読書感想:「論破力」 お話をする事が多い人は、読んでおくと役に立つよ~。
気になっていたひろゆき氏の「論破力」を読みました。
2chの開設者で、テレビやネットの討論番組では、理論整然とした語りで「論破王」と呼ばれています。
僕も彼のYouTube配信を好きでよく見ているのですが、面白いんですよね~。
聞いているだけで、新たな知識や意外な考えを知れるので、ホント凄いなぁ~と思っています。
んで、本書は論破力というタイトルで、議論の技術に特化した本です。
誰でもマネできる議論のテクニックや、ちょっと上級向けの人間との接し方だったり、そんな事が書いてあります。
知っていると、普段の討論とかで有利に立てるかも....。
いずれ、今から実践できることが多いので、「どうにかして話し合いを有利に進めるコツを知りたい」という人や、「論争に強くなりたい」と言う人は、読んでみましょう。
文系の議論はイージー
ここでは文系と理系の人の議論の違いについて述べています
テレビ番組とかでは、じつは本当に専門に特化した人というのは番組に呼ばれていないのですよ。たとえば、理系のテーマなのにコメンテーターの中に理系の学者がいないというケースがわりとあるわけです。それはどうしてなのか。たぶん、理系の人が議論するとすぐに話がおわってしまうから・・・・・・。
理系の人というのは、「こういう資料があります、実験の結果はこうでした、なのでおれが結論です、以上」という話し方で済んでしまいます。その先は、「逆の証明があればお願いします」みたいな「建設的」な議論にならざるをえません。そう言われてしまうと、「そうですね」と合の手を入れるか、「こういう実験もあるので、その実験方法が良くないんじゃないですか」みたいな突っ込みくらいしかできないわけです。
つまり、理系の人たちが集まると、そもそも「あーでもない、こうでもない」という「非建設的」な議論にはならないのですよ。要は、文系の人は事実を放っておいて感情、つまり「その人の思い」で話すから、意見の食い違いがそこここで起こって、番組が成り立つ討論時間がかせげます。けれども、ちゃんとした理系の人を呼んだ討論の時間が短くなって、そもそも番組が成立しないというわけです。
そうなんですよねぇ....。理系のお話って凄く単純で、「こういう事が科学的に証明されています」って言うだけで済むので単純なんですよねぇ....。
数学だったら1+1=2だし、その他でも原因と結果がハッキリしているので、特に難しい事は無いはずです。
でも、文系の場合は、人の感情とか考えとか、すごく不確実なことを扱うので、必ず議論は複雑になります。時には全く話し合いにならない事もありますよねぇ。
特に学校や会社で揉め事があって、話し合いになるけど、基本的にそういうのって不毛なんですよねぇ....。揉め事って、基本的に人の感情のぶつけ合いなので、科学的に証明するとか、そういう議論にはならないわけです。
なので、僕は基本的に文系の話し合いは意味がないと思っています。多分8割くらいの文系の議論は、結論が出ずに終わっているはずです。まぁ、仕方が無いんですがね。
理系の人はだいたいそういう社会で生きていて、スキルという事実ベースで戦う以外にないのですよ。なので、文系の人とはちょっと違うわけです。
事実ベースの話でしか進まない理系の社会に慣れていると、わりと文系の社会は楽なのですよ。事実がなくても議論ができたり論破ができたりします。
企画会議とかで、「オレのほうが実績があるから、オレの言っていることのほうが正しいでしょ」みたいな、根性論的な上から目線の言い方が通用するとか、「正しさ」とはまったく関係のない過去の実績みたいなことで説得できてしまうのは、つまりそういうことでしょう。だからイージーなのです。
理系って、ある真実があって、もうそれには逆らいようが無い訳です。
でも、その真実にたどり着けない場合はきついんですよねぇ。口で何を言っても意味がないし。
でも文系は、とりあえずそれらしい事を言っておけば良いという風潮があります。
だから、たとえ正しい答えにたどり着けなくても、少しくらい評価されることはありますよね。
哲学とか文学のテストで、とりあえずテキトーに自分の考えを書いておけば部分点が貰えたりします。要は、文系は楽と言えば楽なんですよね。「何となくそれらしい」というのが成立するから。
数学や物理なら答えは一つです。その答えを出すために計算とか証明をします。
その答えを出せないなら、その計算とか証明は無意味な物になってしまいます。テストでは部分点が貰えるかもしれませんが。
でも、逆に言えば、理系はキチっと証明をして答を出せばいい訳です。そこに反対意見が入り込む余地は無いので、結果さえ出せばいいという側面もありますよね。
逆に文系の場合は、もっともらしい答えを出して、それを説明したとしても、必ず反論の余地がどこかにあります。理系のように答えを出してハイ終わり!という訳には行きません。
なので、逆に文系の社会の方が難しいとも言えるかも?とも思ってます。
理系の論文には、実験の手順や材料、証拠がはっきり書いてあります。「同じ実験を誰がしてもおなじ結果になりますよ、だから、事実はこうですよ」という書き方ですね。そういう「事実で説得する」、裏返すと「事実でしか説得されない」ことに慣れているのが理系の人なのです。
もちろん、文系の人でもこうした理系的な議論の進め方は十分に可能ですね。
要は、事実ベースで話すことを意識するだけで、誰でも論破力を高めることができるということなのです。
んで、ひろゆき氏は、この本を通して、「事実」が最強だと述べています。
事実は論破されることが無いし、その事実を知っているだけで、討論ではかなり強くなれると。なので、事実を集めることが、一番の論破力への近道かもしれませんね。
「絶対」は禁句。
やはり「論破力」という本なので、具体的な議論の技術も載っています。
ここら辺はかなり具体的な技術が書いてあるので、本書のこの周辺だけでも読んでおくと良いと思います。知っておくと、普段のお話でも有利になるかも。
裏返して言うと、討論では「絶対」とか「必ず」とか「明らかに」とか、いわゆる強調法が口癖になっているような人は、だいぶ不利だということです。
つまり、足をすくわれやすい。自分からハシゴをかけてあまりに高く登っていると、ハシゴの下のほうを外すのが簡単になってしまうのですね。
「多くの場合、人を殺すのはよくないですよね」という言い方なら、もう反論のしようがない。「まぁ、たしかにそうですよね」で終了です。けれども「絶対によくない」とか言った瞬間に、自分で弱点をつくってしまうというか、逃げ道をふさいでしまうわけです。
「多くの場合」と「絶対」は似ているようでいて、ぜんぜん言葉の定義が違います。だからおいらは「絶対」のような断定的な言葉は使わないのですね。
この前に、ほとんどの事には例外があるということを述べています。
そういう訳で、絶対とか言わない方が良いですよ、という所です。
口癖になっている人は、気を付けましょう。
「ネットと犯罪」みたいなテーマで、討論番組とかに呼ばれることがよくあって、おいらが「韓国ではネットは登録制だが犯罪は減ってない」という事実を言ったら、こんな言い方で反論するゲストの方がいました。
その方は、「明らかに」インターネットの生放送や動画によってユーザーを巻き込む形で投稿者が快感を得ているので、犯罪が増加しているといった反論をされていました。
そこでおいらは突っ込んだわけです。
「それ(明らか)じゃなくて個人の感想ですよね?」
ゲストの方はそれを認めるしかありませんでした。
「明らかに」という言葉を使って、あたかも事実であるかのような言い方をしていたので、それはよろしくないなと思って、わざわざ確認したわけです。
当時、おいらはちょうどニコニコ動画の仕事をしている時期でした。もちろん「動画サイトが悪い」という意見を止めることはできませんが、「動画サイト=悪い」が事実のようにテレビで流れるというのは、大げさに言えば死活問題です。
なので、「今のは事実ではない、個人の意見ですよ」ということを視聴者にちゃんと伝える必要があったという面もあるのですがね。
出た!「あなたの感想ですよね?」は、ネット界に語り継がれる名言ですね。
これほどパンチ力の強いワードはあったかな.....。
知らない人はYouTubeとかにも上がっていると思うで、そちらを参照してください。
でも、テレビの影響力は大きいですから、視聴者の印象をミスリードさせてしまう表現には注意が必要ですね。
ちなみに、僕は犯罪が増える最大の要因は「お金」だと思っています。
基本的に、お金があれば人は悪い事をしなくても普通に生活が出来る訳だし、悪い事をするメリットが無いじゃないですか。普通に暮らしてる方が刑務所で暮らすよりも良いんだし。
なので、「インターネットの動画が犯罪を増加させている」というのには賛同できません。多くの人はネットの動画を見たからという理由で犯罪に走ったりしないし、そうでない人は動画に関わらず悪いことはするものですし....。
この後には、著述家古谷常平氏との、これまた有名な議論も紹介されています。知らない人はこちらも見てもらえると嬉しいですね。
お話をする事が多い人はぜひ読みましょう。
色々書いてありますが、本書では「事実が最強」という事が一貫して述べられています。事実に勝るモノは無し!ってところですかね。
詳しくは読んでもらうとして、日常で使える議論のテクニックが書いてあるので、お話をする事が多い人は読みましょう。