ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

記憶力は無い方が良い。

昔の事って自分の重荷になるんですよね。
「あの時あれで、凄くムカついたな」とか、「アイツにいろいろ言われて、今でも気になるんだよな」とか、あるいは「好きな人に振られてトラウマ」とか、人によって色々あると思います。

実は過去の思い出って一生ついて回るんですよね。何かする時に過去に関わった人間とか、または昔の自分が出て来て、色々と何かを言ってくるのです。ふらっと現れては消えて、現在の自分を構成する要素になります。
ちょっとスピリチュアルで自己啓発っぽいですが、おおむね間違い無いでしょう。
苦しんでいる人って、多くは今の現実よりも過去に苦しめられている事の方が多いんじゃないかって、個人的に思ってます。

詳しくはこの辺に書きました。自己啓発くさい事を言うのは嫌いですが、まぁ過去と決別するのってムズいですよね。って事です。

んで、よく記憶力を良くする方法とかが世の中で流行りますよね。
勉強とかでは、単語とか文法とか公式とかを覚えてないと話にならないので、覚える力は大事になりますよね。

しかし、昔の事をいちいち覚えているのは、それだけ負担になります。
重い物を何個も背負っている状態になるので、動きも重くなります。まぁよく言われる鬱という状態ですね。
いや、良い思い出が多い人はそれをエネルギーに出きるんでしょうけど、僕のように良い思い出が少ない人は、そうもいきません。

僕は学生時代から揉め事が多くて喧嘩とかが絶えませんでした。
特に中学の時は地獄でしたね。少なからず、あの時の経験が僕の脚を引っ張り、泥のような何かに巻き込まれているのは確かです。

んで、僕は器用に都合よく嫌なことを忘れられる性格ではありません。
よく忘れっぽくて何も覚えてない人とかって居ますが、良いですよね。
「あれ、そんな事ってあったっけ?」って、失敗とか覚えてない人って、凄く気楽で楽しく生きられるんでしょうね。羨ましいですよねホント。

僕の大学時代には、同じゼミにバイト先の居酒屋に殺されかけて、単位がヤバくて卒業が怪しい人がいました。が、その人も就職もして卒業もしたんでしょうね。
同じく、単位の関係で卒業が遅れた
人も居たようです。が、その人は妙に自信がある感じの人で、おそらく何とも思って無いのでしょうね。

それを考えると、いろんな事を覚えているよりも、余計なことは忘れられる方が良いよねって思います。アレコレと考えるのは損ですよねホント。

他にも、都合の悪いことは全て忘れて、自分たちを正当化する人は多いです。

僕の中学はクソみたいな人間の集まるごみ溜めみたいな場所でした(僕もその一人)。
二年生の時に、とある男の先生が担任になりました。その先生は少し変わった人で、赤い車にナンバーを全て同じ数字にしてくるというナルシズムを兼ね備えている人間だった。
それだけならまだ良かったもの。彼の頭は残念ながら大部分が不毛地帯と化し、額はだいぶ後退していた。それも影響し、彼はクラスの人間の反感を買ってしまった。

彼が出勤してくるとクラスの人間は「ハゲ!」と、その教師を罵倒した。
そしてクラスの女子は、彼の言うことを聞かず、集団で彼を嫌う態度を取り始めた。

その結果その教師は心を病み、休職に追い込まれた。
幸い、僕たちが三年生になってから彼は復帰したらしい。しかし、他の職員からの評判は、あまり高くなかったそうだ。

そんな事があった中学だったが、やはりクラスの学生の中で、その出来事は大した事ではなく、すぐに忘れ去られてしまった。

僕はクラスの人間の誰一人とも関わっていない。
その当時は仲の良い感じを出していたが、今となってはだれとも連絡を取っていない。所詮、その程度だ。

女子には嫌われていて、僕が特に何かした訳でも無いのに悪口を言う人間も居た。彼女たちは人間の糞だと思っている。

その中でもも、わりとマトモな人間も居た。

わりと顔が整っている女子で、女子たちから嫌われていた僕にも、まぁごく普通に話す人だった。
最も会話をしたのは2〜3回くらいだし、陰では悪く言っているのも知っているが。

そんな彼女だったが、皆と同じようにその教師の事を嫌っていた。しかし、彼女な彼が居なくなると、すぐに存在を忘れてしまったようで、卒業する時の文書で、「みんな仲良く卒業しました」的なことを書いていました。
いや、俺らが犠牲にした担任教師と、君たちが消した女子生徒(クラスの中心的な女子が一人不登校になっていた)は、一体どうなるんだ?
いや、その人はいじめに加担してないかもしれない。
だが、少なくとも面白くない想いをした人が何人か居るなかで、「みんな仲が良かった」と書くのはあまりにも乱暴だろう。
僕はクラスの女子と仲が良かった覚えはない。ほとんど嫌いだ。
みんな仲が良いというのは、おそらくその人の暮らしが良かったからであって、ほとんどの人間には当てはまらない。「皆」という言葉を使うなら、それくらい考えて欲しい。「私は皆と仲良かったよ」と言うなら、その人の勝手だが。

しかし、ここで思うのは、彼女はあまり記憶力が良くないという事だ。
自分達が嫌っていた担任教師の事や、自分も多少は関わりのあった女子生徒の事を差し置いて「皆仲が良かった」なんて言えるのは、おそらく彼女は彼らの事を何とも思っていないか、すっかり記憶から消えてしまっていたのだろう。
それは凄く都合の良いことだし、その人が良ければそれで良いのだ。
つまり、他人の事なんて覚えてない方が、幸せには生きられるという結論が導き出せる。
どうでも良い人間、自分が辛い思いをさせた人間、逆に辛い想いをさせられた人間などは、全て記憶から消し去ってしまった方が、そりゃ良いに決まってる。

だから、記憶力が良いことは、人生を生きる上ではマイナスだ。
人の事なんて、全員初対面くらいに思ってた方が余計な関係を持たなくて済む。向こうから何か言われても「あれ、誰でしたかね?」て言っておけば、向こうも諦めるだろう。

覚えてないことに勝るものは、世の中には無いのかもしれない。
仮に自分が経済的に成功して、昔の嫌なやつをバカにして懲らしめても、名誉毀損などで訴えられる可能性が出てくる。

だから、いい生活をして、「どちら様?」ってしれっとしてるのが、正しいやり方なのだ。

みんな、どんどん過去の事は忘れよう。良いことも悪いことも、思い出すだけで辛くなるだから、無かったことにしてしまおう。

それが出来る人間ほど健康に生きていける。どうせ、悪意で満ちた世の中なんだから、いちいち色々と覚えてなくて良いんだよ、て思いました。

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