ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

『教誨師』 聖職者とは何か?を問う。

こんにちわ、なおっちです。ブログで生き恥を晒す、スーパーの肉屋。正真正銘の社畜ですww。

 

この前はこんな映画を観ました。

教誨師

教誨師

  • 発売日: 2019/04/02
  • メディア: Prime Video
 

 

大杉漣って役者を知らない人もいますでしょうね。亡くなって3年経ちましたから。今の人は誰って感じでしょう.....。言い役者だったんですよ~。もっと見たかったですね。

 

現場者 300の顔をもつ男 (文春文庫)

現場者 300の顔をもつ男 (文春文庫)

  • 作者:大杉漣
  • 発売日: 2018/09/04
  • メディア: 文庫
 

 

大杉漣: あるがままに (文藝別冊)

大杉漣: あるがままに (文藝別冊)

  • 発売日: 2020/05/19
  • メディア: ムック
 

 

死刑囚と拘置所でお話をする教誨師プロテスタントの牧師)の映画です。拘置所内で、死刑囚と教誨師の佐伯(大杉漣)の間で行われる会話を中心に、終始ストーリーは進行します。

 

初めの方はしょうもない会話がダラダラと続くだけです。死刑囚のような悪い人でも普通の所はあって、という所でしょうか。

問題は中盤あたりに出て来る高宮という理屈っぽい男です。他の死刑囚とは違い、この男は社会や歴史に関する知識を少なからず持っています。彼は彼なりの独特の正義感を持っています。彼は社会を良くしたくて、生きていてもどうしようもない人間たちを殺してきて、死刑になり、拘置所にやってきました。当然、聖職者の佐伯にも疑いを向けます。面倒な質問で、佐伯を追い込む非常に面倒な男です。佐伯は彼の問にうろたえます。

 

高宮などの死刑囚たちと会話を重ねていくうち、佐伯は自身の過去について語り始めます。佐伯にも罪深い過去があります。そして素の佐伯という人間が現れます。結局は佐伯自身が一番救いたかったのは、自分だったのかもしれません。

ラストシーンは強烈です。それまで、罪深い過去を背負っていたとはいえ、教誨師として役割を果たして来た佐伯ですが、やはり彼も結局は、単なる人間でしかなかった、と言うべきでしょうか.....。

 

僕が思うに、教誨師あるいは大きな括りで言うところの「聖職者」は、職業なのではないか。神の意思を良く理解して世界に広める人がいても良いです。何か救いがないと、人間は生きていけません。実際、宗教は良くも悪くも人類に対して大きな役割を果たしてきました。でも、実際、100%神聖な人間なんて当然ながらいなくて、結局はどこかで使い分けているのでしょう。肉魚だって食いたくなる時はあるし、生殖本能だって消える事はないでしょう。

 

仏教の坊さんは修行をして煩悩(欲求や執着心)を取り除くと言われますが、虚勢でもしない限り、そんな事は科学的に不可能です。もちろん宗教は科学とは少し別ですが。プロテスタントの牧師だって同じでしょう。神やイエス様のことを理解しているとはいえ、彼らは人間です。デカルトの「神の存在証明」という有名な理論があるのですが、牧師というのが神を前提にしているのなら、逆に聖職者は人間ですから、完璧ではあり得ません。つまり性欲もありますし肉も食います。だから、結局それは役割や職業でしかない、という事になります。

 

坊さんも神父も牧師も、結局はサービス業なのではないでしょうか。と言ってしまうと、それらは神聖な存在ではなくなってしまうので、俗で生きる人間たちはどうやって救いを求めればよいのでしょうか。難しいですね。聖職者は人間そのものなのか、それとも単なる職業に過ぎないのか。それとも世の中の人は、そんな事は分かっているけど、それについて突っ込むのはタブーなので、あえて言わないだけかもしれないですね。大人の事情というのはそういうものでしょうか。故に神聖というのかもしれないですね。しかし、どんな聖職者も「最も救いたいのは自分」なのは確かでしょう。じゃないと、そんな事しないでしょうし...。

 

大杉連は良い役者さんでしたね。大杉連という役者を通して、聖職者は人間そのものか、それとも単なる「役割」なのかを問う映画です。

 

教誨師

教誨師

  • 発売日: 2019/04/02
  • メディア: Prime Video
 

 

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