ぼっちですが何か?

地方国立大卒ニートの生活記録。精神病持ちです。

「キモくて金のないおっさん問題」が将来の自分の事に思えて来た。川崎殺傷事件から~。

初めに言っておくが、僕は殺人を擁護する気は一切ない。関係ない人間の命を奪うのはどんな事情があっても良くないし、場合によっては自分の命などで責任を取ってもらうのが正しいと思う。

川崎で痛ましい事件が起きた。未来のある人間たちの命が、一人の人間によって奪われた。残念以外に言葉が見当たらない。

 

さて、この事件について、いろいろと意見があるみたいですな...。でも、そりゃそうだよね。事件を起こす人間もいれば、それについて色々な意見を持つ人間もいる。人間とはそういうものだ。だから人間社会とは面倒なんだな...。

 

ひろゆき氏は、このような事件を起こす人間の事を「無敵の人」と呼んでいるようですね。いわく、このような問題が増える事を10年前から予想していたと。まぁ、その通りだよね。経済的に恵まれない人間が増えた今、そのような事件が増えるのは、まぁ当然だよね、って僕も思います。

 

NPO「ほっとプラス」の藤田孝典氏は「一人で死ねという言葉を使うのは止めて欲しい」と言っているようです...。それが若干、炎上中のようですが、僕もその意見には一部賛同する部分があったりします..。

なぜかと言うと、日本という社会の中にも、やはり身分とか貧富の差というのがあって、お金や権力を持って楽しく生きている人もいれば、貧乏でも幸せな人、そして、お金も守るべきものもなくてつまらない思いをしている人も存在するんですね。

その「お金も守るべきものも無い人間」の事を、最近では「キモくて金のないおっさん」とか、失うモノが無い人間という意味で「無敵の人」って呼ばれています。

その「金もなくてキモイおっさん」とか「無敵の人」の中には普通の人もいて、普通に社会に出て活躍しているレベルの人が、就職氷河期や、パワハラ、人間関係のアレコレなどの社会的な要因で、その場を奪われたりという事がある訳ですね。

そういう社会的な要因で、活躍の場を奪われた人間には、やはり社会から何らかの助けとかが必要なんですよね。それこそ、今回の川崎での事件を起こした人は、引きこもっていて、他人と意思疎通を取る事も少なかったようですし...。

その人が、どんな事情を持っていたのかは、その人にしか分からないでしょう。でも実際に、社会的な要因によって、”普通”に生きる事が出来なくなった人間もいる訳ですよね。そのような人は、社会に対して不満を持ちます。そうなると、このように自分の存在を知らしめるために、犯行に及んだ理するんですよね。今回の事件の場合も、概ねこんな感じで間違ってないと思います。

 

就職氷河期世代がどんどん歳をとっていく中、このような事件は増えていくと思います。だって、世の中に不満を持っていて失うモノが無い「無敵の人」が増えるんですもん。事件を起こしても、何も失うモノが無いなら、そりゃこういう事件も起きるわ、と。

だから、社会がこのような人たちを見捨ててはいけないと思うんですね。社会がもし、何らかの手を差し伸べて、「無敵の人」に救いを与えられるなら、そのような事件が無くなる事はなくても、発生するリスクを減らすことが出来ると思うんです。

 

日本という国は先進国で、経済的にも治安的にも恵まれた社会であると言われています。そこに異論はありません。日本という国に産まれたのは幸せな事だと思います。

しかし、人間というのは身近な人間と比べる生き物なんですね。「同族嫌悪」という言葉があるように、同じような人間を意識して、そのような者同士が争ったりするように人間は出来ています。

そこで、日本人が自分と比べる対象というのは、そりゃ日本人になる訳ですよね。アフリカとかの凄く治安の悪い所の人が、今日も殺されたり誘拐されたりしていますが、そういう事情は、わりとどうでも良くて、大事になるのは、他に日本人がどのようにしているか、なんですよ。「無敵の人」と呼ばれる人間たちは、他の日本人が楽しそうに生きているのを見ると、とても苦しいし、自分という存在が惨めに思えてくるんですね。

僕も、テレビとかで他の人が楽しそうに生活をしているのを見ると、残念な気持ちになるんですね。「何で俺はこんな人生なんだ!」ってイライラします。それを思うと、彼らも僕も、そんなに変わらないんじゃないかなって。

 

だから、こういう事件は減らすためにも、「社会がしてあげられる事」を議論するのが、社会を良くする上で最も建設的だと思うんですよ。

と言うのも、僕にも似たような所があるのかな、って思ったんです。友達もいなくて、国立大学を出てもニートで、つまらない人生を送っている僕って、このような事件を起こす可能性があるんじゃないか、と。100%他人事には、とても思えなかったんですよ。

 

繰り返しますが、関係の無い人間を殺すことを、擁護するのは絶対に出来ません。でも、社会からドロップアウトしてしまった人間が、こういう事件を起こすことは絶対にあるんですね。この世の中で、そのような「無敵の人」に転がり落ちていく可能性は、誰にでもある訳で。

自分が被害者にも加害者にもなりうることを考えられず、単純に自己責任で片付けようとする人には、少し嫌悪感を抱いたりもします。もう少し、ちゃんと考えようよ。人間には思考力があるんだからさ。

社会がそのような人間を助ける努力などを、怠っては絶対にいけませんよね。決して自己責任だけで片付けるのではなく、それは社会に課せられた責任であり義務でもある、という世の中の方が、そりゃ良い社会に近づくよねって思ってます。

 

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