって、何の実績もない学生を雇ってくれて、しかも会社の名前で色々やらせてくれるんですよ..。それ以上に良い事なんて無いんじゃないですかね...って思う訳です。

 

まぁ、大企業に入るような人は優秀なので、フリーでも食っていけるかもしれません。が、まだ実績がないなら、大企業で働いてからでも遅くは無い訳です..。もし仮に辞めても、その後に「元〇〇社」っていう実績が残るので、そういう意味でも優秀であるアピールにはなるでしょう。

 

口で何かを語るより、年収や学歴、または実績などの事実の方が圧倒的に強いです。「私は優秀です。理由は〇〇で~」って言うより、「〇〇大学出身で、年収は〇〇円です」って言った方が、説得力があるでしょ?

要はそういう事で、大企業に入った事があるという事実を作れるだけでも、その後の人生で有利になってしまうでしょう..。

そのあとに独立しても、「〇〇社に勤務していました」って言えば、信用も厚くなる訳ですし。

 

学歴でも同じです。大学なんて意味がないと言っても、日本社会において学歴は重要です。

大学の授業内容自体は家で学べる事も多く、ネットを使って検索したり、自分で本を読んで身につけたりも出来ます。特に文系の場合は...。

しかし、「そこの大学に受かって、一応は試験に合格して卒業するだけの学力はありますよ」という事実の証明をするには、やはり大学に入って卒業するしかないんですね。卒業証明書は強いですよ、そりゃ。

よく「学歴なんて関係ない」と言う人もいますが、あれもあまり真に受けない方が良いです。それは成功者のポジショントークで、ブランディングの為に言っている節もありますからね..。

そして、「学歴なんて関係ない」って言う人には、もう一種類あって、それは学歴が低い人なんです。

そういう人は、コンプレックスからか、それとも学歴が低い事を肯定したいからか、そういう事を言います。「学歴は関係ない」って言う人の9割はこれですね...。

僕の知り合いでも居ましたが、まぁアホですよね。国立にも受からないような人間が、「学歴じゃない」って言っても、まあ虚しい訳で。よっぽど仕事が出来るなら別ですが.。

いやいや、君が何を言っているんだ....。特に目立った実績も無いくせに..。それを言って良いのは、高学歴か高卒でも成功した人だけですよ。それくらい理解しようね。まぁ、学歴が低いから分からないかもしれないけど..。。

 

「日本の大企業は終わってる」というのは事実かもしれません。海外のそれに比べて成長性が無いし(そもそも日本が少子高齢化なのが大きいですが)、組織のトップが最新の事情に詳しくないというのもありますからね。

大企業のトップ集団である経団連の偉い方の人が、最近メールを使い始めたというニュースが流れて来たのも記憶に新しいですが。まぁ、そんな人がトップにいる会社もポツポツと存在しているのかな、って思います。

 

ただ、中小はよほど差別化されてない限り、さらに厳しいんですよね。資本も少ないし、一つの取引先を失ったら潰れる可能性もある訳ですよ。

そんな場所に行くより、資本が潤沢にある大企業に行く方が良いと思いませんか?いや、もちろん潰れるか脳性もありますが、中小企業のそれと比べれば低いと思いますよ。大企業に在籍していた実績も残せますし..。

 

大企業に入れるだけ、良いじゃないですか。それだけでも人生は勝ち組ですよ。下手すれば一生その経歴で転職できるかもしれないんですし..。

もうね、迷う事はありません。新卒の皆さんは、迷わず大企業に行け!君に特に実績が無いなら、大きい所に入りなさい!

 

就活失敗した人間が言うのは恥ずかしい事だが、大企業は偉いよ。マジで。

僕の就活失敗の体験は、この辺に書いています。自堕落な生活とか、目標なく暮らしていると、まぁこうなるんですね。

 

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こうならない為にも、皆さんは大学生のうちからスキルを磨いて、大企業もフリーランスも企業も選べるようになって欲しいです。

おススメはプログラミングです。プログラマ不足が予想されているので、今のうちから習得しておくと、食うに困らない、という説もありますよ...。

本気でプログラマになりたいなら、プログラミング学習から就職支援まで行っている「GEEK JOBとか良いと思います。

 

 

 

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さて、皆さんも大企業に入って、その後の生活をチャレンジングなモノにして下さい。

間違っても、何も無い所から「フリー!」とか、「起業だ!」とか言ってはダメですよ。

 

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年を取るのが怖い。

時間が経つのが早くなった。

僕が中学に入ってから高校を卒業するまでの6年間。色々とあって疲れた時期で凄く長かった記憶がある。

思えば学校に行っていた頃は、周りに馴染めなかったり揉め事があったりで、すぐにでもここを出たいと思っていた。

中学を出る時は、もうこんな所には2度と来ないだろうし、人間たちとも関わることも無いだろうと思っていた。事実、卒業してからは、同級生や部活の人間たちとは一回も連絡を取っていない。

高校生の頃の知り合い(友達ではない。うっすら嫌がられてはいたが、そこそこ良くしてくれたから特に恨みもないが)とは、大学に入ってから少しだけ会ったが今は音沙汰無しだ。つまり僕は彼らにとって、それほど大きな存在ではなかったのだろう。それだけの話だ。

学校というのは本当に退屈で理不尽な事が起こる場所だ。意味の分からない人間たちが、意味不明なルールを作り運営されるからたちが悪い。僕の通っていた中学はそういう場所だった。

生徒会という名目上は学校をまとめる組織があるものの、実質そこを仕切っているのは「DQN」と呼ばれる意味不明な者の代表的な人間たちだ。彼らは公正とは全く縁遠く、「昼休みに校庭で遊んで良いのは2年生から」とか、「自分達の気に入らない容姿、振る舞いの人間は自ら出向いて指導する」というルールを作り、学校を支配していた。それは共産主義の"粛清"にも近い思想だ。彼らは自由を求めて教師や大人に反抗するものの、自分たち以外の人間の自由は認めておらず、真に自由を愛していた訳では無かったのだ。

高校は比較的真面目な人間が多くて驚いたが、陰気だった僕は特に面白い経験をした訳でもなく、何となくフラフラと迷い歩いて、そこそこ勉強して国立大に入り卒業した。非常に空しいと言えばその通りで、特にそこで何かを得た訳ではなかった。

 

話が脱線した、元に戻そう。とにかく、僕にとって中学と高校の6年間は凄く長かったという事だ。

そんな長かった6年間と、高校を出てから現在までの時間が、間もなく同じになろうとしている。

あの長い中学高校時代の時間が、怠惰で空虚な大学フリーターニート時代の時間に並ぼうとしているのだ。これには流石に自分でも驚いた。

 

その年月を合わせると12年間。その間に、色んな事が変わった。

近所の子供が、いつの間にか15歳の中学3年生になっていた。それまで腰の高さほどだった子供が、今は高校を受験する立派な意思のある人間になっていた。僕の中ではまだ小さい子供なのに、彼は青年になり大人にも反抗をするくらいの歳になっていたのだ。あの小さい子供が、自分の10年前と同じくらいになっているのが、信じられなかったのだ。

僕の中では時間の意味の大きさは小さくなっているだけで、世の中はどんどん変わっていくのだなと、時間の無情さを思い知らされた。久々に会った人を子供扱いする大人の気持ちが、分かった瞬間でもあった。僕も、自分よりも年齢が下の人間の成長に気付かない、いけ好かない大人たちと同じだったのだ。腹の真ん中にズドンと、重い物を落とされた気分だった。

 

時間とは残酷だ。20を越えると生物学的な成長がほとんど終わり、年を取るにつれて、物事を行うスピードは遅くなる。足の速さ、物事を覚える力などは、少なくとも25〜30代をピークに衰えていく。スポーツ選手の引退が20代後半や30代前半に多いのはそのせいだろう。

しかし、自分の中での時間の進むスピードは早くなっていく。つまらない社会でああでもないこうでもないという波に飲まれているうちに、時計の針が刻む速さは増していき、自覚の無いうちに驚くほどの多くの時を消費しているのだ。

自分の能力、つまり物事を処理する速さが遅くなる一方で、時間は早く進むのだから、自分は世の中からどんどん置いていかれる事になる。程度の大小はあれど、それは間違いないはずだ。

そして、歳を取るにつれて、新しいものに疎くなったり、若い人に批判的になる傾向がある。それは老害と呼ばれたりする。

今まで生きてきた自分を肯定するせめてもの抵抗でもあるし、それは仕方がない。自分という存在を認めて貰いたい欲求は誰にでもあるし、長く生きていると、それまでの自分が正しいと思いたい気持ちになるのだろう。そういう考えは誰にでもあるし理解できる。誰だって、カッコ悪くてダサい大人になんて、なりたくなりのだ。それは自然に訪れるものなのだ。

僕は常々、老害を毛嫌いしている。しかし、それは僕がまだ20代の人間だから取れるポジションであり(決して自分を若いとは思ってない)、もっと歳を取ったら「最近の若者はポジション」を取りたくなるのだろう。人間とはそもそもそういう生き物だ。ただ、僕は老害になるのが怖い。自分が恐れている者に、いつか自分もなってしまうという恐怖感だ。

僕は刻一刻と老害に近づいている。「老害になるものか」と抗っても、それは防げる事ではない。ある黒い影が、徐々に自分を覆い隠し、いつの間にか自分も黒く染まってしまうように、誰でも自然に陥ってしまう現象なのだ。

時間というのは、誰にでも平等のようで、実はその重さは人によって異なる。

年齢が下の人間ほど、その重みを感じるし、毎日が楽しい人ほど、時間の有り難みを知るのだろう。

一方、年を取った人間、怠惰な毎日を送っている人、さらには今にも逃げ出したいくらいの辛い思いをしている人は、時間という存在を忘れてしまう。出来れば早く時間が過ぎて欲しいと、そのように思うはずだ。

そうなったとき、我々は、自分が恐れている存在へと変わってしまうのではないか?

時間というのは人間を衰えさせ、周りと自分を切り離し、人間を孤立させていく残酷で恐ろしい存在だ。

時間を消費すること、つまり「年を取ること」が、僕は凄く怖い。

何者にもなれず、つまらないオッサンとなるのが、ほぼ確実な僕は、何にもなれなかった時、「時間」に対してどのような想いを抱くのだろうか?きっと、「時間は僕に何も与えてくれなかった」という怒りや嫉妬、恨みに似た醜い感情を持つのかと思うと、ここで時間を消費することさえ辞めたいと思うのだ。時間、歳を取るのは怖いよ、本当に。

【貧乏人ほど子沢山...】性欲が強くてエロイ人はバカである理由を考えてみた。

子供が多い人って意外と貧乏でパチンコ好きで、酒タバコ風俗とかも好きな人が多いですよね。

その上あんまり学歴や年収も高くなかったり...。世の中の子沢山たちを見ていると、そう思います。

大家族の番組でマトモな(言い方は悪いですが)親って石田さんくらいだと思うんです。まぁあくまで僕の感覚で個人の感想ですが..。

子供が4人も5人も居る人は大体は高卒で、どちらかと言うと肉体労働系の仕事に就いていたりするパターン..。っていうのが多いんですよね...。

 

もともと収入も多くないクセにパチンコ好きとか酒好きとかタバコ好きとか、あるいは女好きで風俗通いとか...。

闇金ウシジマくんでは、板橋という人間が最後にベーリング海行きという地獄を見ます。が、それに似た人間は現実にも居るようですね。怖い怖い...。

 

それが悪いとは言いません...。その親と子供が幸せなら良いと思います。

しかし、お世辞にもレベルが高くない家の子供たちは、やはり少し問題があるように見えるのが多いんですよね...。

家にお金が無いと、親同士も仲が悪くなります。親だって人間ですからバカなんです。それで行き場の無い不満を子供に吐き出すこともありますよね。大体、虐待をする親は低所得であるケースがほとんどなんだとか...。

まぁ、普通の収入があったらそんな事するメリットが無いし、どこかに預けるという選択も出来ますからね...。

そういう家庭で育った人は、やはり人格とかに影響するでしょうねぇ..。

 

 

僕は、そういう家庭ではなくて良かったとなぁ...。こういう親の下で育ったら絶対に苦労するだと、って家庭もありますが、正直きついっすよね。

ある程度までは幸せ=金だと思っているので、金の無い所で育つのは、健康的にも文化的にも、精神衛生的にも良くないと思っているのです。

なんで金が無いのに、子供を多く持とうとするのか....。別に一人でも良いだろ...。僕が一人を勧める理由はこんな所にもあります..。

 

んで、ここで一つの結論にたどり着く訳です...。

子沢山はバカ。つまり、性欲が強くてエロイ人は、バカなんです!

 

ちなみに僕もかなりの変態で、バカな人間の一人です。中学高校の時は、どうやったら巨乳で美人な女とセックス出来るのか?とか、そんな事ばかり考えていました。

きっと女の人と居たらセックスしまくって、子供をバンバン作ってしまうと思います。という事で僕は異性と交際とかしないし、交際したとしても行為はしないでしょう。もちろんエロイ事は好きですが...。それは妄想とかアダルトビデオで満たしています。

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映画感想:「ルイの9番目の人生」 現象には必ず理由がある。

こんちわこんちわ、なおっちです。

アマゾンの週末限定セールで、面白そうな映画が100円でレンタルしていたので観てみました。

それが、この「ルイの9番目の人生」という映画です。

 

あらすじを読んで何となく面白そうだなと思ったのと、アマゾンのレビューが高かったので、100円セールの時にレンタルしました。んで、観てみました。

 

コレ控えめに言ってメッチャ面白です!作りが上手い!最後に感動する!

 

ジワジワっと謎を含ませながら(伏線とも言うらしいが、どうもそのワードが好きでない。知識人ぶっている人間が使う「メタファー」と同じ。)話を進めて、段々と人の汚さを表現しながら、オチでは意外性を見せてくれます。

まさにサスペンスのお手本とも言うべき展開です。シックスセンスとかにも匹敵するかも....。

 

同時に、本作では親子の愛も描いています。僕、再三言っていますが、ラブストーリーとか感動モノって苦手なんです。

でもね、僕でも良いなぁって思えるんです。ちょっと捻った、それでも確実に存在していた愛なんですが、その伝え方とか状況とかが悲しくて切ない....。って感じです。確実に僕のお気に入りの一本となる作品です。

 

ここまで読んで「おっ!」って思った人は今すぐTSUTAYAに行くのも良いしアマゾンの動画購入から観てみて下さい。自信を持って推せる作品です...。

運が良ければ100円セールやってるかも....。

 

ルイの9番目の人生(字幕版)
 
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【引きこもりが基本】 あんまり金が無い人向け!貧乏人の生き方、楽しみ方を伝授します。

f:id:naocchi3:20190204144212j:plain

 

こんちは、なおっちです。

大学4年生の頃から貧乏人で、現在も貧乏で娯楽などにも月5,000円も使わない日々を過ごしています。使うとしても大体2,000円くらいかな...。

 

さて、毎日のように働いているけど、あまりお金がなくて微妙な生活をしている皆さん!

どうですか?人生は楽しいですか?

 

まぁ、自分が貧乏だと分かってて「人生たのしいー!」なんて自信を持って言う人はいませんよね。

僕も金持ちになれるならなりたいですが、まぁそんな簡単な話では無いですよね。

 

たがら、最近ではリアルに、「一人で勝手に楽しくなる」とか、「そんなにお金を使わなくても楽しく生きる」とか、そんな事を考えています。

 

な~に。そんなに金を掛けなくても、楽しいことというのは転がってる訳です。

月500円くらいのサービスや、体にも心にも財布にも良い事とか、時には何もしない事とか....。

それだけを駆使するだけで、コスパの良い楽しい生活が送れるんですねー。

 

これをマスターすると、自分にお金がない事とか忘れて、メッチャ生活が楽しくなるかも....。

「アレ、金そんなに使ってないけど、もうこんなに時間が経ってた」

「財布の中身がそんなに減ってない。それどころか収入以上に使わないから、少し貯まってる」

「何か、精神的にも身体的にも良い感じ」

などなど、様々な効果が期待できます。

 

著名人でも、お金をあまり使わない生活をして楽しんでいる人もいます。

「月に10000円しか使わないよ」とか、

「月の生活費は10万円位です。でも年収は1000万円あります」

なんて人も、わりと多いですからね。

 

という事で、ちょっと経済的に節約したいとか、採譜の中身が中身が無くなっていく一方で心に空虚さを感じている人は、ぜひ実践してみて下さい。

 

では、行きますよ。

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