ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

「人生は山登りではなく川下りである」という大学時代の担当教員の言葉が、川下りすら出来ない事に気付いた今、すごく胸に染みる。

大学時代、僕は学部のなかでも楽なゼミに所属していた。

ゼミには真面目に通っていたが、まぁ適当にしていても単位はくれるし、卒業論文の指導も、取り敢えず書けば卒業はさせてくれる先生だった。

その大学や僕の名誉のために言っておくが、一応は国立で、授業もちゃんと出ないとテストも受けられない程度だった。

 

そんな大学とゼミで僕は過ごしたのだが、ゼミの担当教員だった人が、当時2年生だった僕の所属していたゼミの、これから就職する4年生に向けて言ったのが、「人生は山登りではなく川下りである」という言葉だった。

 

いわく、「目標に向かって努力したり人世を歩んでも、大体は壁にぶつかったり病気になったりするから、障害物を避けて川を下っていくような人世を送る方が大事だよ」という、リアリティーに富んだ応援メッセージだった。

 

夢を実現するには適切な努力をしなければいけない、というような自己啓発本と違って、凄く為になる言葉だなーと、ニート2年生を終えようとしている僕の心と胸と脳みそに、深く染み渡っているのだ。

 

「夢は叶う」、「夢は見るものではなく叶えるもの」という子供にうける言葉はあるが、それはどこかの広告代理店や作家が作ったコピーに過ぎない。

ある会社に就職するとか誰かと結婚するとか、そういう夢ならまだ叶うかもしれない。

しかし、サッカー選手になるとか、レーサーになるとか、そういう夢は大体は叶わず、別の道に進むことになる。

 

夢に向かって努力することは、いわば「山登り」で、これは辛い思いをしたり他の事を犠牲にしても、達成されない事もある。

時に人生の理不尽や不条理に潰され、とても死にたい気持ちに襲われる事もあるだろう。

と言うか、そういう事の方が多い。だから、基本的に努力は実を結ばないと言っても良いだろう。

 

そんな人生で、どのようにしたら良いのか?と考えると、先程の担当教員の言った「人生は山登りではなく川下りである」が大事になるのではないだろうか。

 

人生なんて、いつ理不尽や不条理に遭遇するかも分からない。良い大学を出て良い会社に就職しても、人間関係に疲れて心を病むかもしれないし身体を壊すかも知れない。

結局人生は運が半分以上を占めるゲームだし、自分ではどうにも出来ない事の方が多い。

だから、川下りをするのだ。障害物を避けて、なるべくダメージを受けないように、自然に身を任せて下っていく。これで良いのでは無いだろうか?

もちろん、全て完璧にいく訳ではない。思いがけない障害物に出会い、少し傷んでしまうこともあるだろう。

 

そんな時は、まぁなるべく気にせず「人生なんてどうせ暇潰しだし、ダメなら違うことで暇を潰そう」と考えておくのが良いだろう。

僕自身は既に心を痛めていて、完全復活をするのは来世になるだろうが、目標に向かって山登りをするのではなく、暇潰し程度に川を下っていく的に考えることで、楽になれた。

 

辛い思いをしながら目標に向かっても、そのプロセスで楽しくなければ人生は損だし、それよりはテキトーに暇潰しをしながら生きた方がムダに心を病まずにかつ楽しく生きられるだろう。

 

かくいう私。高校生までは山登りをしていましていた。

しかし、就職活動を機に努力することの無駄さに気付き川下りに転換したが、思えば僕は川下りすら出来ていないことに気付いた。

中学の頃は部活で揉め事を起こして嫌われ、高校生では何とか無難に過ごすも、大学で就職活動という障害物を避けられ無かった僕は今、ゼミの先生の言葉を思い出しながら「川下りすら出来ない人間も居るんだよ」と泣きながら訴えたい。

 

川下りが出来るだけでも立派だし、大体の人はそうやって上手く生きているのに、それすらも出来ない僕がこんな自己啓発じみた事を書いてもまぁ意味がない事だけは確かなようだ。

 

それ以上でもそれ以下でもない、俺はそういう人間だ!

 

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