『鬼滅の刃 無限列車編』は、やはり煉獄=竈門≒イマヌエル・カント。
こんにちわ、無職ロックンロールのなおっちです。
コロナ禍でも安定の無職でも飯は食えています。良いんだか悪いんだか.....。
さて、鬼滅の刃無限列車編を見てきました。
やはり、鬼滅は哲学的な示唆をくれる作品です。連続アニメの頃から、主人公の竈門炭治郎の行動に、それが現れています。物質的なメリットが有るわけではないのに、彼は厳しい修行を経て、鬼殺隊の一員として戦いに出ます。それは鬼を殺して世界に平安をもたらすこと、妹のねず子を鬼から人間に戻すこと、という正義のためです。
んで、今回の無限列車編では、鬼殺隊の中でも重要な柱の一人、煉獄杏寿郎(通称煉獄さん)が登場します。彼は炎を操るので炎柱(えんばしら)と呼ばれています。
その煉獄さんが、主人公の炭次郎と鬼退治に出掛ける訳です。むしろ、本作の主役は煉獄さんと言っても良いでしょう。煉獄さんの心、価値観がテーマになります。
無限列車で夢を操る鬼をやっつける事が任務だったのですが、その後に何故かもっと強い鬼(上弦の鬼)が出てきてしまいます。煉獄さんはそこで「鬼にならないか?」と問われます。その鬼いわく「鬼は死なないし衰えないから一生鍛錬して技が磨ける。強い奴が衰えていくのを見ているのは嫌なんだ」、と。
しかし、煉獄さんは「それは僕の価値観とは異なるから」と断ります。ここに煉獄さんの、人間はいずれ衰えて死ぬものですという心、価値観が出てきます。映画のポスターに書いてある「心を燃やせ」とは、このシーンの事です。一生衰えないし死なない、という利益があるのに、煉獄さんはそれを断って、自分の生き方を貫きます。ここがまさにカントの「定言命法」が現れている所です。
まぁ、そもそも煉獄さんが死なないことにメリットを感じていたかどうかは分かりませんが。真っ当な人間なら、一生死なないのは、それはそれで地獄だと感じるものだと思いますが...。
確かに、涙する人がいるのは分かりますねぇ。僕は流石に恥ずかしいので泣きませんでしたが。それこそ煉獄さん風に言えば、「穴があったら入りたい」という事ですよ。ただ敵を倒すことに面白みを見出すだけの作品にとどまらない素晴らしい作品になっています。こりゃアニメの続きを早く見たい!て言うか、アニメまだ作ってないのかな?詳しい方いたら教えて下さい。