『実録・あさま山荘への道程』感想 閉鎖したコミュニティは過激化して目的を見失うよね。
こんちわ。なおっちです。
この前はこんな映画を観ました。
あさま山荘に立てこもった日本赤軍(連合赤軍とも言うらしい)方から見た、あさま山荘事件を描いています。
あさま山荘事件って、あの鉄球のヤツですよ。警察がデカい鉄球をクレーンからつるして、建物を破壊して侵入した所が、最高視聴率80%だったとか....。
警察側から見た方はコチラです。わりと有名かな....。
んで、本作は革命する側から、あさま山荘に至るまでの道筋を描いているのですが、まぁロクなモノでは無いという事が表現されている訳ですね。
「総括」という自分や組織の活動を振り返ることを通して、個人や集団の士気を高めて、共産主義を実現しようという思想の下、彼らは活動しているんですが、コレがどうも怪しい。語られるのは精神論だけで、具体的にどうすれば革命が実現出来て、革命後はどうすれば国を上手く運営できるのかが、ほとんど語られません....。
マルクス主義者なら、リアルな問題から逃げるなよ。マルクスは「宗教は阿片である」という名言の通り観念論を否定して、物質的な豊かさを第一に考えたんだぞ...。観念論に逃げるなんて、マルクス主義者として失格だ。ちゃんとマルクス読めや。
組織はどんどん閉鎖していき、当然のごとく尖っていき、その矛先が内部の者にも向きます。組織の意向に沿わない行動をした者は「総括」を求められます。組織の意向と言っても、要は上の人間の気に入るようにという事です。
閉鎖したコミュニティは、上層部の権力を維持する方へ走ります。組織内でのリンチや殺人で、組織は上層部のお気に入りの人間だけが生き残るようになります。劇中では自分より美人な子を気に入らないから、自分で顔を殴るように指示され、その女は死んでしまう、という事まで起こります。共産主義国の粛清とか、オウムの「バジラヤーナ」と同じですね。
閉鎖したコミュニティの行先というのは同じで、そこは反革分子の粛清です。スターリンとか毛沢東とか、今の北朝鮮も同じ事をやっています。組織の上の人間が権力を維持するために、違う人間を処罰するのは、まぁ当然の結末というかですね。
かつてオウム真理教も、信者の殺人を行いました。それは「ポア」、つまり「魂をより高い世界へ移動させること」で以て正当化されます。これも要は麻原の権力を維持するためなんですね。組織の中でのポジション取りですよ。
革命を目指したんだけど、結局その手法はロクなものではないですね。おそらく彼らに政権を渡しても何も変わらないか、もっと悪くなるんでしょうね。村上春樹にも出てきますが、彼はそういう事を言っているのかな。
いずれ、秘密主義で何かをやろうとすると、大体の結末は組織内での争いで消耗か、方向を間違えて自滅か、どちらかですかね。