ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

17卒の大学生が売り手市場のなか内定なしで、半鬱状態になり無職になった話②

f:id:naocchi3:20180811143713j:plain

 

皆さん、こんにちわ、今日も元気にニートのなおっちです。

 

先日、僕がニートになった経緯を説明した。

大学時代は普通に勉強もして、そこそこの成績で卒業もしたのだが、就職活動というものの進め方がまったく分からず、なるべくしてニートになったのだ。

 

いや、ホントに就職戦線は複雑怪奇.....。色んな会社も見たし、早めに採用を開始している会社がほとんどである事も知っていたが、それでも内定は無かった....。

 

何でみんな、そんなに早くに内定あるの......。僕はそんな気分だった。

その時点で、僕の負けは決まっていた.....。しかし、それは大学生活やそれ以前の自分の学生時代、性格から仕方ないことだったのかもしれない......。

 

その事についてはこちらに書いているので、暇があったら読んで欲しい。

naocchi3.hatenablog.com

 

さて、今回は、見事に内定を取れずに大学を卒業した後のことを書いていきたい.....。

 

ホテルのバイトを1カ月でクビになる。

f:id:naocchi3:20180712175303j:plain

 

大学を卒業したあと、とは言っても厳密には大学を卒業する2カ月ほど前、僕はバイトを始めた。

慣れないホテルの宴会場という場所だったが、他の人も普通の感じで、悪い所では無かった。

宴会中はあまりする事が無く、スタッフ同士で喋ってることも多かった。比較的女の人が多い場所だった。

 

ビールを用意したり、食べ物を並べたり、その後の片付けをしたりする仕事だったが、そんなにキツい感じでは無かった。余った食べ物を食べられることもあったので、僕にとってはそこそこ良い感じのバイトではあった。

 

その中には、男の人もいた。その人は、僕と同じ大学を2年留年しているという、ちょっと変わった人間だった。

その人は、勤務が終わった後、「飯でも食いに行かぬか?」と尋ねて来た。僕はその後の予定など無かったし、別にそれほど嫌な人間でもなさそうだったので、その誘いに応じることにした。

 

向かったのは、駅前にあるごく普通の居酒屋だった。僕らは飲み放題ともつ鍋と、チキン南蛮を頼んだ。最初に来た生ビールを飲み、僕らは何となく談笑を始めた。

 

その男はとあるレンタルビデオ屋でもバイトをしているようだった。そのせいか、映画にやや詳しいらしく、僕の観た映画についても知っているようだった。僕は初めて他人に感想を話したが、分かってくれる人がいて少し嬉しかった。

 

その男は、麻雀に明け暮れ、勉強がいい加減になってしまったため、二年も留年しているという事だった。しかし、その割には人生を楽しんでいるようだった。こんな人間も居るんだなぁと、感心した。

話してみると、それなりに気の良い人間だったと思う。久々に人間の優しさに似た何かを感じた瞬間だった。

 

頼んだ料理はそれなりに美味しかったし、お酒も色んな種類があった。ビールは5杯くらい飲んだし、その他にもかなりの量の酒を飲んだ。

 

会計はそれなりに高くついたはずだった。その会計を、彼は全て払うと言ってきた流石に僕も楽しい思いをしたので、全てという訳にはいかないと思った、だから、1,000円だけ渡した。

彼は、その後タクシーに乗り込んで、帰宅した。僕は自転車を押して帰った。街は酒を飲んだらしいサラリーマンなどで溢れていた、人口50万人にも満たない、役所と大学と居酒屋以外に何もないような街だったが、平日の夜はこんなにも混むものなのかと思った。

 

その後も、僕は何となくそのホテルのバイトを続けた。他人と関わるのが苦手な僕でも、それほど嫌では無かったし、むしろ少しでも必要とされている感じがして嬉しかった。

 

酒を一緒に飲んだその男と、またシフトに入る日を、僅かながら楽しみにしていた。決して酒を奢ってくれた事ではなく、彼という人間の楽観的な性格が、多少気に入ったのかもしれない。

 

しかし、彼と会う事は二度となかった。

ある3月の日、そのホテルから電話が鳴った。「ちょっと時間良いかな?」という社員は続けて、「申し訳ないんだけど、今日で終わりという事で.......」という、自分でも耳を疑うような内容だった。一瞬、僕は状況を理解できなかった。

しかし、僕は反論することなく、それを受け入れた。その人の言葉を電話越しに聴いて、僕が応答するまで、一体どれだけの間が空いただろうか?人は衝撃を受けると、応えるまでに数秒掛かると言われるが、まさにそんな感じだったと思う。こうして、何となく居心地の良さを感じたホテルとは、そこで縁が切れた。

その男とは、二度と合う事は無かった。

 

僕はその晩、現実に戻った気がした。「お前なんて必要ない」という社会からのメッセージを貰い続けた一年間で、今までよりも更に強い疎外感を感じ続けた。それが、ホテルという場所を追いだされることで、さらにそれを強く感じるのだった。

そこで僕が学んだのは、世の中のあらゆる物事から、適切な距離を置くことだった。とは言っても、自分から距離を取るというより、社会から距離を取られている気もするが。

 

こうして、僕の空虚な大学生活は幕を閉じた。

今まで、受験などは全てどうにかしてきた僕だが、就職活動という場では、それは通じなかった。

 

 

レンタカー屋でバイトを始めるも、社会の厳しさを目の当たりにする。

さて、僕はホテルをクビになった翌日、スグにとあるレンタカー屋の求人に応募した。

生ぬるい風が吹く、冬とも春とも言い難い天気の日だった。

 

40代くらいの女が対応した。面接の感じは、なかなか悪くない感じだった。

「なおっちさんは、何でここを志望したのですか?」

 

その1週間後の、三月の日、僕は採用の連絡を受け取った。

 

それから一週間後、僕はとあるレンタカー屋で働くことになった。

 

そこで待っていたのは、とても奇妙な人間たちだった。

しかし、彼らからすれば、大学を出て就職もせず、しかも地元でもないレンタカー屋に来る僕の方が、よっぽど奇妙だったに違いない.....。

 

最初こそ、それなりに良い感じの人間たちだった。

地元の人間で大学を中退した、すこし、と言うよりもかなり太っている人間は、最初こそよく話してくれる人間だった。

 

しかし、少し時間が経つと、その男は態度が変わって来た。それどころか、僕のする事に、手を広げて疑問を呈すようなしぐさをするようになった。

 

ある日、僕が飯を食った後、Tシャツ一枚でスマホをいじっていると、「あのさ、なおっち君さ、今〇〇さん迎えに行っているよね?それで、君は制服も着ないでスマホいじってるってさ、それ違うと思うぞ」

と言って、僕を睨んできた。

 

僕はその時、激しく憤りを感じた。しかし今思えば、それは当然の事だし、彼が起こるのも普通だと思った。

 

その他、そのレンタカー屋には、頭髪が薄く(というかほとんどハゲ)で、耳が聞こえないおじいさんがいた。口からはタバコとだ液の混じった妙な異臭を放つ男だった。

 

その男に、僕はなぜか説教をされた。理由は、僕の運転するクルマが迎えに行くのが遅かったという事だった.....。

それについては申し訳ないと思った。5月の熱い中、少しでも待たされるのは、僕でもイライラしただろう.....。

しかし、僕だって信号待ちとかで色々あったのだ。すこし遅れるくらいは仕方が無いことだと思う。それなのに、僕が一方的に怒られるのは、妙に納得がいかなかった。

しかし、その報告は、上にも当然行っていた。のちに僕を苦しめる、契約社員の50代にも、僕は当然怒られた。

 

そして、僕は車をぶつけてしまった。レンタカー屋というのは、クルマが帰って来ると、駐車場にスペースが無いほどクルマが多くなるのだ。そこで、狭い間を通ろうとしたら、ゴツンと音が鳴り、僕は乗っていた乗用車と、止めてあった軽自動車のキズが付いているのに気付いた。

 

それを報告すると、当然店長からもその契約社員からも怒られた。まぁ、それは当然である。レンタカー屋をやっている以上、クルマは常に綺麗に保たなければいけない。僕は車を傷つけたし、それは絶対にやってはいけない事だというのも知っている。

 

しかし、僕はそれだけに、妙に情けない気持ちになった。なにせ、就職活動において内定を取れず、このような(と言ったら失礼で申し訳ないが)、場所に居て、そこでも必要とされていないと思うと、僕の居場所はどこにも無いのではないか、とすら思った。実際、そうだから就職も出来ないし、どこに居ても居心地の悪さを覚えるのだ、と。

 

言い訳をするつもりはないが、その禿げていて口から異臭のするおじさんも、クルマは何回もぶつけているらしい。

 

その後、僕のその場での「仕事が出来ない度」はさらに増していった。昼休みに怒って来た男も、僕を見下すような態度で接してきた。まぁ、仕方がない事だし、僕が同じ立場でもそのような態度を取るだろうが......。

 

そして、生ぬるい風と共にやって来た、僕のその職場での生活は、2カ月という短い期間で終わる事になる。

僕はその契約社員の言う事に口答えをし、反感を買った。きっと、彼も僕の仕事の出来なさに、嫌気がさしていたのだろう。

僕も、その人間との関係にはうんざりしていたし、これ以上、もはや続けてもその関係が改善する見込みは無かった。本来は、僕から態度を変えるべきだったが、その人間は他の人間の悪口も言っていて、一緒に居たくなかった。なので、僕は翌日、面接をした中年の女性に電話で退職の意思を伝えた。

 

その時、彼女は全く引き留める感じも無かった。彼女は、僕に対して怒ったりはしなかったが、おそらく僕の事を嫌っていたのだろう。まぁ、当然である。

 

就職活動、ホテルでのバイトと続いた僕の敗北は、ここでも続くのだった。

 

しかし、クルマをぶつけたり、迎えに行くのが遅れたり、昼休みに一人でくつろいでいたり、そのくせ口答えをしたりで、すごく自分に非があったと思っている。今では申し訳ないと思っている。その時、口答えをするべきでは無かった。

 

クルマの運転を多くさせてもらえた。おかげで以前よりも運転が上手くなった。路上で事故は起こしていない。

実家のクルマをたまに運転する今でも、当時のレンタカー屋での経験は役に立っている。そういう意味では、やって良かったと思っている。

 

それから......。僕は徐々に体調を崩した。

就職活動の失敗、ホテル、レンタカー屋での事実上の戦力外通告......。

僕を受け入れてくれる場所は、どこにも無い......。

そんな思いから、僕は体調を崩した.....。

 

実際には起こっていない事を思い浮かべて、イライラしたり、落ち込んだりする現象が出始めた。こういうのを、社会では統合失調症というらしい。

 

この状態で、流石に就業は難しい。時々ぼおっとしたり、イラッとしたり、一人で何かを話し始めたら、そりゃ同じ職場の人間も気持ち悪く思うだろう......。

 

僕は大学4年の時から、出口の見えないトンネルに入ってしまったような気がする。

実家暮らしで、酒を買ってきて飲むくらいは出来ている。むしろ、他の人からしたら羨ましいと思うかもしれない。「ニートのクセに酒飲めるなんて良いなぁ」と。

 

しかし、社会から認められない上に、病気を抱えてしまった自分には、酒くらいしか救いが無いのだ。それを想えば、それが決して幸せな状態では無いことは分かるだろう。

昼間は何も出来ない自分にイライラし、夜はそんな気分を酒を飲んで誤魔化す。ゲームをしたり、映画を観たりして、楽しいと思う時もある。が、基本には「自分は社会から必要とされていない」という残念感がある。だから、何をしても、残念な自分に戻ってしまうのだ。

 

基本的に、ニートは何をやっても、必ず残念感が付いてくる。これと闘いながら生きていくのは、非常に辛いモノがある。

 

僕の闘いは続いていく.....。

[ぼっちですが何か?]は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。