引退。鹿島、小笠原選手や鹿島について少し書いてみた①
今年は名選手の引退が多いですね。
横浜F・マリノスの中澤佑二選手や、名古屋グランパスの楢崎正剛選手が引退を発表しました。
んで、もう一人、小笠原満男選手も引退しましたねぇ...。
僕は鹿島アントラーズのファンなので、この人の引退が一番ショックでしたねぇ...。
僕はサッカーを始めたころから活躍していた選手でしたねぇ....。思い出深いです。
いつまでも現役だと思ってましたが、くる時は来るんですね。同時に自分も歳を取ったなぁと思うばかりです。
んで、あまり触れることはありませんでしたが、小笠原選手や鹿島について、少し書いてみます。
目次
①2002~2006年
2002年:少しだけ小笠原選手を知るようになったかな....。
僕がサッカーを観始めたのはこの時だったかな....。
他にも活躍している人はいましたよ。小野選手とか、中村俊輔選手とか、中田選手とか、最近だとヤットさんとか人気ですね。
しかしね、何かね、やはり小笠原選手には何か見るべき所があってねぇ....。
それが何かは今でも分かりませんが、まぁ当時から一目置かれる存在だったんです。
2000年には三冠、前年の2001年にはジュビロ磐田とのチャンピオンシップで決勝ゴールのフリーキックを叩きこみました。
あのシーン、実は僕リアルタイムで見てなかったんです...。観始めたのは、翌年のワールドカップの辺りでしたねぇ...。
最初に彼のプレーを観たのもこの時ですねぇ...。
最初に出場したのは、チュニジア戦の後半からだったかな...。
出て来ると、いきなりハーフライン際からロングシュートを放ち会場を沸かせました。ゴールはなりませんでしたが、それでもインパクトとしては十分でしたねぇ...。
その前に日本はロシアとの試合に勝利しています。
「6月の勝利の歌を忘れない」というドキュメンタリービデオを見て分かったのですが、
その時の小笠原選手は、なぜかムスッとしてましたねぇ...。
一応、トルシエに「準備しろ」って言われてたんです。
しかし、ロシア戦で出番はありませんでした。
それで少しアレだったのかな?というのは僕の勝手な推測です。
いずれ、試合に出たいという気持ちの現れでしょう。
鹿島では浦和とのナビスコカップ決勝でゴールを決めました。
サイドに流れた柳沢からのボールを左足で蹴ったら、浦和の坪井に当たってそのままコロコロっと入ってしまったのですが、まぁゴールはゴールです。
それで優勝して、ニューヒーロー賞とMVPを受賞しました。
この時は、まだ若いという言葉が凄く当てはまる時でしたねぇ...。今見ると、今の小笠原選手は別人と思えるほどですねぇ。
まぁ、そんなこんなで、彼の事を少しずつ応援するようになりました。
2003年:目前で優勝を逃した2ndステージ
2003年は、鹿島としては目立った成績は残せませんでしたね。
1stステージは振るわず7位くらいだったかな...。
途中のナビスコカップでは、決勝まで行くものの、勢いに乗る浦和に4-0と大敗を喫しました。
DF陣が浦和の攻撃陣に付いていけず、エメルソン、田中達也、山瀬などに立て続けに得点を許しました。
そんで当の小笠原選手も、後半に田中達也を後ろから倒して退場...。たまにこんな事もありましたねぇ....。
2ndステージは、終盤の追い上げで優勝争いをしました。
13節のマリノス戦では、ユサンチョル選手に倒され相手の退場を誘い、ミドルシュートで同点ゴールを決めると、逆転して2-1と勝ちました。
そして、14節のレイソル戦では、ロスタイムに決勝ゴール。マジで神ってましたね...。これでどうにか優勝争いに残りました。
そして、最終節は浦和戦。ナビスコで負けているだけに、因縁の相手です。
鹿島と浦和の因縁はこの辺から始まったような気もしますね。
んで試合は、けが人続出でメンバー編成に苦しむ鹿島が優位に進めます。
左サイドバックの石川竜也選手のクロスのこぼれ球を叩き込み先制点を挙げます。
続いて若き日の青木剛が左足で追加点...。
後半に1点返されるも、リードして終盤へ...。
優勝争いをする他会場の磐田vsマリノスは、マリノスが一人少ない中、1-1から久保のゴールでまさかの逆転..。
このままいけば鹿島が優勝....。お、コレ行けんじゃね?みたいに思ってました。
が、エメルソンに同点ゴールを許し、目前で優勝を逃しました。
あれほどの悲劇は後にも先にも無かったかな...。ってくらい覚えていますよ。
しかし、この後の鹿島は既に世代交代の途中で、なかなか勝てない時が続いて、そんな時に観始めたもんだから、「常勝軍団」というのは少し分からなかったな...。
どっちかと言うと、マリノスとかレッズとか、ガンバが強くて負けていたような気が...。特にレッズはこの時からウザかったなぁww。
2004年。不調の中、一人気を吐く。
2004年は、鹿島としてはパッとしないシーズンでしたねぇ..。
1stも2ndも4-5位くらいだったかな...。
しかし、そんな中でも彼は点を決めたりで頑張ってましたねぇ...。
この年、特に印象的だったのが、2ndのホーム浦和戦です。
小笠原選手も、フェルナンド選手からのクロスボールをトラップして左足で決めました。あのトラップ上手かったなぁ~。
んで、コーナーキックから岩政選手のゴールアシストもしました。1ゴール1アシスト、個人としてはまさに素晴らしい活躍です。
しかし、またもエメルソンにキレイなミドルを決められ3-2で負け。
試合の後、本田泰人選手とサポーターの一部がゴール裏で揉めるシーンもありました。
NHKの放送に映ってしまいましたね。
んで、この年は僕も実際に見に行きました。
5月の柏レイソル戦だったかな。国立でした。
確か相手には若き日の玉田とか、のちに鹿島に加入するリカルジーニョとかが居たかな。あと近藤直也、永田充など、後に代表にもチラホラと出てくるような人もいたり。
んで、肝心の小笠原選手はまさかの累積警告で出場停止wwww。
なんだそりゃ?
試合の方は、終始押され気味。でも何とか耐えてロスタイムまで行ったら、何と石川竜也選手のゴールで1-0で勝利しました。
うおおおおお~~なんだそりゃぁぁ........。まぁ小笠原選手は出てなかったけど嬉しかったですね。
試合前には当時人気だった鈴木亜美が「be together」を歌ったりしていました。
後ろでレイソルのユニを着た兄ちゃんが大声で歌っていたのを憶えています。まぁあれも良い思い出です。
そんなこんなで、まぁ直接見る事は叶いませんでしたが、まぁ面白かったですね。
2005年:またも観戦しに行くも、小笠原選手まさかの....。
そんで2005年。
新加入のアレックス・ミネイロの活躍や野沢君の台頭などで、序盤こそ好調で首位を独走しました。深井とかもいましたねぇ懐かしい。
が、徐々に失速して、優勝は出来ませんでした。
しかし、代表の方では色々ありましたねぇ~。
30mほどある距離からのフリーキックを見事に右隅に決めました。
その後日本は追いつかれるも、ロスタイム、右サイドからロングボールを放り込み、ドラゴン久保のゴールを演出しました。
んで、後のバーレーン戦では、パスワークの中からタイミングをズラして右隅にシュートを決めました。
曰く「ゴールにパスした」というシュートでしたねぇ...。いやいや、キレイなコースを狙ったシュートでした。
んで、またもこの年身に行きましたよ。
天皇杯の大宮戦でした。12月24日で場所は仙台。
小笠原氏は先発出場です。
この試合も相手は凄く動きが良かったですね。
んで、相手のスピード感のある攻撃から決められリードを許します。
そして、小笠原氏は後半に退場...。
なんでやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~!
んで試合も1-0で負け。ほろ苦かったですねぇ...。
観戦に行くと、小笠原氏は何かありますねぇ...。
まぁ良いんです。これも思い出です。
後に大学生になった時に、いっぱい価値を見させてもらいますからね....。
2006年:再びワールドカップとイタリアに挑戦。
んで、この頃は、僕的にもサッカーで色々ありましたねぇ...。
少し広い地域の選抜に入ったりして、少しサッカー熱が高まった時期でしたねぇ...。
んで、ワールドカップのドイツは、チーム的には少し残念でした。
が、小笠原氏は主軸として活躍してくれました。
正直、ジーコジャパンで良い時って、国内組で3バックの時だったなぁって思ったり。
「いきなり来た海外の人が連携も取れないまま先発で出るのは.....」、など、当時の選手起用に不満を漏らしていたような、そんな事もありましたねぇ...。
んで、その後にイタリアにいきました。
その前の試合(確か広島戦)で、少し精彩を欠いていたのが彼らしくないなぁと若干。
おそらく鹿島でやるのも最後だと思っていたのかな........。
という事で、この辺でひと段落した感じかな....。
この2002~2006年は、チームとしてもなかなか勝てない時で辛かったですねぇ....。
いつも目の前で優勝できないから、「あぁ~なんだよ~」って思ったり。
でも後に3連覇とかやっちゃうんだから、古参のサポーターは嬉しかっただろうなぁ...。
僕的にも、「あぁやっと鹿島が優勝する所を見れたぞ」って感じで....。
まぁ2007年の優勝は劇的でしたからねぇ....。アウェイの浦和で、イバさんm退場で一人少ない中で勝ってそのまま優勝とか、めっちゃ劇的でしたからねぇ....。
その辺のことは次回に書きます。