ぼっちですが何か?

地方国立大卒ニートの生活記録。精神病持ちです。

年を取るのが怖い。

時間が経つのが早くなった。

僕が中学に入ってから高校を卒業するまでの6年間。色々とあって疲れた時期で凄く長かった記憶がある。

思えば学校に行っていた頃は、周りに馴染めなかったり揉め事があったりで、すぐにでもここを出たいと思っていた。

中学を出る時は、もうこんな所には2度と来ないだろうし、人間たちとも関わることも無いだろうと思っていた。事実、卒業してからは、同級生や部活の人間たちとは一回も連絡を取っていない。

高校生の頃の知り合い(友達ではない。うっすら嫌がられてはいたが、そこそこ良くしてくれたから特に恨みもないが)とは、大学に入ってから少しだけ会ったが今は音沙汰無しだ。つまり僕は彼らにとって、それほど大きな存在ではなかったのだろう。それだけの話だ。

学校というのは本当に退屈で理不尽な事が起こる場所だ。意味の分からない人間たちが、意味不明なルールを作り運営されるからたちが悪い。僕の通っていた中学はそういう場所だった。

生徒会という名目上は学校をまとめる組織があるものの、実質そこを仕切っているのは「DQN」と呼ばれる意味不明な者の代表的な人間たちだ。彼らは公正とは全く縁遠く、「昼休みに校庭で遊んで良いのは2年生から」とか、「自分達の気に入らない容姿、振る舞いの人間は自ら出向いて指導する」というルールを作り、学校を支配していた。それは共産主義の"粛清"にも近い思想だ。彼らは自由を求めて教師や大人に反抗するものの、自分たち以外の人間の自由は認めておらず、真に自由を愛していた訳では無かったのだ。

高校は比較的真面目な人間が多くて驚いたが、陰気だった僕は特に面白い経験をした訳でもなく、何となくフラフラと迷い歩いて、そこそこ勉強して国立大に入り卒業した。非常に空しいと言えばその通りで、特にそこで何かを得た訳ではなかった。

 

話が脱線した、元に戻そう。とにかく、僕にとって中学と高校の6年間は凄く長かったという事だ。

そんな長かった6年間と、高校を出てから現在までの時間が、間もなく同じになろうとしている。

あの長い中学高校時代の時間が、怠惰で空虚な大学フリーターニート時代の時間に並ぼうとしているのだ。これには流石に自分でも驚いた。

 

その年月を合わせると12年間。その間に、色んな事が変わった。

近所の子供が、いつの間にか15歳の中学3年生になっていた。それまで腰の高さほどだった子供が、今は高校を受験する立派な意思のある人間になっていた。僕の中ではまだ小さい子供なのに、彼は青年になり大人にも反抗をするくらいの歳になっていたのだ。あの小さい子供が、自分の10年前と同じくらいになっているのが、信じられなかったのだ。

僕の中では時間の意味の大きさは小さくなっているだけで、世の中はどんどん変わっていくのだなと、時間の無情さを思い知らされた。久々に会った人を子供扱いする大人の気持ちが、分かった瞬間でもあった。僕も、自分よりも年齢が下の人間の成長に気付かない、いけ好かない大人たちと同じだったのだ。腹の真ん中にズドンと、重い物を落とされた気分だった。

 

時間とは残酷だ。20を越えると生物学的な成長がほとんど終わり、年を取るにつれて、物事を行うスピードは遅くなる。足の速さ、物事を覚える力などは、少なくとも25〜30代をピークに衰えていく。スポーツ選手の引退が20代後半や30代前半に多いのはそのせいだろう。

しかし、自分の中での時間の進むスピードは早くなっていく。つまらない社会でああでもないこうでもないという波に飲まれているうちに、時計の針が刻む速さは増していき、自覚の無いうちに驚くほどの多くの時を消費しているのだ。

自分の能力、つまり物事を処理する速さが遅くなる一方で、時間は早く進むのだから、自分は世の中からどんどん置いていかれる事になる。程度の大小はあれど、それは間違いないはずだ。

そして、歳を取るにつれて、新しいものに疎くなったり、若い人に批判的になる傾向がある。それは老害と呼ばれたりする。

今まで生きてきた自分を肯定するせめてもの抵抗でもあるし、それは仕方がない。自分という存在を認めて貰いたい欲求は誰にでもあるし、長く生きていると、それまでの自分が正しいと思いたい気持ちになるのだろう。そういう考えは誰にでもあるし理解できる。誰だって、カッコ悪くてダサい大人になんて、なりたくなりのだ。それは自然に訪れるものなのだ。

僕は常々、老害を毛嫌いしている。しかし、それは僕がまだ20代の人間だから取れるポジションであり(決して自分を若いとは思ってない)、もっと歳を取ったら「最近の若者はポジション」を取りたくなるのだろう。人間とはそもそもそういう生き物だ。ただ、僕は老害になるのが怖い。自分が恐れている者に、いつか自分もなってしまうという恐怖感だ。

僕は刻一刻と老害に近づいている。「老害になるものか」と抗っても、それは防げる事ではない。ある黒い影が、徐々に自分を覆い隠し、いつの間にか自分も黒く染まってしまうように、誰でも自然に陥ってしまう現象なのだ。

時間というのは、誰にでも平等のようで、実はその重さは人によって異なる。

年齢が下の人間ほど、その重みを感じるし、毎日が楽しい人ほど、時間の有り難みを知るのだろう。

一方、年を取った人間、怠惰な毎日を送っている人、さらには今にも逃げ出したいくらいの辛い思いをしている人は、時間という存在を忘れてしまう。出来れば早く時間が過ぎて欲しいと、そのように思うはずだ。

そうなったとき、我々は、自分が恐れている存在へと変わってしまうのではないか?

時間というのは人間を衰えさせ、周りと自分を切り離し、人間を孤立させていく残酷で恐ろしい存在だ。

時間を消費すること、つまり「年を取ること」が、僕は凄く怖い。

何者にもなれず、つまらないオッサンとなるのが、ほぼ確実な僕は、何にもなれなかった時、「時間」に対してどのような想いを抱くのだろうか?きっと、「時間は僕に何も与えてくれなかった」という怒りや嫉妬、恨みに似た醜い感情を持つのかと思うと、ここで時間を消費することさえ辞めたいと思うのだ。時間、歳を取るのは怖いよ、本当に。

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