ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

映画『シンク・オア・スイム』 中年の危機をいかに乗り越えるか?

こんちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒しています。

やはり映画とは良いモノですね。という訳で最近も暇なので映画を観ています。

この前もこんなものを見ました。

シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢(字幕版)

シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢(字幕版)

  • 発売日: 2020/01/22
  • メディア: Prime Video
 

 

中年男たちがシンクロに挑むというフランス映画です。ウォーターボーイズみたいですね。

登場人物それぞれが中年で、カッコ良くもなくて、金持ちでもなくて、何かこれと言って取り柄がある訳でも無く、凄く普通かそれ以下と言った所です。

よく「中年の危機」というワードを耳にします。中年は夢を見たり追ったりするほど若くも無いし、体力も落ちて来るし、上からも下からも色々言われるし、だからと言って絶対的な地位に就いている訳でも無いし、どれを取っても中途半端な時期です。この時期に精神を壊す人が多いらしいです。本作のオッサンたちはまさにそんな中年を絵に描いたような存在です。

 

主人公のベルトランは鬱病で会社を辞めて2年経つ家族もちのオッサンです。妻と、子供が二人います。子供からは愛想を尽かされ、妻を働かせて自分は家でダラダラとゲームをしているという、ダメな男の象徴のような人間です。仕事を失った男は辛いですよね。ホント、男は辛いですわ。

そんな彼は偶然よったプールでシンクロに出会います。そこには確かに人生に躓いた人間たちが集まっていました。腹も出て、金を持っている訳でも無く、誰かに好かれている訳でもない、まさに中年の危機を迎えた男たちの巣窟と化しています。

特にギタリストのシモンは酷いですね。ギターの腕はそこそこなんだけど売れなくて、それ故に夢をあきらめきれなくて。「俺はこんなはずではない」と言いますが、娘には「君はデビッド・ボウイではない」と言われる様です。

 

それで、彼らはシンクロで少しでも人生を好転させようと一念発起する訳ですが、何かダラダラしているし、彼らに水泳の才能があるようには見えないし。しかもコーチまで訳アリと、真っ当に人生を歩んでいる人間はおらんのか?と。

 

こんな感じの冴えない奴らが頑張っていくんですが、笑いもほどよくあるし、みんなの苦悩も良く描けてるし、最後の持って行き方も工夫がなされていました。最後の世界大会のシーンでピークを迎えるのですが、最後にドンと見せ所を作ってくれましたね。中年の冴えない人間でも、自分たちで何かをしようとすれば、楽しい事が出来るんじゃね?って思わせてくれます。

別に大きな夢がかなう訳ではないし、人生が急に好転する訳でもないけど、当人の気持ちの持ちようと言うか、そう言うのが変わると人生というのは楽しいモノになるのかもねと。そのために新しい事に挑むのは意味がるのかも...。冴えないフランス人のオッサン達が、見ている僕たちに、それを示しているのです。

 

タイトルの「シンク」は沈むという意味です。僕は考えるの「think」かと思いましたが。つまり「沈むか泳ぐか」というタイトルになるのですが、まさに彼らは中年の危機に遭遇し沈みそうになっていた訳です。しかし、そこでシンクロに出会い、人生を再び泳いでいく、という訳です。

「シンク」に「think」を当てはめると、「くよくよ考えず、泳げ!」とも取れます。また、「シンク」に「think」と元の「sink」を掛け合わせると、「くよくよ考えていると沈むぞ!」とも取れる訳ですね。だから、泳げと。

ここから考えるに、中年になって「人生とは何だ?」的になって来たら、いったん考えるのを止めて、何かしてみると良いんじゃないでしょうかね?村上春樹みたいに泳いでみるのも良いかもしれないです。そう言えば村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』は「とにかく踊るんだよ」というメッセージだそうです....。

 

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『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』 正義という共同幻想と過激な自粛警察。

こんちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒しています。

この前はこんな本を読みました。

 

 

本書の著者の森達也さんは、オウム真理教ドキュメンタリー映画とか、本を出版しています。

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本書は著者の雑誌の連載をまとめた思想書です。「正義という共同幻想」というモヤっとした正体の分かりずらい物をテーマにしています。著者自身やや左寄りな思想を持っているため、若干???と思う所もありますが、それでも面白い内容になっています。

 

例えば、「自分の子供が.....」というタイトルの通り、犯罪者を重い刑罰を下すだけが社会の役割ではないよね...という思想が本書の主張です。森達也は、たとえ自分の子供が殺されても、犯人を死刑にはせず、あくまで更生させてあげるのが社会の役割である、という立場です。それには様々な意見があるでしょう。

本書のタイトル「自分の子どもが....」の通り、世の中には「被害者感情」なる言葉があります。殺人などの事件があった時に、「被害者や遺族の立場を思うと.....」とニュースの人が言っているのを聴いたことがあるかもしれないですね。

例えば、オウム真理教地下鉄サリン事件は、誰が指示したのかが分からないままでした。麻原は目が見えなく、部下の過剰な忖度もあり、科学技術部門の村井も既に殺されている、そのうえ麻原は精神状態が悪化し証言が出来ない.....こんな状況で、死刑が確定し、執行されてしまった。司法の役割は真実を明らかにする事だろう、と。著者の森はその過程を取材し、映画や本にしています。それもあって、感情論で死刑を求めることに抵抗があるのでしょう。

 

そもそも、司法は民意や感情とは距離を取るべきもので、民主主義の手続きは採用されていません。高度な判断を伴う、下手をすると人の生き死にを決める場所なので、プロフェッショナルに任せるべきシステムなのです。だから、本来的に感情は入るべきではありません。

本書にも書いてますが、逆に殺人の被害者に遺族が居なかった場合、加害者は無罪なのか?「自分の子供が~」と言う場合、では被害者が既に誰の子でも親でも妻でも夫でもなかった場合は、遺族が居ないので無罪なのか?そんな訳ないだろ。感情論を司法に持ち込むと、このような落とし穴に引っ掛かります。

 

死刑反対の立場には、「事件を風化させない」という主張をする人もいます。森も同じ側です。あらゆる物事は時間と共に風化していくものであるが、なるべくそれを防ぐため、死刑は辞めましょうと。僕自身も、事件を起こした人が死んで終わりなんて都合が良すぎる、と思う事もありますが。

 

そもそも死刑というのは本書でテーマになっている「正義という共同幻想」がもたらしているのかもしれないですね。共同幻想は、人が多ければ多いほど大きくなります。「凶悪犯は殺せ」と。

本書に取り上げられているのは、まずオウム関連で、あの時は「奴らは死刑にしろ」という世論が強くなって、真実を明らかにしようとする力は働かなかったんです。共同幻想は大きくなるほど、真実を見誤る傾向がありますと。そのあと日本では、裁判員制度が導入され、さらに司法に共同幻想が反映されやすくなったと...。

アメリカでも同じで、ビンラディンが2011年に殺された時も、オバマは「正義は成し遂げられた」と言ったようです。そのあとオバマ政権の支持率は上がったと。でも、何で同時多発テロが起きたのか、という真実は明らかになっていません。殺してお終いでは、また事件はくり返すだろうと思っていたら、シリアでISが台頭してきた、と。

 

共同幻想は大きくなると、責任の所在がイマイチ分からなくなります。みんながそのように言っていたから、という理由で何かが起きた時に、ではそのあとに後悔しても遅いと。オウムも同じですね。今さら真実を明らかにしたくても、もう出来ない。共同幻想がもたらした悲劇です。

 

共同幻想は、新型コロナが流行している現代社会にも蔓延っています。「自粛警察」がまさにそれです。とにかく宴会は許さない、みんなで集まるイベントもやめろ、と叫ぶ人達は、自分が正義だと思っているんです。いやいや、人間だから飲み会だってあるし、飲食店の人だって生活があるし、イベント関係の人だって仕事が無くなったら困るだろ。彼らにはそこが欠如しています。

中には新型コロナウィルスに感染した人の会社に電話をして抗議したり、県外ナンバーの車に悪戯をしたりする人までいるようですね。でも彼らは正義でやっているんでしょうね。共同幻想とは恐ろしいです。

 

現代には、「ポリティカルコレクトネス(通称ポリコレ)」という言葉があります。以下に引用を載せます。

ポリティカル・コレクトネスpolitical correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、性別人種民族宗教などに基づく差別偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正中立とされる言葉や表現を使用することを指す[1][2][3]。「政治的妥当性」、「政治的公正」、「政治的適正」、「政治的正当性」、「政治的正義」などの訳語も使われる[4]

ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia

 

一見正しいように見えますが弊害もあって、それに抵触するのを恐れるあまり本当のことが言えない、という問題も発生しています。何か言うとスグに「差別だー」とか噴き上がる連中が多いですが、まさにそれはポリコレという共同幻想を振り回しているという事態なのです。実際、政治は科学的真実に基づいて行われるべきなのですが、ポリコレに配慮するあまり当たり障りのない事しか言えずに、なぁなぁになるという事態が発生しています。ポピュリズムもここから生まれています。

ポリコレは表現の自由にも影響してきます。最近だと、ある化粧品会社が「美白」という表現を止めると発表しました。それを推しているのは実はリベラルと呼ばれる人間たちだったりします。本来リベラルとは寛容を意味するのですが、不寛容まっしぐらです。これもポリコレ、正義という共同幻想の産物です。

 

2013年に書かれた本なのですが、2021年の現在にも通用する内容です。このままだと、何時か恐ろしい世の中になっているかも...。本書の内容について正しいか街がているかの判断はしません。僕は専門家ではないので。でも考えるきっかけにはなってくれるので、暇な人は是非。

 

 

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『私をくいとめて』は非常に惜しい。

こんにちわ、なおっちです。

 

新年度と言うこともあってかプライムビデオの追加が多いですね。「レディプレイヤー1」とかも観れるようです。皆さん春の暇つぶしにもでも。

レディ・プレイヤー1(字幕版)

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ほんで、比較的新しい「私をくいとめて」も見れました。確か去年公開の映画だったかな。「勝手にふるえてろ」の原作者が書いたとか監督が同じだとか、どっちか忘れましたが。

私をくいとめて

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勝手にふるえてろ

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  • 発売日: 2018/05/06
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やはり「勝手にふるえてろ」、と結構似ているんですよね。こじらせ女子が勝手に妄想に耽って訳の分からない行動を連発したりとか、泣いたり悲しんだりとか、まぁそういう件で映画の大半を消費しています。最近こういうの多いですねぇ....。

 

いや、もちろん共感できる所もいっぱいあるんですよ。人との距離感が分からなくて爆発してしまうとことか、気になる人といても一人になりたかったりとか、コミュ障の人には分かってしまいます。

 

のんちゃん演じる主人公が一人で色々と考えてしまう、言ってみれば「こじらせ女子」なんですよ。何でもかんでも一人で妄想して、あぁでもないこうでもないって右往左往しては感情を噴出させてしまう、という...。上手く生きられない人間の、脳内での格闘って、僕はなかなか共感できてしまいました。

 

しかし、演出が中途半端で振りきれていないのが残念。コメディなら、もう少し賑やかにしないと。何だか暗くて退屈と思われました。

また、映画の尺が長すぎなんですよね。コメディ映画なんだから、いらない所はカットして、speed感を持たせないと飽きちゃうんですよね。そりゃ緩急は必要ですが、この映画に2時間10分は長すぎですよね...。上手い作り手は作品を足し算ではなく引き算で考えるのですよ(らしい)。邦画ってこういうの多いですよね。

 

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『21Lessons』 2つのテクノロジー革命に備えよ。

こんにちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒しています。

 

『21lessons』を読みました。「サピエンス全史」のハラリが書いた本です。

 

さて、長い本でしたけど、非常に面白かったですよ。

21世紀には二つの大きな革命が待っています。と言うか進行中です。バイオテクノロジー革命と、IT革命です。

クローン人間が作れて、人間の知能を超えた知能を超えたコンピューターが作れる時代に、人間は果たしてどのように生きれば良いのか?という問題が発生します。本書はその問いに21の回答を示しています。

 

これまでテクノロジーは人類を豊かにしてくれました。産業革命が無ければ自動車も生まれなかっでしょうし。人類は技術革新で豊かになってきました。世界大戦も起きましたが、総じて人間社会は良くなって来ました。

しかし、2つの革命は人類を豊かにしてくれるでしょうか?いいえ、無条件に豊かにしてくれる、とは限らないですよね...これが。

なぜかって、2つの革命は、人類の知識を超えてくるからです。クローンで賢い人間を作れるし、ITで賢いコンピューターを作れる時代は、無用階級の人たちが大量発生します。これが問題なのです。

今まで、人間は労働をしてきました。仕事をして、自分の時間を金に換え、暇を潰し、自分という人間を肯定してきたのです。

ところが、賢い人間やコンピューターは、人間の雇用を奪います。要らない人間が産まれんです。「じゃあ、人間は遊んでいれば良い」と思われますが、果たして人間はそれに耐えられるのか?無用階級の人間は、どうやって生きていけば良いんでしょうかね。もしかしたら切り捨てられるとか....。

でも、それはあり得ない話では無いんですね。テクノロジー企業の人間だけが生き残れば、後は他の人はどうでも良い訳ですから。必要な事は機械とかにやらせれば良い訳で、大衆を社会保障で養う必要は無くなる訳です。などなど、本書はそのように警告しています。

 

2つの革命に対して、人類が処理すべき問題は山積みです。それに対して世界的に合意を取らないといけない、と本書では提案していますが、果たしてうまく行くでしょうかね....。たぶん開発競争は止まらないでしょうねぇ...というのが僕の感想です。著者の提案を受け入れるのは、人間にはなかなか難しいでしょう。

 

多くの「無用階級」予備軍の皆さんは読むと暗くなりますが、知っておくとAI万歳と浮かれる人達に対して人泡吹かせられるかも。分厚くて長い本ですが、そこまで難しくないので暇つぶしにどうぞ...。オーディブルでも利用できますよ。

 

 

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『ジョンウィック パラベラム』は噴飯物の駄作。

こんちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒しています。

 

『ジョンウィックパラベラム』がアマゾンプライムに追加されていたので観てみました。第一作を映画館で観賞して面白かったので、わりと本作のシリーズは興味があります。でもダメな所が盛り沢山。第一作でスパッと終わらせておけば良いものを欲張って長続きさせるから、こんな糞みたいな物ができるんです。

 

ジョン・ウィック:パラベラム(字幕版)

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  • 発売日: 2020/02/19
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まず、ストーリーが単調すぎます。アクション映画だから仕方がないですが、それにしてもストーリーがダメですねえー。

元から「犬を殺されたから」という理由で反撃を始め、殺し屋に復帰するという単調さでしたが、まだアクションがカッコよくて背景もキラキラして、映画館の音の良さもあって楽しめたのですが。今回はダメですね特にストーリーが。殺し禁止のホテルで仕事をしてしまい、狙われる身になったジョンが、許して貰う為に偉い人に会いにモロッコカサブランカに行って、砂漠の中をペットボトルの水一本で歩き、何とかその偉い人に会って、という、どうしようもない話です。砂漠をペットボトルの水一つで歩くって、どう考えても無理だろ。偉い人に会う前に干からびて死ぬだろ。しかも何で偉い人がモロッコにいるんだよ?

 

演出や編集もメチャクチャで白けます。敵が何人も出てくるのにジョンには全く攻撃が当たらなくて、アクション映画の「後ろから殴れよ」感が終始続きます。アクション映画って、どうしたこうも敵が弱いのかね?それじゃ観ていてつまらんだろ。

 

ジョンが敵と格闘してガラスが割れるシーンは演出も編集もダメすぎです。ちょっとジョンが吹っ飛ばされるだけで、ガラスがパリーンってバラバラになる度に噴き出しそうになりましたよ。もう少し丈夫に作っておけよ。高級ホテルだろ。そんな何回もガラスを割って、製作者は尾崎豊でも聴いていたんですかね?それくらいチープでどうしようもないです。

 

こんだけダメなら三作まで作るべきではなかったんですよ。しかし、本作の終わり方が「まだ続きますよ」的だったので怪しいと思いましたが、どうやら4作目が製作途中だとか。日本で撮影する話もあるようですが、どうでも良いよ。本作にも日本人の寿司職人が大事な役で出てきますが、日本語は下手だし、寿司も上手くなさそうだし。大雨が降ってるなか、そいつが屋台で高級寿司を出すシーンがあるんですが?あり得ないだろ?寿司は落ち着いた空間でゆっくり味わうものだろ?製作者はジャパニーズカルチャーを舐めすぎですね。きっと中国かどっかの人が適当にアドバイスしてるんだろうけど、こんな奴等の映画は尚更見なくても良いし、4作目が日本でも撮影なんてどうでも良いわな。という訳で噴飯物のハリウッド版お寿司ムービーって事ですわw。4作目は見ません。その時は日本の寿司職人さんは抗議して下さい。

 

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映画『ダウ・ナターシャ』は製作コストを感じない歴史的駄作。

こんにちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒す26歳です。

 

ソ連をモチーフにした『ダウナターシャ』という映画を観てきました。劇場の本編前の予告があまりに良さそうだったので。予告編はコチラ。


「ソヴィエト連邦」の記憶を呼び起こせ。ソ連全体主義を完全再現/映画『DAU. ナターシャ』特報

 

今は亡き謎の国。鉄のカーテンに包まれた、少しロマンさえ感じさせるソ連は、今では「共産趣味者」というファンさえいますね。僕もソ連には謎のカッコ良さを感じます。こういう本も読んでたりします。

いまさらですがソ連邦

いまさらですがソ連邦

 

 

んで、本作。製作費とかオーディション参加人数とか、とにかく規模を押し出した宣伝に興味を持ち、いざ観賞。どれだけ凄いのかと待機中も期待に胸とアソコを膨らませます。

 

ところが、これが全く微妙。いや何て言うか、そこまで衝撃でもないし、ストーリーも無いし、何が伝えたいのかも分かりません。一つ一つのシーンも長くて飽きるし、セックスシーンも尋問の場面も、迫力に欠ける。韓国映画の『チェイサー』とか、日本でもバイオレンスの面白い映画はありますが、それに免疫をつけられた人からすると、何もないと言えるくらいです。という訳で駄作です。しかも製作にコストが凄く掛かったというらしいので、本作は歴史的駄作になるでしょう。

 

やはり宣伝て上手く作られてますよね。広告会社が一般人に向けて、「こうすればウケる」というノウハウを詰め込んで作っているのでしょう。僕もそれに乗せられました。

 

しかし、製作費とか、構想期間とか、オーディションの参加人数て、そもそも映画本体とは関係ないですよね。それを推してくるとは、映画としてはイマイチという事実を暗に示していると、裏を返せば言えるわけです。騙されましたよ。

 

本当にいい映画はストーリーを推すのです。映画の本質はそこです。そこではない所を前面に出すのは、そもそも映画としてはつまらない事を改めて感じました。劇場で流れる予告というのは良くできているよ。本当に。

 

本作を見た人で、宣伝文句の莫大な製作コストを感じたヒトっていたんですかね?だって出てくる人も少ないしセットも安っぽいし、一つのシーンも長くて場面数は少ないし。むしろ小規模な低コスト映画にすら思えますよ。だったら最初から低コストで売れば良いのに。「めっちゃ金と時間が掛かりました」って言ってショボいもの見せるより、安く作ってそこそこ面白い方が、観てる方も良いし話題になりますよ。パラノーマルみたいにさ。

 

まだ公開してる劇場があるなら気を付けた方が良いですよ。普通の日本映画を観てた方が全然いいです。最近見たのだとこの辺ですが、傑作とまではいかなくても120%面白いですから。やれやれ、本編前の予告には気を付けましょう。

 

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映画『あのこは貴族』 人それぞれ悩み苦しみがあり、無くなることは無いけど、それを話せる人がいるかどうかが、人生の良さを決めるのかも。

こんにちわ、なおっちです。無職から抜け出したいぜロックンロール。

 

『あのこは貴族』という映画を観てきました。

原作はコチラ。

あのこは貴族 (集英社文庫)

あのこは貴族 (集英社文庫)

 

 

予告編はコチラ。


映画『あのこは貴族』予告編

 

東京のお嬢様と、地方の普通の女の生きる姿を通じて、「人生とは何か?」「女とは?」を問うヒューマンドラマです。

 

東京のお嬢様の華子は、お金持ちの家に産まれ、そのままお金持ちの生活をしています。着てる物、住んでる家、食事など、全てが普通の人とは違います。そこには上流階級とは斯くあるのかという雰囲気と、何処か息苦しさも感じさせます。

冒頭の家族での食事のシーンに、既にそれが物語られています。華子は会場に向かうタクシーの中で妙にダルそうにします。一方タクシーの運転手は「ホテルで会食なんて羨ましい」とぼさっと呟きます。身分の差は本作の重要なテーマの一つです。

花子が到着して家族が揃うと、息苦しさは更に強くなります。華子の親や祖母は、華子に結婚の話を持ち出します。やはり、お金持ちの家だけに、結婚の相手にも拘りがあり、誰でも好きな人と、という訳にはいきません。華子は鬱陶しそうに、その会話を流します。ここから既に、単に金持ちが幸福な訳ではないと読み取れます。

 

話は変わり、今度は地方の女の美紀は、受験勉強で慶応に入るも、家庭の事情により中退を余儀なくされます。

家の周りは田んぼが広がっていて、駅前はシャッターだらけ。衰退した地方を絵に書いたような風景です。

美紀の父親は失業中です。昼間はパチンコに行き、夜は酒を飲んで、妻が作った食事を食べ、その妻はヘラヘラと笑って上手く家庭を回している、という感じです。

こちらも地方の暮らしを画に描いたようです。何処にも逃げ場のない息苦しさ。どこの地方もこんな状況なのかと思うと、日本はもはや終わったと思わざるを得ません。こちらは幸福ではない、というより単なる地獄ですね。いや申し訳ないですが。田舎出身の逃げ場のなさを嫌というほど経験している僕には刺さりました。

 

んで、違う階層の交わるはずのない二人の人生が、とある事で交差します。お金持ちはお金持ちと関わるので、普通は絶対に交わるはずはないのですが。こうでも無ければ、絶対に関われないというパターンで二人は出会います。

 

二人はお互いの状況を打ち明けます。「女は空気を回すサーキュレーターのようだ」と美紀は言います。先ほどの実家の様子がまさにそれですね。美紀の母がヘラヘラと笑ってご飯を出してくれないと、美紀の父は死んでいるわけです(生命的にとメンタル的に)。

 

一般的に感度が弱い男は、女に比べて、それ自体では楽しくなる事が難しいです。「女の翼に乗る」という言葉がありますが、それは女が居ないと男は楽しむのが難しい、という意味です。それが美紀の父であり、美紀の母は言葉は悪いが「空気を回すサーキュレーター」として機能しているのです。

甲斐性を失った男は弱々しく、もはや存在価値すら疑われます。女はそんな男を支えるという...。やはり美紀の家は控えめに地獄な訳です。

一方、花子にしても、女は旦那を支えるものだという価値観に苦しみます。特にお金持ちになると、それが一層強まると。本作の「女と男」というテーマが、ここに現れています。

 

少し話は逸れますが、男もそれ自体で楽しくなれる必要があります。女に依存するのではなく。男は肝に命じておきましょう。自分のために、そして空気を回してくれる女のために、自身で楽しくなれる技術を身に付けないと、どちらも滅ぼしてしまうのです。

 

話が進むにつれて、華子と美紀は心を通わせます。身分違いの女が出会い、「人生とは?」「女とは?」「東京とは?」などを考えます。

美紀と出会い、華子はある重大な決断をします。それは美紀がいたから成し得たことです。最後のメッセージも素晴らしいです。尺の長い作品なのですが、それに相応しい終わり方です。控えめに言って良い映画でした。男でも楽しめますよ。

 

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