ぼっちですが何か?

とある精神病持ちのブログ。コンセプトは「一人でも楽しく」。映画、ドライブ、一人旅、などなど、ぼっちでも楽しめる情報を配信中。

僕が一人を好む理由を、歴史と共に解説する(テキトーにプロフィール)。

みなさんこんにちは。このブログを読みに来てくれてありがとうございます。お一人様を好むなおっちと申します。

 

僕の人生を紹介しながら「僕が一人を好む理由」を解説します。

 コレを読んで、少しでも一人で人生を楽しめる人が増えると嬉しいです。f:id:naocchi3:20170803174443j:plain

 

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「思考は現実化する」と言っていた大学時代の知人は、第二地方銀行に就職した。

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初めに言っておくが、その知人を馬鹿にする目的でこの記事を書いている訳では無い。

就職して、ちゃんとお金を稼いで、税金も納めて、社会を回している事には尊敬するし、ニートの僕が偉そうに何かを言える立場では無い事も分かっている。

あくまで、自己啓発の意味の無さを実感した、というだけだ。

 

僕には、友達とまでは行かないが、ちょっとした知り合いがいた。

大学の同じゼミで、ビジネスなどに少し興味がある人間だった。

その彼(以下、ビジネス君。バカにしている訳ではなく、あくまで便宜上)は、けっこう意識を高く持っている人間だった。

交友関係も豊富で、コミュ障で性格が悪くて友達なんて一人もいない僕とも、ちゃんと話してくれたし、すごく病んでいた僕には、彼と話すのが少し救いでもあった。

 

ただ、少し嫌なのが、「人の悪口を言うな」と言ってくる事だった。彼いわく、「運が逃げる」。

僕はそれほど幸せな人生では無いし、出来れば他人の幸せを見るのは嫌だった。だって、自分が幸せじゃないのに、他人の幸せなんて祝えないし、上手く祝えないと文句を言われるからだ。せめて、他人の悪口くらい言わせてくれ。

まぁ良い。彼は特に破綻することなく、それまでもマトモな人生を送っているようだった。事実、彼はちゃんと就職している。

僕に比べれば、マトモなのは明らかだ。いちおう、その時は、いう事は聞くことにした。「そうだね」とテキトーに誤魔化しておいた。

 

ビジネス君は読書も好きで、「人を動かす」とか「金持ち父さん貧乏父さん」とかを読んでいた。ホリエモン氏の「本音で生きる」も好きだったようだが、僕も中古で買って読んだ。

確かに面白かった。彼と会った時、読んだ本の話をするのは、わりと楽しかった。

 

そして、彼は、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」も読んでいた。

自己啓発の元祖、総本山とも言える「思考は現実化する」。どういう意味合いで言っているのかは分からないが、いずれ、そのタイトルに若干の違和感を覚えていた僕は、別に自己啓発を否定する訳ではないが、その本だけは微妙に避けていた。

 

だって、全ての思考が現実化したら、そりゃ大変だろ?

まず、思考が現実化するなら、「金持ちになりたい」って思っている人間の思いが全て現実化する事になる。僕は常々、金持ちは偉いと思っているし、自分も金持ちになりたいと思っている。常に、毎日だ。

しかし、僕は金持ちになっていない。それどころか、普通に働けないくらい心を病んでいる。さて、これはどういう事か?

そして、全ての思考が現実化したら困る。世界を崩壊させたい人間たちが、それを思考するだけで現実化できるなら、世界は何回やり直しても足りないだろう。

北朝鮮や中国の人間が「日本を滅ぼしたい」と思っていても、それが現実化したら、日本人としては溜まったものではない。

そんな大げさなレベルではなくても、例えば「あの人と付き合いたい」とか、「彼女と結婚したい」と思っても、実現しない事の方が多いだろう。日常生活レベルでも、思考が現実化するケースは、そうは多くないのだ!

 

さて、思考は現実化する、というのはかなりムリがあるのは分かってもらえただろうか?

 

そんで、ビジネス君だが、大学を卒業する直前に知ったのだが、彼はどうやら地元の第二地方銀行に就職していたらしい。

いや、立派だ。一応は、東証一部上場企業だ。スゴイ!上場企業勤務の肩書は、ほとんどの労働者が手に入れたいだろう。それを、彼は新卒で手にしてしまったのだ。

 

しかし、意識が高くて「思考は現実化する」と言っていたビジネス君。

果たして、彼の思考は、本当に現実化したのか?

つまり、彼の思考は「第二地方銀行に就職したい」だったのだろうか?

おそらく、違う。彼ほどビジネスに関心があり意識の高い人間が、第二地方銀行に行きたいと願うなんて、まずあり得ない。

きっと、東京に本社がある会社に行きたかったはずだ。

 

やれやれ….。彼は常々、僕に「悪口を言うな。運気が下がる」とか、「マイナスの事ばかり考えていると、その通りになる」と言って来た。

確かに、そうかもしれない。他人の悪口を言っているから、僕はこんなになってしまったのかもしれない。事実、他人の悪口を言っている人は、ストレスが掛かるらしい。

 

しかし、「他人の悪口を言うな」とか、「マイナスの事は考えるな」と言っている君は、どうなのか?

その結果が、第二地方銀行に入る事なのか?僕はここに、強い疑念を抱く。

 

結局のところ、「思考は現実化」しない。現実化するのは、正しい努力をしたうえで思考をした場合のみだ。

適正があるうえに、正しい努力をすれば、だいたいの夢は叶う。思考もある程度は現実化する。

しかし、そもそも何かに対して適性がある事に気付くのが、まず大変だだ。そして、その上で正しい努力をするのは、もっと難しい。大体の人間は正しい努力が出来なくて、挫折してくのだから。

 

僕はビジネス君の事は、まったく嫌いでは無い。彼は僕の事を何と思っていたかは分からないが。

暗くて友達もいないダサい奴だ、と思っていたかもしれない。しかし彼から、そんな態度を感じた事は無かった。

少なくとも、僕は彼と話している時間は楽しかった。大学4年時、既にかなり病んでいた僕の多少の救いになってくれたのも事実だ。すごく感謝している。

 

だから、ビジネス君には幸せに暮らして欲しい。こんな理不尽や不条理にまみれた世の中で、さらに辛いと言われる銀行業界で、どうか潰されること無く、病むことなく、生き残って欲しい。

そんな彼に、一言だけ言いたいのは、他人の悪口をいう事も、たまには大事だという事だ。たまには吐き出さないと、ダメになるぞ。ほどほどに、ガスを抜きながら、健康に生きて欲しい。

そして、自己啓発が、もし彼の心の救いになるなら、それで良いと思う。たまにやる気を出させてくれたりする自己啓発本なら、それは十分に価値があると思う。もしかしたら、自己啓発の意味は、そこにあるのかもしれないから…。

 

だが、やはり、ビジネス君。キミの「悪口を言うと運気が逃げる」とか「思考は現実化する」という考えは、やはりキモイww。

 良い人ぶっているだけではないか。実際、君は就職してから、事務の女の人の愚痴を言っていたではないか。ほら、やっぱり。自己啓発なんて意味ないでしょ?

その時、僕はビジネス君の思考の浅はかさを知った。別に嫌いではないし、君と話した時は楽しかった。

 

だが、思考は現実化しない。これだけである。

 

 

naocchi3.hatenablog.com

【スキルを付けて尖った人間に!】非エリート大学生は差別化して生きていこう!

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ぱくたそ

 

そこの非エリート大学生の皆さん!

大学生活は楽しいですか?

大学が楽しいのは何より良い事です。

が、将来は大丈夫ですか?ちゃんと食っていく自信はありますか?

僕は残念ながら、それが出来ませんでした。

 

僕の就職失敗の原因をまとめると…..

・非エリート

・コミュ障

・目立ったスキルが無い

 

てな感じですね。

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

 

いやいや、これじゃあ就職できなくても仕方が無いよね…。

特にやりたい事もなくフラフラ~っとテキトーに生きて来た僕が、そんな中で急に就職先を見つけろ、と言われても、まぁ無理がるんですよね…。

 

だから、特に非エリートの皆さんは、専門知識やスキルを付けて、差別化をはかりましょう。

今回はそんな事について書いていきます。

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ダイエットや減量したい人は、食べ物を自分の近くに置くな!

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ぱくたそ

こんちわ。プチ断食で若干の減量に成功したなおっちです。

 

プチ断食の効果はこの辺に書いておきました。マジで効果アリですよ。

 

naocchi3.hatenablog.com

 

減量をしたい人でも、運動が続かないとか、どうしても飯をいっぱい食ってしまう、という人も居るはずです。

 

分かります。僕は飯を食うのが好きなんですが、あればあるだけ食ってしまうんですよね…。

 

あぁ、お腹はそろそろいっぱいだけど、まだおかず残ってる….。どうせなら、もう少し食っても良いかな….。

 

と、少しだけのつもりが、いつの間にか、ほとんど食ってたりとか…。

 

おやつも、中途半端な時間にポリポリと食ってしまい、カロリーオーバー….。

そんで夜に体重計に乗る頃には、「あぁ、またやっちまった….」って後悔しているんですね。

そして、体重計に乗ると、顔は真っ青….。「なんであんなに食ってしまったんだ」と後悔しても遅し…。

食ったモノは帰ってきません。カロリーとして吸収され、いずれ貴方の贅肉となって、あなたの一部となるんです….。

 

それは、彼の弱さにつけ込んで、その一部となり、彼を構成し、徐々に身体を侵食し、彼という人間を飲みこんでしまったんだ….

 

そんなカッコいい話ではありません。プヨプヨの贅肉は、身体の一部というよりは、取って付けたような。ミスマッチなパーツでしかないのです。

 

でもね、止められないんですよね。特に揚げ物とか…。

僕は唐揚げが好きなんですが、唐揚げは無限に食っていられる気がするんです。

誰が何と言おうと、僕は唐揚げと心中したい..。僕は唐揚げを食うために産まれて来たんだ!

と言っても過言ではありません。もちろん無限に食うなんてのはウソですが。

 

じゃあ、痩せるにはどうしたら良いのよ?

 

痩せるのは諦めろ!

 

なんて言いませんよ。ちゃんと一緒に考えます。なんせ、僕はダイエットに2回ほど成功した事があるほどの男ですよ。

裏を返すと、それは少なくとも、2回以上は太っていたことがある、と言う事にもなりますが.....。

 

大丈夫です!ちゃんと痩せる方法はあります。

 

この記事では、そんな「痩せたくても痩せられない」人向けに、現実的に痩せる方法を紹介します。

みんなも一緒に痩せましょう。

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Google翻訳を使って、英語の勉強をしよう。

 

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(ぱくたそ) 

 

こんちわ。なおっちです。

常々言っていますが、日本の政治は終わっています。別に安倍晋三がダメとか、そういう話ではありません。

むしろ安全保障に関しては評価すべきだと思います。しかし、まだ北朝鮮とか韓国には甘いですよね~。まぁ良いでしょう。

 

根本的な体質として、日本の政治は古いモノを守り、新しいモノの芽を摘む傾向にあります。最近もそれを象徴する出来事がありましたね。この辺い書いてあるので読んで欲しいです。

 

naocchi3.hatenablog.com

 

それだと社会が成長しません。周りの国がどんどん新しい事をして、豊かで便利になっているのに、日本だけ置いていかれるというストーリーが、現実味を帯びてきました。

 

その影響もあってか、経済的な成長性も低いです。少子高齢化は止まらず、このままだと日本社会は崩壊するという見方もあります。

そのうち日本は後進国になっているかもしれませんねぇ...。

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健康と集中力の両方を手に入れたい人は、節約にもなる「プチ断食」をしよう。

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(ぱくたそ)

 

せっかくの食事で、健康も集中力も損なっていませんか?

 

こんちわ、なおっちです。

 

僕は産まれてこの方太り気味の体型です。一昨年のバイトを辞めて以降、ニートをしていましたせいもありますが、今ではかなりのデブになってしまいました…。

正直、太りやすい体質なのですが、デブって見た目が良くない上に、重いモノを背負っているので疲れるんですよね…..。デブは良い事ゼロです..。

疲れるって事は、集中力も低下するって事ですよね。肉体的な疲労感は精神的にも影響しますから、仕事や生活のパフォーマンスも低下してくるんです…。

ちょっと動いただけで「あぁ疲れた」って言ってたら、そのあと何も出来ない訳で。

おまけに歳を取ると生活習慣病になる人も多いですね。それって、食い過ぎとか飲み過ぎが原因なんですよね…。

やれやれ、皮肉ですね….。生きるために食事をしているのに、逆にその食事で健康とかを集中力を損なうとは…。コレをカッコ良く言うと、「ジレンマ」とか「パラドックス」と言うんでしょうか…。

 

まぁ良いです。いずれ、食い過ぎとかデブっていう現象は良くない事は分かるでしょう。

んで、それを解決するために、サプリメントと健康食品を買ったりして頑張る人もいるんですが、それも個人差があるし絶対とは言えませんね…。

 

実際、あれだけ多くの種類の健康食品がリリースされているのは、効果が無いからじゃないでしょうか?

だって、何かの商品に効果があったなら、それ以降はそんなに生まれないでしょ?自己啓発本と同じで、その時の「頑張っている感」が欲しくて買うだけで、効果のほどは特に普通、って事じゃないですかね…。って思うのは僕だけでしょうか?

いいえ、みんな気付いていますよね。

 

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日本の政治に期待してはいけない理由と、沈みゆく日本で生き残る方法とは?

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政治って本当に期待出来ないんだなって思いました。

政治家は自分が飯を食うために、自分にお金を出してくれる人達の利権を守りに走り、業界人は社会の進化よりも自分達の保身のためにお金を出す。

政治とは、この行為でしかないんですね。まぁよく言われる事ですが。

 

マニフェストでは「国民の生活を守る」なんて言うけど、実際は「自分の生活を守る」なんですね。正直に言えば良いのに。

 

まぁ、それは何となく分かっていた事です。

しかし、利権を守る行為を、議員がSNSに堂々とアップしているのもビックリです。

それはつまり、国民の生活を良くするよりも、ある団体の既得権を守ることが、世間的には暗黙の了解となっていて、別に大した問題ではないという事ですから。

それが当たり前になっているって、もはや国として終わりだと思うのですが。共産主義みたいに、社会の循環が止まり、いつでも物不足とか、そんな事になりそうですね。

 

やれやれ。もはや政治には期待は出来ませんな。

利権を必死に守った結果、競争に置いていかれる、先進国の中でも遅れをとるというストーリーが出来つつあるのですが(既にそうなっている)、その中で日本人はどう生きれば良いのでしょうか?

沈み行く国での生き方を考えていかないとダメですね。

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「自由」とか「生きる事」とかに疑問を持つ僕が、それをポエムっぽく書く。

やれやれ....。

春の風と匂いが、僕に何かをしろと呼びかける。

太陽の出る時間は長くなり、昼も明るくなってきた..。

それはこの僕に、「いつまでそうしているんだ?」って問いかけるようで、凄く鬱陶しい..。

春を嫌いになったのは、いつからだろうか?

寒い地域の冬を凌いだ、あるいは生き抜いた者からすれば、春というのは喜びの季節だ。

しかし、僕にとって、それは、いつからか「何かを強制する強迫観念」でしかなくなった....。

そもそも誰でも積極的に行動したい訳ではない。内に籠って一生を暮らしたい人もいる。

しかし社会はそうはさせてくれない。時に人間は嫌でも外に出て行動しなければいけない。春は特にそういう季節だ。

人間が社会で行動すると、嫌でも他人との関わり合いになる。それは、嫌というほど他人は自分の居場所に踏み込んでくる事でもある。

しかし、それは、多くの場合、何も与えてはくれない。逆に時にそれは大きな爪痕を残して去っていく事もある。

「なぜ、あの人はあのような事を言ったのか?」とか、「彼はなぜこのよう事をして去っていったのか?」など、こちらが求めてない行為について、時に深く考えなければいけない。

また、好き嫌いに関わらず、自分も時に相手の所へ入っていかないといけない。そこで遭遇したくない状況に出くわしても文句は言えない。好き嫌いに関わらず、それは訪れるのだ。

 

人間社会は好き嫌いに関わらず、他人と自分が大事な所に侵入したり、あるいは侵入されたりして、時に大事なモノを取ったり取られたり、損傷したりされたりしながら、生きるシステムになっている。

その行為は「コミュニケーション」と言われたりもする。それは人間社会の営みを円滑に進めるためのツールだ。

しかし、上手く生きるための道具が、逆に人をすり減らせ、時に生きていくのも困難になってしまう程にさせる。これは皮肉というかジレンマというか....。

何でそれをしなければいけないのか、考える猶予もなく、春はそう呼びかける。「君は社会に出て、好き嫌いに関係なく、社会を上手く回すためのコミュニケーションをしろ」と。

 

僕は大学のある時までは、春という季節は外に出て自由な気にさせてくれる時期だと思っていた。

しかし、ある時から、その「自由」というのに、逆に困惑するようになった。

それまで、学校あるいは、大学という緩い縛りが、僕を”適度な不自由”にさせていた。

その”適度な不自由”に慣れ親しんだ僕にとって、それは、ある意味では、それは最も適度な、僕という人間が扱える”自由”だったのだ。

つまり人間にとっては、ある程度は不自由な方が、生きるには最も最適なのかもしれない。

例えば、学校では生徒たちが自由を求めて大人に反抗する。しかし、一方で、上級生たちは、下級生たちを自分たちで決めたルールの下に支配し、優越感に浸っている。

そして下級生たちは、上級生が作ったルールに従っておけば、自分たちには責任を問われる事はないと安心している。

彼らは自由を求めているフリをして、実は心の底から本当の自由が欲しかった訳では無いのだ。

そして生徒、学生たちは、学校を卒業すると、従属する場所、つまり不自由を求めて就職先を探す。

これは何とも不思議な行為である。会社に入るというのは、ルールに従う場所に入るという事だ。

会社だけではない。人間を不自由にさせる場所は他にも多くある。それは家庭だったり、配偶者だったり、時に住む家だったりする。

普段、自由を声高に叫ぶ我々人間は、社会の中で生きるために、自らを不自由にするモノを求めて彷徨い歩くのだ。

自ら縛られるために、自分で不自由な場所を探し求める..。人間は、やはり完璧に自由では生きられないようになっている。これは間違いないだろう。

人間の”不自由を求める”というのは、ある意味、上手く生きる上では必須になっている、と言うのも事実である。人間自身が勝手に、不自由を強制するルールを作っているのだ。

どこの集団に所属するかとか、どこの地域に住むのかとか、その”不自由先”を上手く選べるかどうかで、生きられるかどうかは決まってくる。

自分を不自由にする会社を上手く選べれば、「〇〇会社勤務」という形で肩書が与えられ、言わば「社会で生きる権利」が得られるのだ。

同様に、自分を縛る家庭や配偶者を選んで、「家族」という集団を所有すると、上手く自分を不自由に出来た事になる。すなわち、「立派な人間」と評価され、社会では一流と言われる節がある。社会とはそうなっているのだ。

 

言うまでもなく、完全に自由で生きられる人間は少ない。それは物凄く優秀な人間しか実現できない事だ。

完全な自由は、多くの人間には大きすぎて扱いきれない。身の丈に合わない自由は、逆に人を苦しめ、孤独にさせる。「あぁ、こんなモノ、何で選んでしまったのだろう?」と、人を後悔させる時だってあるのだ。

多くの人間、つまり自由を扱いきれない人々は、何かしらの形で、自らを不自由な環境へと追い込む。

それは、自由を扱えない人間が、上手く生命を延長させる術であり、彼らにとっては居心地が良い場所なのだ。

「ちょっとくらい不自由な方が責任からも逃れられるし、自分で考えなくても、誰かが勝手に上手く物事を運んでくれるから、それに乗っかる方が良いよね」。というように、人間には、自由というのは荷が重すぎるのだ。

 

しかし、上手く”不自由先”を選べず、自由さえも使いこなせない人間はどうなるのか?

その人間は社会不適合と言われ、時に社会からは抹殺され、生きる権利すら失ってしまう。

自分から”普通”に生きる権利を放棄しているのだ、という批判もあるだろうが、必ずしもそうではない。自由を使いこなせるほど優秀ではないけど、ある事情で不自由な環境も選べない人間もいるのだ。

学校で理不尽な目に遭った人などは、その後の人生における影響も少なくないだろう。その後、人生を”普通”に生きられないはずだ。

そのような人間にまで、「自己責任」のレッテルを貼るのは違う。小さい時に与える影響は大きい。

人間はその人の数だけ事情があるもので、一言でその人間を言い表すことは出来ない。

その人にはその人の背景がある。もしかしたら、過去の様々な事情で、生きている事を苦痛に感じる人もいるだろう。

そのような人は、”不自由”になる事も出来ず、自由を使いこなすのも難しい。どこへ行く事も出来ずに、ただ息をする事を強いられるのかもしれない。

そうなった時、人間は暗い闇の中で、ながく出口の見えないトンネルの中で、光が見えぬまま、彷徨い歩くか、黙って立ち尽くすことしか出来ないのかもしれない..。

それは想像以上に難しい。人間は何もない場所で一人で居る事に耐えられない。宇宙飛行士になる人間は孤独に強い人間である必要があるらしいが、それと同じだ。

つまり、暗い中で一人、どこへ行く事もなく、彷徨い続けるという事なのだ。

 

生きるとは、それだけで苦境を伴う行為である。産まれたばかりの人間が輝いて見えるのは、過去という重荷を背負っていないからだ。

歳を重ねる毎に、人は輝きを失う。徐々に昔に問われて、色が限りなくグレーに近くなって来る。時に過去に飲み込まれたまま、もう戻って来なくなる事もある。

重くて黒い過去を抱えた人は、それが一生付きまとう。その中で、生きる喜びが生きる苦しみを上回ってしまった時、どうなってしまうのか?

その時、人間は普通に生きることは出来るだろうか?通り魔などの事件を起こす人は、おそらくこういう心境なのかもしれない。

よく、「生きている事に感謝しろ」と言う人間がいるが、それは器用に生きられない人、つまり”適度な不自由”を見つけて所属する事が出来ない人間には、それは押しつけがましくて一方的な、鬱陶しい言いがかりでしかないのだ。

僕も言われた事が何回かあるが、では、この痛みは何だ?この痛みが、お前に分かるか?「もし分からないんだったら、そんなの強要するんじゃない!」と、喉まで出掛けた言葉を飲み込んだ事もある。

産まれてくるのは自分の意思では選べないし、我々はたまたま生きているだけだ。別に対した意味はないし、死ぬときは死ぬ。

呆気なく心臓の動きを止めてしまい、生きていた事すら忘れられてしまう。人が生きるなんてせいぜいその程度の事で、そんな大袈裟な事では無い。たまたま親が交配をして、運よく種と卵がくっ付いて、産まれ落ちるだけだ。

そこに「感謝」などというものを介入させないで欲しい。

 

話は少し逸れるが、先日、8年目の震災の日を迎えた。震災で亡くなった人には、せめて安らかに眠って欲しい。被災地の復興が早く進む事も祈っている。

僕が住んでいた県でも、少しは被害があったから、完全に他人事とは言えない。僕も不便な想いをした。

しかし、それは自然災害であり、人間にはコントロール出来ない要素が多い。むしろ、人間は自然に生かされている部分が多く、8年前のアレは、その自然がたまに暴走したくらいの程度だ。

その災害で、あたかも自然を悪党呼ばわりする風潮に、どうも僕は納得がいかない。先にも書いたが、死んだ人や被災地を悪く言う訳では無い。

地球で生きていたら、それは避けられない事だ。日本は災害の多い国かもしれないが、世界のどこの行っても災害は起こるし、亡くなる人もいる。それは残念な事だが、避けられない。

明日、自然災害が起きて死ぬ確率を、我々人間は誰でも抱えている。程度の違いはあれど、その点で人間は平等なのだ。治安や経済状況などは除いて。自然の前では、人間は無力なのだ。

8年前の震災は、「ワハハ。ざまぁ見ろ人間!お前たちの命は私が預かっているのだよ。その気になれば、いつでも全員を消すことが出来るのだ。そこに君たちが築いてきた社会や高尚な研究の成果など、意味がないのだよ。あまり思い上がらない方が良い」と警告されているようだった。

8年前、雪が降る中、自転車で家路を急いでいた僕は、突き刺す寒さと地震の大きさに困惑し、僅かに残った冷静さと思考力の範囲で、こう考えていた。

やはり辛い事の方が記憶の賞味期限は長いようだ。いずれ我々は、たまたま生きているだけなのだ。そんなに大袈裟な事では無い。

 

そこで、僕は思った。「生きている事への感謝」などは不要だ、と。

 

僕らは好むと好まざるとに関わらず、2人の親が結合して産まれて来ただけだ。そこに生まれて来る人間の意思は無い。

そして、たまたま産み落とされて、好き嫌いに関わらず、他人との侵略のし合いで消耗する。

そして、人間の決めたルールに従い、自分を縛り付ける場所への所属を求められ、出来ない者は「社会に適合していません」という札を貼られて、暗いトンネルの中をただ歩くだけを強いられるのだ。

好き嫌いを問わず産まれてくるのに、その補償は誰もしてくれない。ただフェイドアウトしていくのだ。

 

自然には偶然生かされているようだが、それにいつ殺されても不思議では無い。津波地震で大事な人を殺され、悲しみに暮れなければいけない時もあるし、自分が死んで大事な人を悲しませる事だってある。結局、自然と人間は、そういう意味ではイコールな関係なのだ。

結局、人間が生きているのなんて、そんな偉大な事ではない。人間さえいなければ戦争も起こらないし、好むと好まざると産まれて来た人間たちで、わざわざスゴイ兵器作って命を奪い合う事もないだろう。

動物と植物の食も連鎖だけで世界は完結するかもしれない。その方が、むしろ平和だろう。

変に頭の良い生き物が、あの手この手で命を奪い合う社会より、本能に忠実で「食いたければ食う」という社会で動物たちだけで暮らしていた方が、良いのではないだろか?

 

もう一度言う。生きている事に感謝なんて、する必要はない。我々は。好むと好まざると、たまたま産まれて来ただけなのだから。

人生が楽しい人は勝手に感謝すれば良い。重いモノを背負ってしまった人に、そんな鬱陶しいのを更に背負わせるのは可哀想だろう...。

 

やれやれ....。自由とか生きるって、面倒だぜ。いったい誰がこんなの考えたんだろ?

 

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