ぼっちですが何か?

地方国立大卒ニートの生活記録。精神病持ちです。

読書感想:「これからの政治をゼロから考えよう」 読みやすいけど濃い内容の政治入門書。

佐々木俊尚氏の「これからの政治をゼロから考えよう」という本を読みました。

 

現代の日本が忘れている大事な事が多く書かれています。とても面白い本でした。

 

という事で、軽くではありますが、読書感想を残します。

 

プライムリーディングで読めます。

 

 

目次

 

ザックリ感想。

短い本で、読み始めてから2時間くらいで読めてしまいました。

しかし、内容はとてもしっかりしています。

そんなにお堅い感じではなく、高校卒業ていどの人なら誰でも読める内容でありながら、考えさせられる所や共感する部分も多かったです。

 

政治や社会を考える上で、大切な事が多く書かれているので、多くの人に読んで欲しいですね。

 

 

気になった部分を引用して紹介。

気になった部分をザックリ引用して感想を書いていきます。

 

権力はどんどん弱くなり、個人への権力の回帰が起こる。

これは会社もそうだし、国際社会もそうだし、日本という国家も同じ。二十世紀の古い日本では、制度上は民主主義と言いながらも、結局は「上意下達」でした。総理大臣や財界など、上座にいる権力者が国民に上から指示し命令し、規範を押しつけました。管理する権力者の側と管理される国民の側は、分離した存在でした。だから「殺す側と殺される側」「権力者と反権力」といった対決が言われたのです。

 

でも多極ネットワークの時代には、日本という国家のパワーも相対的に下がっています。逆にNGOや個人など、さまざまな小さなパワーが相対的に増大し、日本の国家権力というただひとつの力ではなく、さまざまな力の相互作用というようなものへと変わってきているのです。その力の相互作用から政策や方針や戦略が生成されて、政府や自治体によって実行されていく。政府や自治体、警察の統治がなくなるわけではありませんが、それを動かすための原動力が国家権力から、分散した力と力の相互作用へと変わっていくということです。

 

ここは、国から個人などへの権力の回帰が述べられています。

ここは最近すごく話題になる所ですね。

 

昔は、大族や貴族の言う事は絶対でした。一般市民が政治に参加するなんて無かったでしょう。

しかし、産業革命などで労働者が裕福になると、次第に暮らしも良くなり、その権限を拡大させていきます。そのうち選挙権も手に入れます。

このように、一般市民は時代を経るごとに、その権力を拡大させていきます。

 

そして、この流れは今でも進行中です。

今は通信技術の進化が著しく、簡単に情報にアクセスできるようになりました。

それ故に、知識の差はどんどん無くなってきています。

 

また、「お金2.0」でも述べられていますが、SNSや影響力、仮想通貨などを使って、自分独自のネットワークを作る事も可能です。そのうち、国も作れるようになると言われています。

 

こういう所からも、個人などへ権力が移行していき、国は次第に弱くなっていくのです。

 

コレが現代の政治を考える上で大事になります。分かっていないと、間違った方向へ行ってしまうでしょう.....。皆さんも覚えておきましょう。

 

 「反権力」はあまり意味が無い。

「強大な権力に立ち向かう」という古い構図から脱却できないと、本当はそこには存在していないのに強い権力があると思い込んでしまうことになり、これを続けていると、いつの間にか「これは政府の陰謀だ!」「どこかで絶対悪がたくらんでいる」みたいな陰謀論にはまり込んでしまいます。これはとても危険です。

 

たいていは絶対悪など存在せず、ごく普通の人たちがうっかり悪い行為に手を染めてしまったり、本人が気づかないのにそういう方向に逸脱してしまったりしているために良くない出来事を引き起こしているということなのです。

 

権力は次第に国から個人へと移行していきます。

この事を分かっていないと、ありもしない「反権力」に走ってしまいます。

コレは危険ですねぇ.......。

 

メディアや報道では、基本は「反権力」と言われます。確かに、権力が乱用されようしたら、それを食い止めるのがメディアです。そこに疑いはありません。

 

しかし最近は、反権力を考えるあまり、「真実を伝える」という本来の役割を忘れている人も多いですね。明らかに関係ないのに、「〇〇が悪い」と唱える頭のおかしい人も増えました。

 

実生活の中でも、ありもしない陰謀を作りだして、憶測で「アイツが悪いんじゃないか?」と根拠もなく疑う人も多いですよね。

特に最近では「〇〇のせいだ」、と何でも誰かのせいにする変な人もいますからねぇ....。ここも大事です。

 

筆者は陰謀を全否定しているわけでは無いです。が、そんなに陰謀というのは働いていないでしょう。

特に日本では言論が発達していますから、巨悪が陰で動いているというのは、そんなに無いはずです。

 

まぁ、それでも、権力が間違った事をしている例はありますね。

その良い例が東京オリンピックです、アレはホントに酷いので、それを大手のメディアの皆さんに伝えて欲しいのですが.....。なかなかやろうとする所はありませんね。

それは、新聞社とテレビ局がスポンサーになっているからなのですが、それもおかしいですよね?そいいう所に、メディアの皆さんには頑張って欲しいのに。

 

 

因果関係を求めすぎるのは危険。

たいていは絶対悪など存在せず、ごく普通の人たちがうっかり悪い行為に手を染めてしまったり、本人が気づかないのにそういう方向に逸脱してしまったりしているために良くない出来事を引き起こしているということなのです。

 

しかしこの「誰もが悪人になれる」ということは、私たちが忘れてはならない事実です。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉もあります。世界にはどこかに極悪人がいて悪事を働いているのではなく、私たちの善意や総意が悪事を生み出してしまうということなのです。

 

それにもかかわらず、なぜ人はつねに悪の存在を求めてしまうのか?その背景には、私たちが出来事に対してあまりにも因果関係を求めてしまうから、ということがあります。私は新聞記者をやっていたのでよくわかるのですが、ジャーナリズムに特にその傾向が強い。「○○があったから、この事件が起きた」「この事件の原因は、△△である」というような因果関係で、記事を構成しようとする。世の中で起きているたいていのことには、きちんと言葉で説明できる原因があるはずだという世界観なのです。

 

しかし現実はそう単純ではありません。きれいに因果関係が成立する場合もありますが、たいていの場合には悪人が引き起こした因果関係ではなく、誰もが逆らえなかった相互作用の積み重ねが出来事を引き起こします。

 

因果関係が明確に説明できることや、明確な悪人などいないことがほとんどなのです。それなのに因果関係を求めようとすると、本当は存在しない悪人をあげつらうことになり、容易に陰謀論になってしまうのです。

 

陰謀論は、世界の認識をゆがめて、まっとうな政治の議論を妨げます。安易に近寄らないようにしましょう。

 

ここは凄く面白いですねぇ~。

 

例えば、ある出来事に対して必ず因果関係を求めてしまう傾向がありますが、それは非常に危険で、ありもしない悪人や陰謀論を立ててしまうと書いてある部分には、すごく共感しました。

 

「経済が悪くなったのは〇〇のせいだ」とか、「〇〇は日本を独裁化させたいんだ.....」と、ある現象を一人の人間のせいにしてみたりするのは、どこでもあると思います。

 

が、社会科学というのは、色んな要素が関係しています。ある現象は、色んな事が影響しあっているので、一人に人間や、一つの物事に原因を限定するのは危険ですよね。

 

このまえ読んで、このブログでも紹介した、「そしてドイツは理想を見失った」(川口マーン恵美氏)では、ヒトラーナチスを絶対悪として、研究などが禁じられていると述べてあります。

ドイツの暴走を許してしまったのは、ヒトラーナチスが台頭してきてしまったせいだ。このように原因と結果を決めつけているのです。

 

これには非常に無理があります。なぜなら、それはその当時の国際情勢が色々と関係して起こった事だからです。

また、悪いのはヒトラーだけではありません。スターリンなどの、それ以前にも粛清などを行って人間はいます。それなのに、ヒトラーを絶対悪と決めつけるのは、どう考えても無理があるでしょう。

 

本書で書いてある事は、こういう事です。

政治を考える上でも、あまりにも原因と結果を求める事は、ありもしない悪人を生んだり、人々に間違った理解をさせてしまいます。

 

ある現象には、政治、経済、軍事、技術など、色んな要素が関わり合っています。

そして、社会や政治を考える上では、人間の感情を考慮しなければいけません。

人の気持ちは100人いれば100通りありますから、それを非常に複雑です。それを考慮すると、簡単に誰かのせいにしたり、ある物事のせいにしたりすのは、あまりに強引だというのが分かるでしょう。

 

物理や数学などの社会科学では、原因と結果はすごくハッキリしています。

ボールを蹴れば飛んでいきます。こうだからこう、という因果関係は、分かりやすいです。

 

ドラマ「ガリレオ」の湯川先生は、「現象には必ず理由がある」と言っています。

それは物理学の世界ではそうだけど、政治学など社会科学の世界ではそうでも無いんですよねぇ。

もちろん湯川先生はその辺も分かっているはずですが。この辺を勘違いしている人も多そうですし。怖いですね。

  

こう書いている僕ですが、読むまでそれに気づきませんでした。

悪人を探し出して、また時には作りだして、問題を解決しようとするクセが人間にはあります。

でも、多くの人間が関わり合っている社会の中で、多くの場合それは正しくないし、自分がその犯人捜しの被害者になるかもしれません。こう考えると、恐ろしいでしょ?

 

そして、この部分を読むと、犯罪者をどのように扱えば良いのかという疑問も浮かんできます。

 

確かに人を殺したり、金を盗んだりするのは良くないです。どんなことがあっても。

しかし犯罪者も、様々な事情が関係して犯罪に手を染めてしまう場合がほとんどです。

本書でも、「悪人は最初から悪人だった訳では無い」、「誰でも悪人になりうる」と述べられています。

ホントにその通りで、誰が凶悪犯罪者になってもおかしくないのが世の中なのです。そんな中、犯罪者を「アイツは凄く悪い奴だ」とか、「死刑にしろ」と言うのは、非常に危険ですね。

 

僕も「悪い奴はすぐに死刑にしろ」と言ってしまう事があります。

もちろん、どうにも救いようがない場合もあります。が多くの場合、犯罪者にも理由があるので(認めたくはありませんが)、どう扱うかは非常に難しい問題だと思います。

僕は常々、殺人の量刑が軽すぎると思っています。今でも厳罰化を臨んでいる事に変わりはありません。

でも、果たして犯罪者を絶対悪として良いのか?ここは迷う所です。ヒトラーナチスと同じように、より慎重な研究が必要でしょう。

 

いずれ、社会学とは、因果関係で説明できない事が多いので、それを求めすぎるのは危険だ、という事です。面白い!

 

 

ちょっと引用しすぎたけど、他にも面白い事が書いてあります。

社会を知るうえで、すごく良い本になると思います。

短くて読みやすいので、読んでみましょう。

 

 

 

 

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