『友達百人出来るかな?』が大嫌い
どうも、なおっちです。
『友達百人出来るかな?』って歌が大嫌い。あんな曲が歌われている意味が分からない。
要らない要らない。そんな考えを子供に植え付けてどうするんだ?
<そもそも、友達なんて百人も要らない>
友達って百人も要らないでしょ。
もし居たら、その辺で会ってもいちいち挨拶しなきゃないし、用も無いのに話しかけられて面倒だろ!
現実的には、「嫌いな人とは関わらず、楽しく生きていけるかな?」の方が、歌詞としては適切だよね。
<「友達がいないのは変」という勘違いを生む。だから、今すぐ廃止しろ!>
小さい子にこの歌を聞かせるのはダメ。
「友達がいないのはおかしい」という、勘違いを植え付けてしまうからだ。
学校だと、未だに一人で行動すると馬鹿にされる事がある。
小学校や中学校で友人がいない人は、必要以上に悩んでしまうことがある。周りからも「あいつは友達がいない」と馬鹿にする奴が現れる。
そのせいで不登校になったり、自殺したりする人がいるのは、とても悲しい。
一人が好きなのも、立派な個性だよ。
誰でも分かるその事実を、まるで否定するようなこの歌。小学校の低学年の子供に聞かせるのは、危険だ。今すぐ、歌うのをやめよう。
いや、友達が欲しい人は勝手に作れば良いじゃん。それを共用するな、って言うだけ。
<百人で食べてもウザいだけ>
「百人で食べたいな」という歌詞がある。
これも、キモイ。
百人で食ったって、味は変わらない。と言うより、百人で一緒に食うって、無理だろ。
仮に、周りにそんなに人がいても、うるさいし邪魔。結局、一人か仲の良い数人に落ち着くのだ。
また、多くの小学校や中学校では、一人で昼ご飯を食べる事が許されない。
気の合わない、又はお互いに嫌いな人間と、無理やり飯を食うのは、精神衛生上良くない。無理にくっ付けようとすると、余計に反発が起こるのは当然だ。
大学では、「ぼっち」と後ろ指を差される。このせいで20歳を超えた人間が、一人で学食で飯を食えないという、恥ずかしい状態に陥るのだよ。
「みんなで食べた方が美味しい」なんて嘘。
むしろ、美味しい食事ほど、一人でじっくり味わうべきなのだ。井之頭吾郎が、それを体現している。
特に焼肉は、一人でするべきだ。
せめて食事の時だけは、嫌いな人間やどうでも良い奴と関わりたくない。これ、僕だけじゃないよね?みんな、気付こうよ。
昔から、この歌には違和感しか感じなかった。特にこの部分には強い反感を覚えるのだよ。
一人で飯が食えない人が、大嫌い。
<友達なんて、いなくても良いんだよ>
友達なんて、いなくても良いんだよね。
歳を取るごとに、そう思う。
逆に、嫌いな奴とは徹底的に関わらないだけで、楽しい人生が送れるのだよ。今は、楽しい事がいっぱいあるから。
友達は百人要らない。
百人で食う飯は最悪だ。