【就活失敗】17卒の大学生が売り手市場で内定が取れず、半鬱状態になり無職になった話①
僕はこの通りニートである。
アベノミクスで売り手市場が続く17年に大学を卒業しながら、内定一つ取れなかった、いわゆる超負け組の人間である。
そんな人間が他に居るのか?と考えてみても、まったく思い当たらない......。
同じゼミの人間ももれなく就職した。途中まで一緒にいた連中も恐らく公務員かそれなりの会社に入って、社会でそれなりの地位を得ていることだろう.....。
高校の同年代の人間も、おそらく仕事をして、それなりに充実した暮らしをしていることだろう。
毎日朝早く起きて、出勤して、会社で働いて、たまに同僚と酒を飲んで、会社の愚痴を言って、テレビドラマのサラリーマンのような暮らしをしているだろう。
だから、僕は非常に恥ずかしい....。おかげで外に出ても帽子とサングラスが欠かせない。
もし地元の同級生に会ったら、マジで面倒なことになる。
「今何してるの?」と言われても、「え......」と言葉に詰まり、「もしかして、プー?」と笑われるのが目に見えているからだ。
ただでさえ会いたくもないのに、こんな状態であったらさらに悲惨なことになる。だから、こうして身を隠しているのだ。
幸い、両親は僕の事情を分かってくれている。実家で、何不自由なく(無職という罪悪感は除いて)暮らしている。
もちろん、納得している訳ではないだろうが、今はとりあえず仕方がないという感じだ。
何でこんな状態になってしまったのだろう?
以前、自分が忌み嫌っていた「ニート」という存在に、なぜ自分がなってしまったのか?それを、今回は考えたい。
もし、今就職で悩んでいる人間がいたら、この記事を見てクスッとバカにしてくれれば良い。
大学生活を振り返る。
まず、僕だってニートになりたかった訳ではない。
むしろ、大学にもそこそこ真面目に通っていた。
そんな大学生活を振り返る。
何とな~く地方の国立大学に入学。
まず、僕が入ったのは、偏差値的にはかなり下の方の国立大学だ。
別に入りたかった訳でも無いけど、センター試験の点数的にそこにしたのだ。
A判定だったから、落ちるわけはないと思っていたが、まぁ普通に受かった。
田舎の特に面白いモノも無い街で、僕の大学生活は始まった。
しかし、既にここから、僕の就職活動の失敗は始まっていたのかもしれない。
1年生の頃は、やや遠い所から駅に行って、そのあと電車に乗って、それなりに頑張って通っていた。
駅にも大学にも遠いし、寒くて水道が凍るような部屋だったが、今思えばあの時が大学時代で一番良かったかもしれない......。
その時は、「就職なんてどうにでもなるでしょ」と、まだ就活のことなんて考えてもいなかった。
対人関係の苦手さはさらに増し、ただでさえ居ない友達も、当然ながらできなかった.....。
後になって友達っぽい人は出来たが、今現在連絡すら取っていない。所詮、それくらいの関係だったということだ。
サークルに入ってみんなと何かに取り組むとか、そういう事もせず、フラっとただ何となく過ごしていた.....。
今思えば、そんな暮らしが、後の就職活動の失敗につながったのかもしれないと考えている。
今思うと、あの時からプログラミングとか英会話とかを必死に学んでおけば、すご~く武器になったのになぁ。
大学生のみんなは、ぜひ一年生から、スキルに投資しておいてほしい。
2年生になっても状況は変わらず.....。
そんな状況は二年生になっても変わりはしなかった....。
いつものメンバーで集まって、コンビニでテキトーにバイトして、毎日のように酒を飲んで、とにかく目標もなくテキトーに過ごしていた。
そこには”自主性”という考えが無く、ただ受けるべき授業を受けて、教授に言われた勉強をして、単位を取得して、という日々だった。
この時も、「まぁ、就職なんてどうにかなるだろ....」と思っていた。
アベノミクスで売り手市場となると予想されていて、入ったゼミの先生も就職支援室の人だったから、「いざとなったら助けてくれるだろ......」と思っていた。
その時から、はたらくどっとこむ とかでリゾートバイトをしておけば、面接の時に積極性をアピールできたかもしれない......。
今思えば、それは全て甘えだったのだと思っている........。
3年生で就職を考える時期になっても行きたい業界、会社が定まらず.....。
さて、そんな僕もいよいよ三年生になった。
しかし、就職といってもボヤっとしか考えておらず、なんとなく「働きたくないなぁ」と思っていただけであった。
春休みに横浜に行ったり、相変わらずテキトーにそこそこ楽しい暮らしをしていた。
しかし、流石にヤバいと思ったので、夏休みにSPIの勉強を始めたりと、何かはしていたが、やはり具体的に就職という事へのイメージは沸かなかった。
そして、秋ごろになると、僕の少し不安定な精神状態が顔を出し始めた。
もともと、ちょっとムカつきやすい性格ではありましたが、それがここに来てさらに酷くなっていった。
そのせいで、この時期に、友人らしき人間の全てを失った....。もともと一人で何かをするのは好きだったが、コレで正真正銘のぼっちになった。
その後もゼミの人間で話をしてくれるのは居たが、それほど仲が良いという訳でも無かった.....。
ますます、人間関係が苦手になってしまったが、それでも就職はしなければいけない。
だから、就職活動っぽい事をした。行きたい業界のことを調べたり、そんあ事をしていた。
が、そんな事をしても、働くことへのイメージは湧かないし、行きたい会社なんて所は無かった。
僕は社会や学校というモノへの不信感を常に持っていたし、ましてや「会社」という組織を信用できなかった。
どうせ、汚い人間たちがアレコレと不正を働き、理不尽な想いをする人間が絶えないのだろう、と.....。
そのせいか、「働きたくない」という思いの方がどうしても上回ってしまった。
なので、就職へのイメージをしないようにしていたのかもしれない......。
冬に名古屋に行ったりで、色々と楽しんではいた。映画館に一人で行ったりして、楽しんでもいた。
その時も、「まぁ、就職なんて、どうにかなるだろ.....」と思っていた。売り手市場だし、どうにかい会社に就職できるだろう、と。
しかし、その考えは甘いと、後に気付かされるまで、そう遠くは無かった......。
3月に入り、周りが内定を取っていいく中、自分がとてつもなく後れを取っていることを理解するのだった.....。
もっと前から、【ミイダス】 とかで色々調べておくべきだったなぁ.....。
ない内定。精神と人生が壊れ始めた4年生。
さて、遂に4年生になり、就職活動をして内定を取っていかないといけない時期に入った。
しかし、一向に就職活動は上手く行かず、書類審査に通って、遠くまで時間とお金を掛けて面接に行っても、「残念でした」と一言で不合格を告げられる日々だった。
当然、交通費と時間が返還される事は無い。経済的に余裕がある訳ではない大学生のお金が、半国営企業とも言えるJRの収益となって、消えるのだった。
そんな状況に、僕は理不尽さを覚えるのだった。
「面接に来てください。合格なら、次に進めますよ」というのは確かに普通だが、そこまでの時間とお金を掛けて行って、不採用になるなら、一体なんのために行っているんだ?という気になった......。
そんな日々が6月まで続き、遂に僕は就職活動を辞めた.....。
「もはや僕には無理だ.....」という諦めが半分、「交通費と時間を掛けて面接に行っているのに、落ちると交通費の1円も返って来ないのはどういうことだ?」という理不尽な社会への抵抗が半分、その時はそんな気分だった......。
そんな中、時間だけはどんどん過ぎていく.....。周りは内定を取ったとか、ネットには「既に半数の学生が内定を獲得」だとか、そんな話題ばかり目にするようになった。
「何で、何で売り手市場の中、僕だけこんな目に......」と、自らの存在価値を疑った......。
しかし、当時の有効求人倍率は約1.5倍。単純計算で一人の学生に1.5社の内定が用意されている状況だ。
つまり言い換えると、一人の優秀でコミュ力も抜群な学生に内定が3つ出て、僕のような優秀でも無くコミュ力もない人間に内定が0でも、数字的には1.5なのだ。
こんな状況は、どんな人間にも容易に想像できるし、実際にそのような現象はどこでも起きている。
つまり、僕が内定を取れない事は、いたって普通の事だったのだ.....。
それを、就職活動もほとんど終わりかけていた11月に気が付いた.....。
そして、僕の精神はどんどん病んでいった。
ありもしない事を思い浮かべて、落ち込んだりするようになった....。
その頃の僕の楽しみは、夜に飲む安い酒と、スーパーの半額のお惣菜、そして映画館で見る映画だった。
酒を飲んでいる時は、「自分は何でも出来る」という錯覚にも疑いなく浸れた。
映画を観ている時は、状況が非現実なので、いつもとは違う雰囲気に浸れた。
この時だけは、辛い現実も忘れられた。
しかし、酔いが冷めると、辛い現実が目の前に現れた。
どうしようもなく、また酒を飲んで逃げる.....。この繰り返しの日々だった.....。
その時、僕の話を聞いてくれる人間は、たった一人だった。
その頃、さすがに内定を取っていないとは言えなかった。内定のあるふりをして、僕はその人との会話もどうにか乗り切った。
その人の良い所は、就職のことをほとんど話さない事だった。僕はその人と話すのが、わりと楽しかった.....。
そんな日々も終わり、遂に僕は内定を取れないまま、学生生活を終えた。
高校生の頃、無職のコーチが毎日意味不明の指導をしていてた。
僕はその男を見て、「こんな人間にだけはなるモノか!」と、「無職」というものを世界で一番嫌っていた。
にも関わらず、僕はその無職、かっこよく言うと「ニート」になってしまった。
やれやれ、人生は何が起こるか分からないなぁ.....。
僕が内定を取れずに無職になった理由。
僕が内定を取れなかった理由を推察すると、
・自主性の無さ
・コミュ力の欠如
・人間関係のなさ
・就職への関心の無さ
・目立ったスキルの無さ
だと思っている。
小さい頃から友達もいなくて、一人で遊んでいる方が好きだった僕は、結局年をとっても変わる事なく、コミュ障だった。
しかし、社会に必要なのは、コミュ力に優れている人間だ。僕みたいな奴は99%社会に不要だ。
そして、思い返してみれば、僕は主体的に行動をした事がない。
何となく高校に行って、何となく大学に行って、という人生だった。
しかし、特に勉強したいことがあるわけでも、大学に行きたい訳でもなかったのだ....。
そんな僕は、就職する時になって、初めて主体性を求められたが、それまで発揮したことが無いモノを、その時に急に出せと言われてもムリだったのだ.....。
また、コミュ力が無くても、目立ったスキルがあれば、それを売りに内定が取れただろう。
ただ僕は、就職に向いていなかった。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、そういう事らしい。
無内定にならない為に、どうしたら良いのか?
では、僕のような無内定にならないようにするには、どうしたら良いのか?
1.スキルを身につける。
まず、一番の解決策はこれです。
スキルは、学歴と並んで、その人の能力を一番の示すものです。
言葉で色々と説明するよりも、「〇〇大学を出ました」とか、「〇〇の資格を持っています」という事実の方が、圧倒的に強いです。
特にコミュ障の皆さんは、口で説明するのはあまり得意では無いでしょう。
なので、学歴やスキルという事実で、勝負しましょう。
下手すれば、それだけで独立して仕事が出来るかもしれないですし......。
おすすめは、英語とプログラミングです。
まず英語は、やはり多くの企業でも重視しています。
楽天では、社内の言葉が英語になったようです。他にもTOEICスコアをエントリーシートに記入させる企業も多いです。
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そしてプログラミングは、将来的にプログラマが人手不足がになると予測されているので、長期的に見ても長く使えるスキルです。
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2.成功体験を積んでおく。
次に成功体験があると強いです。
「こういう実績を残しました」という事実は、やはり強いです。
やはり企業は利益を出す所なので、「これだけお金を稼ぎました」という実績が強くなるでしょう。
しかし、ただのアルバイトだと、周りの人と差別化しにくいです。
なので、少し変わった所でアピールしましょう。
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