ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

読書感想「デカルトの憂鬱」 日常から哲学を見る。

金が無いので、立ち読みとか図書館で借りて本を読んでいます。

某本屋の思想書コーナーで面白そうな本を見つけました。カラフルだと思ったら、あの有名なデカルトの本だそうです。本屋で途中まで読みました。

デカルトの憂鬱  マイナスの感情を確実に乗り越える方法

デカルトの憂鬱  マイナスの感情を確実に乗り越える方法

  • 作者:津崎 良典
  • 発売日: 2018/01/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

デカルトは、「われ思う、ゆえに我あり」というのが有名な哲学者です。この世界は本当なのかウソなのか分からないし、自分の感覚も時に間違う、でも自分のこの疑う思考だけは確かに存在する。それが「我思う、ゆえに我あり」です。彼の哲学は懐疑主義とも呼ばれます。

デカルトから始まり、スピノザ、ライブニッツと続く哲学は、「大陸合理主義」という学派に区分されます。デカルトはそれの先駆けになります。

島国イギリスではロックなどの経験主義という学派ができます。18世紀になると、カントが合理主義と経験主義を上手く合体させ、「ドイツ観念論」に移行させます。

 

哲学だとこの辺が分かりやすいです。

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

  • 作者:田中正人
  • 発売日: 2015/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

何が言いたいかというと、デカルトは哲学の歴史の中でも凄く重要だということです。

 

んで、彼の哲学を、自己啓発的なものに利用する、というのが本書です。あまり自己啓発て好きじゃないし、むしろ自己啓発本とかに金をかけるのは無駄だし、それらの多くは詐欺です。

 

しかし、本書はデカルトの哲学の入門、そしてそれを日常に生かす方法が書いてあります。

例えば、知識を得るとこは良いことですが、新しい知識を得る事だけではなく、それを思考によって真偽を明らかにしろ、と言っています。新しい知識ばかりに気を取られると、本当に大事な「疑う」ことが抜けてしまうと。本当に大事なのは、ある物事についてじっくり考えることだと言いたいようです。この辺に懐疑主義デカルトが現れています。

 

んで、間違わない為には、判断を保留する事だと。焦ったり、早とちりをしなければ、まず間違いは減ると。まぁ、中には判断を強いられる事もありますが。

 

デカルトの哲学が、日常に生きるかも....と考えると面白いですね。日常から哲学を見ると、より哲学も面白くなるかもしれないですね。

 

ちなみに、個人的に21世紀は哲学と宗教の時代だと思っています。イノベーションで世の中が更に複雑になり、覇権がアメリカなのか中国なのか分からない中、人間はどのように生きれば良いのでしょうか?という答えに、辿り着くとは言わないまでも近づけるのは、実は太古の昔からある哲学や宗教ではないかと。

 

デカルトの憂鬱  マイナスの感情を確実に乗り越える方法

デカルトの憂鬱  マイナスの感情を確実に乗り越える方法

  • 作者:津崎 良典
  • 発売日: 2018/01/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

読書感想「オウムと死刑」 事件は終わってない。

こんちわ。コロナ禍でも無職なので、けっこう本とか読んでます。特に宗教とか哲学とかは、自然科学が発達する前から存在していて、今でも残っているので、ここに人間社会の大事な何かがあるのかもしれないですね。自然科学には無い答えを出してくれるかもしれないです。

 

最近読んだのはこの辺です.....。入門書を3冊ほど読むと、基本的な知識は大体は身に付きます..。

エッセンシャル版 図解世界5大宗教全史

エッセンシャル版 図解世界5大宗教全史

  • 作者:中村 圭志
  • 発売日: 2016/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門

ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門

  • 作者:小原 克博
  • 発売日: 2018/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

  • 作者:田中正人
  • 発売日: 2015/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

こちらは立ち読みですが面白かったです。

【ビジネス書大賞2020 特別賞受賞作】哲学と宗教全史

【ビジネス書大賞2020 特別賞受賞作】哲学と宗教全史

  • 作者:出口 治明
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 単行本
 

 

それで、ふと目に付いたのでこういう本を読みました。死刑になって二年経ちましたねぇ...。「オウムなんて死刑だ」と、その時は思っていましたが....。当時の世論もそんな感じでしたね。

オウムと死刑

オウムと死刑

  • 発売日: 2018/11/15
  • メディア: 単行本
 

 

んで、実際に読んでみると、けっこう色々と考えさせられる内容です。

何で考えさせられるかと言うと、地下鉄サリン事件の実態や、教祖麻原と信者たちの精神状態が、よく分からないからです。教祖の麻原は精神耗弱だったかもしれないし、信者たちはマインドコントロールされていたかもしれない、また、麻原は直接は殺人に手を下していない、と....。しかも幹部でキーパーソンである村井は死んでしまいました。

 

幹部だった村井秀夫は殺されてしまったから、彼から話は聴けません。地下鉄サリン事件の前に、麻原はサリンを廃棄するように言っていたようですが、実際には保存されていた。それは誰が指示したのか、また、地下鉄にサリンを撒く計画を出したのは誰なのか、ハッキリしていないのです...。

 

まだ必ずしも明らかではない事柄が多い中、彼らを死刑にしていまうのは、「平成の事件は平成のうちに」と、臭い物に蓋をするようなものなのでは、と本書には書いてあるのですが、本当にその通りだなと。僕自身は死刑反対では無いのですが、これには賛同します。全て明らかになったのなら、死刑は仕方が無いかな、とは思いますけどね...。

 

殺して終わり、というのではなく、社会はこの件に関して、忘れないという選択も取れますよね。じゃないと、彼らのような人間たちが出て来た時に、そうすれば良いのか分からないでしょ。死刑にして終わらせる、というのは、社会は進歩しないですよね。

 

残念ながら本書の中で、僕の大好きな村上春樹先生が死刑執行に関して寄せた記事に対して、かなり痛烈に悪く書かれていました。 僕にとっては非常に残念でしたが、読めば確かになと。ムラカミ先生はフィクション作家なので、その要素がどうしても入ってしまうのは仕方が無いですが。いずれ、フィクションとノンフィクションの区別は最低限知るべきですね。

 

巻末にはオウム真理教と、教団が関与した事件の概要について大まかな流れが書いてあるのですが分かりやすいです。

 

オウムと死刑

オウムと死刑

  • 発売日: 2018/11/15
  • メディア: 単行本
 

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

映画『ジョーカー』感想 透明にされた人間のリアルな悪意。

さて、去年話題になった『ジョーカー』を見ました。

ダークナイトの悪役ジョーカーを主人公に据えたサスペンス映画です。

ジョーカー(字幕版)

ジョーカー(字幕版)

  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: Prime Video
 

 


映画『ジョーカー』特報

 

ジョーカーと言えば、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』に出て来るジョーカーを思い浮かべる人も多いですね。演じたヒースレジャーはアレが遺作になった事で、さらに人気になりましたね....。

ダークナイト (字幕版)

ダークナイト (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

期待たっぷりで見た本作の印象は「ちょっとイメージと違う....」。なぜかと言うと、本作は演出抑えめ、しかも派手なアクションシーンはほとんど無し。もう少し派手にエンタメ調でやって来るのかなと思っていたら、思いの他という感じです。

エンタメに振ると、確かにお客さんは来ますよね。でも、それだと何か都合が悪い、という事かな、と思いましたよ。

 

なぜ都合が悪いかと言うと、本作の真意はエンタメではないからです。本作の真意は「社会の分断」です。ジョーカーと物語の舞台ゴッサムシティというのは、それを伝えるための、あくまで分かりやすい「アイコン」としての役割にとどまっています。

治安の悪いゴッサムシティと、そこに誕生したダークヒーローのジョーカーという設定は、「バッドマン」(ダークナイト)を少し借用する事で、僕たちのような一般の人にも分かりやすく受け入れさせる、という役割を担っています。

でも、中身はただのヒーロー漫画にとどまらず、現実社会をしっかりと反映させ、確実に我々に訴えかけて来ます。ジョーカーは、その為の入り口の役割をしているのです。

 

というのは圧倒的な個人の感想ですが...。そのために、派手なアクションや演出を抑えて、あくまでリアリティに徹している、と。それで何が表現したかったかと言えば、それはアメリカで進む分断ですね。大統領選でも、明らかになりましたね。

 

分断を放って置くと、確実にその仕返しは、社会の各所に及びます。分断というのは所得や人種、学歴などで生じる国民の間の格差の事ですが、どうやら先進国では、この流れは進むようですね。それはグローバル化とかの影響ですが、今後もAIの進化で、この流れが加速するという見方が強いです。

 

少しストーリーに触れます。

主人公のアーサーは、お笑い芸人を目指す青年です。しかし、脳に障害があり、突然笑い始めるという病を持っています。母は病弱で、そんな母と貧乏な暮らしをしています。

お笑い芸人を目指す彼でしたが、なかなか芽が出ません。それどころか、社会の誰にも相手にされず親切にもされません。衰退したゴッサムシティで街とと共に、彼も死んだような暮らしを強いられます。

特にそれが現れているのが、市の福祉サービスで受けられる診療です。精神科の先生は、形式的に毎回同じことをアーサーに質問します。アーサーは本当にあんたは僕のことを思っているのかと憤慨します。

そのうち、行政サービスは打ち切られ、アーサーは形式的に診てくれる場所さえ失います。アーサーは社会に見捨てられた、言わば「透明人間」と化してしまいます。

 

しかし、その透明な人間が実際に居なくなるかというと、そうではないです。物体は実際に存在しますし、透明な人間は、時にリアルな形を持った悪意を噴出させます。それはアーサー一人では無く、ゴッサムシティに住む人間全体に及んでいきます。透明な人間たちの実在する悪意は、人から人へ波及し、いつの間にか手の付けられない状態になっていると、本作では上手く表現されている、という事です。

アーサーは、ある出来事がきっかけで、その火付け役になります。しかし、アーサーが本当にその切っ掛けなのか、というと、本当はアーサーを透明にした社会にあるのでは、という見方も出来るのですよ。実在する人間を透明にした社会は、やはりそれなりのツケを払うのです。ラストに進むにつれて、どんどん社会はアーサー(ジョーカー)の方に傾いていきます。

 

ラストシーンはまさに圧巻。透明にされた人間たちの悪意が充満し、それが爆発します。行き場のない悪意は、爆発するしかないのです。社会を見る立場によって、その見え方が変わります。それまで最下層だったアーサーなどの透明な人間たちが、ついに透明ではなく、意思を持った本当にリアルな人間になるのです。

ここまで大袈裟な演出やアクションシーンを控えて来た物語が、壮大なラストを迎えます。アーサー(ジョーカー)は一気に”スター”になります。社会の形によって、支持される人間の定義は変わります。彼を推す人間が多数派ということは、つまり彼は主役なのです。それが、ラストシーンの意味でしょう。コレの為に最後まで取っておいた、とでも言うのでしょうか。社会が、彼をそのようにさせたのです。

 

アイコンとしてジョーカーを使用し、中身はしっかりリアルで、そこに鑑賞してみると意外性を感じます。見る人によってはエンタメとしての物足りなさを感じるでしょう。

実感は無いけど確実に忍び寄る社会の分断を、バッドマンの世界観とジョーカーというアイコンを用いることで、確実に僕には凄い物として伝わってきました。分かる人には分かると言うと、自分のことを賢いと言っているみたいでアレですが、本作にエンタメを期待しすぎると、どうしても物足りなさだけで終わってしまうのでしょうね...。

 

ジョーカー(字幕版)

ジョーカー(字幕版)

  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: Prime Video
 

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

映画「悪人」誰が(刑法的な意味ではない)悪人なのか?

こんにちわ、なおっちです。

映画の感想を書くのを再開したんですが、映画というのはよく観てみるとメッセージ性に富んでいたりします。エンターテイメントとして観ると微妙に思える作品でも、そこに注目すると良い映画だったりします。

んで、人の闇が見える映画は作るのが難しい分、上手く出来ていると面白いのです。「人間て素晴らしい」というストーリーの方が人は面白く感じるし、実際ハッピーエンドの映画は興業収入も良いらしいです。

そんで先日、一時期話題になっていた「悪人」を見ました。確か、カンヌか何かで賞を取ったとか。

悪人

悪人

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

観てみると、やれやれというか。何処かに絶対悪を見つけて、それを叩いてスッキリしたい、と思いますが、なかなか逃げ場がないんですね。誰が一番悪いのか、そこを考えさせるのが、本作の目的でしょう。少なくとも僕にはそのように映りました。

会社員の若い女の佳乃は、増尾という若い金持ちの男に出会います。彼女が彼のクルマに乗る所から話は動きます。
男は佳乃をウザがっているのですが、佳乃の方はなかなか気づきません。それどころか、つまらない話を続けてしまい、金持ち男を怒らせてしまいます。佳乃は車から降ろされてしまいます。

同じように佳乃に出会い系で出会った祐一(妻夫木)は、その現場を目撃します。んで、彼女の乗るその車に付いて行きます。
しかし、山中で佳乃は降ろされます。祐一は彼女を助けようとしますが、何と佳乃は思いがけない反応を見せます。それで、祐一は驚きと危機感から、佳乃を殺してしまいます...。

そんで、事態は当然、周りの人間にも波及します。佳乃の家族、祐一の家族など。
祐一は、事件の後に出会った、紳士服店に勤務する光代と、逃避行を開始します。そこから、祐一と光代は愛に目覚める訳ですが、現実を思い返すと、祐一には事件が、光代には退屈な日常が待っている訳ですね...。

この登場人物(祐一や佳乃、金持ち男、光代、彼らの家族)は、いずれ、日常に退屈している、という点で共通しています。退屈な日常に苛立ちを覚え、それを凌ぐために、インターネットで出会いを求め、それも上手く行かず、さらに不満が噴出し、それが思わぬ事件を招いた、と。

退屈を感じた人間というのは、その日常を変えるために、様々な手を講じます。退屈さから来る怒りの矛先は、時に他人に向かいます。偶然が偶然を呼び、祐一は思わず手を下してしまうのですが、果たして悪いのは誰なんですかね?という問題が出てきますね。

もちろん、殺した祐一は法律的に罰を受ける対象になります。しかし、彼は山で車から降ろされた佳乃を救うために手を差し伸べた訳ですよ。しかし、佳乃は金も無く何処かいけ好かない彼を避け、逆に自分の惨めさの責任を彼に押し付けようとします。

その佳乃が何故不満かと言うと、金持ちの増尾にクルマから降ろされたからです。
その増尾は、最初から佳乃の事が好きでは無く、その時は仕方が無く付き合ったが、佳乃と性格が合わなくて、彼女を捨てた、と。彼も悪いですよね。どこに絶対の悪があるのか、よく分からなくなる訳です。
確かに、人を殺すのは刑法で罰せられます。しかし、見ていると、むしろ人間的に最も善良なのは祐一に見えてくるのですよ。むしろ、金持ちに振られて怒りの矛先を間違えて、救いを差し伸べた人間を陥れようとした佳乃が、最も劣悪に見えてくる訳ですね...。

さらに酷いのは、この殺害された佳乃の父親が、「自分の娘には罪が無い」と思っている所です。明らかに自分の娘にも落ち度があるのに、そのように考えるのは、親だから、あるいは被害者だからでしょうか。
まぁ、何も知らなければ、普通はそのように思うのは当然ですが、佳乃の祐一を陥れる言動が無ければ、彼女は殺されなかった訳ですよね。この辺が人間社会の怖い所ですね。事件の当事者ではない人間には、それがわからないと。

さらに、それは祐一の家族にも影響します。マスコミが彼の家に押しかけてくるんですね。ここでも退屈というのがカギになります。日常に退屈している人間は、イベント、言い方を変えると他人の不幸を求めています。だから、マスコミはそんな人たちが食いつく事件を伝えることで、アクセスを稼いで、自分たちの飯にする訳です。

殺人事件というのは、「殺した人間が絶対に悪い」という風に思いがちですが、世の中では、中にはそうでもない事件もあるのでしょうね。
いや、もちろん見ず知らずの人間を殺すのは死刑で良いと思いますが、人間関係のもつれや金銭関係から来る殺人事件というのは、その中でどのようなやり取りがあったのか、当人たち以外には完全に知ることは出来ません。劇中でもそれが表現されています。

さて、悪いのは誰でしょうか。祐一の身になると、女にこのような言い掛かりを付けられたら、男は当然に動揺しますよね。これはヤバいと殺してしまうのも、分からなくはないです。

余談。気になったのが、主人公の祐一がスカイラインGT-R(R33)に乗っている事です。解体屋勤務の、あまり年収の高く無さそうな祐一なんですが、どうやってこの車を維持しているんだろ...。
金も無くて人生に退屈している荒んだ若者を表現したいなら、もっと良いクルマがあるのに(ホンダのインテグラとか日産のシルビアとか)。
決してインテグラやシルビアを悪く言う訳では無く、安くてそれなりに若い男が乗り回しそうなクルマはあるよ、と言いたいだけです。流石にGT-Rは金持ってないと買うのは難しいですよ。祐一お前金持ってるな~というのが、最後まで引っ掛かりました。

悪人

悪人

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

naocchi3.hatenablog.com
naocchi3.hatenablog.com

映画『リップヴァンウィンクル花嫁』世の中は幻想だ。

さて、最近は映画の感想を書くのが上手くなったかな、と自分では思っております。初期の頃は書きたいことが上手く脳内で変換されなくて、自分でも何を書いているのか分からなくなるとか、よくありましたから....ね。

 

ほんで、この記事で紹介するのが、『リップヴァンウィンクルの花嫁』なんですが、マイナーだし、数年前の作品だし、覚えている人も少ないかな。でも、控えめに言って、これ傑作なんですよね。劇場で観ました。

リップヴァンウィンクルの花嫁【劇場版】

リップヴァンウィンクルの花嫁【劇場版】

  • 発売日: 2016/09/02
  • メディア: Prime Video
 

 

社会学者で映画批評家宮台真司氏の映画評論書でも紹介されています。現代の幻を暴く....と。映画を観てそんなことを考える人はあまりいないかもしれないですが、何か彼らしいですね。

正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-

正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-

  • 作者:宮台真司
  • 発売日: 2016/12/27
  • メディア: 単行本
 

 

でも、思えば確かに、本作は「幻を暴く」映画です。社会はそもそも幻で、いい加減で、嘘で、デタラメなんですよね、と気付かされる。濃淡の違いこそあれ常にグレーな社会を上手く表した、傑作なんですね、はい。

 

良い映画とは、「グレーな社会をエンタメも交えて表現した作品なのではないか」と思います。特に本作を見ると。他にも、あまり有名ではないけど、『二重生活』とか、『永い言い訳』とか、ともに日本映画ですが、鑑賞後に「あぁ凄い」と言える映画とは、そういう作品だと思い始めました。最近ですが。

 

映画とはエンタメで、現実を忘れさせてくれるものだ、という意見も最もです。アニメとか、ヒーローモノとか、サスペンス映画とかも、基本的には分かりやすい悪を退治するものです。観た後、分かりやすい悪を始末して、あぁ面白かった、となれれば、エンタメとしては成功な訳ですよ。それはそれなんですね。多くの場合、それは面白い映画の形です。

 

しかし、「良い映画」の定義は、少し違います。これまで、「面白い」と「良い」という言葉を使い分けましたが(「傑作」という表現はこの二つの両方の意味)、「良い映画」の定義は、「世の中の実態をエンタメを含めて面白く伝えている」とでも言いましょうか。鑑賞後にただ「面白い」ではなく、「これは何か凄い。でも、何が凄いのか....」と鑑賞後に考えてもしまう......。

無意識で凄いと分かっていても、それを自分の意識の中で説明を付けるまでに時間が掛かってしまう....。鑑賞後に歩きながら、フラッとコンビニでカップ麺と安い酒を買って、家で湯を入れて缶を開けている時も、何か考えてしまう...。

良い映画とは、これだと思います。つまり、答えが出るまで時間が掛かる、あるいは出ない、いずれ「グレー」である、と。分かりやすい白と黒というのが、存在していないんですよ。んで、何回も見たくなる、なぜなら答えが分からないから。

 

では、本作の話に行きましょう。

本作は、現代的な「インターネット」や「何でも屋」とか、「ウソ」とかがテーマになっています。

主人公の七海(黒木)は、インターネットで出会った男と結婚します。しかし、その関係はどうも微妙...。本当に心底信頼しているようにも見えないし、何だか取り繕った感じがプンプンしてきます。

さらに、七海は結婚式に呼ぶ人間を、代行出席サービスで集めます。ここで何でも屋の安室(綾野)と出会います。七海は結婚をする時から、嘘で自分を装っている訳です。ここから、既に七海はグレーであります。

しかし、旦那の母親がそれに気がついてしまいます。それを面白く思わなかった母親は、別れさせ屋を雇って、七海と息子を別れさせます。そこでも、何と何でも屋の安室が登場...。安室は正体不明の男として、この作品のキーパーソンになります。彼の本名とか出身とかも明かされることはありません...。

 

彼は、正体不明の人間という存在の象徴として描かれています。人の名前とか出身って、別にいくらでも嘘は言えますからね。初対面の人に「山田太郎です」と言えば、その通りになりますし、職務質問でもない限り身分証明をすることもないですから。本来、名前とか職業とかどこに住んでいるかとかって、どうにでもなるんですよ。働く時だって、偽名を使えば、それ以上はお客さんにバレる事もないですし...。知っているのは人事の人だけ、とか普通にあるでしょうし。現に芸能人とかも芸名がありますから。大昔から、哲学者や思想家たちが人間社会の本質を明らかにしようと努めてきましたが、全員が納得する答えに辿り着いていないのは、おそらく本当は人間なんて分からないからでしょう。がだから、世の中はグレーだと...。

 

それで、まさかの離婚を経験した七海ですが、幸か不幸か、再び安室と出会います。そこで、かつて自分も利用した「代理出席」の仕事が回って来ます。ホテルで掃除の仕事をしていた、特に何もする事がない七海は、それに参加します。

 

出席者たちは式中に上手く振る舞うために、安室から指導を受けます。「バレたら大変なことになる」と。

式は順調に進み、新郎新婦ともに、代理出席の人がいるなんて、気にもしません..。世の中の正体不明さの縮図がここに現れている訳ですね....。でも、事が上手く運べばそれで良いと。本当は世の中はそうなっていますよね。誰かが苦しんだり、死んだりしても、大局的に上手く行っていれば、それは成功だと言える訳ですね。この式で、七海は真白という女と出会います。この真白という女が、実はアレで、七海と再び出会って、.....という感じで、彼女らが少し変わった生活を始めます。

 

結局、安室は本当は何者なのか明かされないし、七海が出席した結婚式のことも、そのあとどうなったのかも明かされません。フワフワ~っと、嘘が嘘のまま、エンディングを迎えます。物語が着地したのか、と言われれば微妙ですね。特に真実を求める人にとっては。とりあえず、その後も彼らが上手くやっている....と思うしか無いですね。

 

でも、本当の事なんて、誰も分からないですからね。言葉ではいくらでも言えるし、自分の身分も欺けます。人間は、本当の事なんて、分かるはずが無いんですよね。非常に哲学的ですが。

せいぜい分かるのは免許証で役所に届け出ている名前と住所くらいか。でも、たかが役所に届け出ている名前に過ぎないですが。そんなの、特に意味は成しません。安室を見ていれば、それが分かります。

 

でも、何が本当かなんて、良いんです。正体不明の安室という人間が、嘘で人をくっつけて、その人たちが、何故か束の間の幸福を得て去っていく.....。七海はラストシーンで、すごく吹っ切れた表情を見せます。結婚する時には見せなかった晴れ晴れした表情。

嘘で塗り固めた幸福なんて許せない?いえ、それはでも良いんです。正直に生きていても何が何だか分からない事は起きますし。どんな人間が、何を考えて生きているかなんて分からないんですから、どんな手段でも、上手く生きていけば良いんです。

 

誰が何を考えているか、何をしているのか、まるで分からない、モヤっとしたグレーな社会を、インターネットや嘘、何でも屋の安室という存在を使って表現。白か黒か付けないとスッキリしない人には、とても消化不良を起こすかもですね。インターネット、AIが、これから更に社会をグレーにしていくでしょうが、そこで何が人間に求められるのでしょうかね?この映画に、少しそれが表れているかも。

 

リップヴァンウィンクルの花嫁【配信限定版】

リップヴァンウィンクルの花嫁【配信限定版】

  • 発売日: 2016/03/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

映画『星の子』感想 グレーな社会を生きるとは何か?を上手く表現。

こんにちわ。なおっちです。コロナ禍でも平常運転のぼっちニートです。

さて、先日、『星の子』を見てきました。あまり大々的にプロモーションしている訳ではありませんが、一部で話題になっていますね。僕はそういう映画の方が好きです。

 


『星の子』本編映像

 

原作本はコチラです。

星の子 (朝日文庫)

星の子 (朝日文庫)

 

 

本作は新興宗教に信仰を抱く家族のお話です。聴いただけで何だかグレーな映画なんだろうな、と思うでしょうし、確かにそういう作品です。

幼い頃、主人公のちひろは病弱で、でもある宗教が販売していた水を飲ませたら、ちひろの病気が治り、そこから彼女の両親はその宗教に信仰を抱くようになります。そりゃ、自分の大事な子供の病気を治してくれたら、その力を信じてみたくなりますよね。

 

しかし、ちひろの家族の周りは、それをなかなか受け入れられません。ちひろの母親の兄さんとは揉めますし、ちひろの姉は両親の信仰に見切りをつけて、家出をしてしまいます...。

 

日本ではオウム以降、宗教に対してアレルギー症状が残り続けています。確かにあれだけ印象的な事件を起こされると、宗教と聞くだけでアレルギー症状を出してしまうのは分かりますね。日常でも、「あそこの誰々は〇〇教の信者らしいよ」とか、そんな噂話したり、宗教の勧誘が家に来たら恐怖心を抱いた、なんて事もあるかも。

 

てな訳で、ちひろは自分の家族が信じている宗教について疑問を抱きます。まぁ、そういう歳になれば仕方が無いですね。あらゆる物事を疑ったりする年齢に差し掛かって来ますから。

それだけならまだ良いです。問題は、それが学校の人達にバレてしまう事です。先生に自分の親が怪しげな儀式をしている場面を見られてしまい、彼女はそれまで秘密にしていたことが露呈し、困惑するんです。

 

でも、ちひろの家族は、別に他人の権利を侵害している訳でもないし、ただ信じたいものを信じてているだけに過ぎません。他人の権利を侵害しない限り自由、という「消極的自由」という概念は、今では世界で広く普及しています。日本でも憲法で精神の自由が認められています。だから、簡単に処理しきれないんですよね。良いか悪いかは誰にも分かりません。グレーな訳です。

 

そもそも、世の中はグレーです。全くの黒、全くの白は、まず存在しません。分かりやすい悪と言うと、殺人犯などを思い浮かべますが、殺人犯だって、周りの人間の話を聞くと「勤務態度はまじめだった」とか、「挨拶してくれる良い人だった」とか、そんな話をよく聴きます。むしろ、凶悪犯は、学生時代は陽の目をみない大人しい人間だった、ということもありますね。

 

世の中には凶悪犯罪のような分かりやすい悪だけではなく、日常的な表に出にくい悪というのもあります。人の陰口を言うとか、無視するとか、バレないようにズルをするとか、そんな事が常に起こりえます。というか起こっています。学校なんてそんあ場所ですし、歳を取って会社員になっても責任の所在が分からない問題というのが起こりい、居酒屋で文句を言ってみたりします。人はそれを不条理と言います。という訳で、世の中は濃淡の違いこそあれ、常にグレーなんですね。

 

本作も終始、それを表現することに徹しています。凄い事件が起きる訳でもないし、誰かが死ぬ訳でも無いし...。ただ、ちょっと変わった(というのも僕の偏見が入るが)、宗教を信じていた家族が、それ故にちょっと面倒な生活を強いられる、と、ただそれだけなんですね。でも、それが非常に面倒なんだな、と。当人たちも周りの人も。

 

そんなちひろにも、少し救いがありました。母親の兄が、ちひろに別の道を用意してくれたり、学校の友人がその出来事の後も、隣にいてくれたりと、彼女の周りには、「宗教に入っている」という理由で彼女を変な目で見ない強さがあったのです。彼女は、そんな強い人間たちに恵まれていた、と。この辺が彼女の救いになる訳です。グレーな中でも、その人を信じる強さ、本作のテーマである「信じる」が、この辺にも上手く現れているんですよ。

 

ちょっとでも怪しい人を見たり聞いたりすると、スグに叩きたがる、自分の頭では考えられない脊髄反射的な人間がいるなか、この辺に強く生きるとは何か?という問いの答えがあります。結局、強さとは、グレーな中を生きる事なんですよね。実際、人なんて、脳みそを覗ける訳でもないから何を考えているか分かりませんし、常にグレーなんですよね。

 

「信じる」という行為は、まさに不安定な中にしか存在しえない。そこで、それでも信じられるか、あるいはそれは間違っているか、自分で考えられる力が問われているのでしょう。ちひろの友人の姿に、それを感じました。

 

分かりやすい善悪や白黒に吸収されず、世の中の不明確さ、グレーさを、上手く表現している、エンタメとしてめっちゃ楽しい訳ではないけど、凄く「良い」映画です。

 

そう言えば、本作の大森立嗣監督の、「さよなら渓谷」とかも、レイプ事件の被害者と加害者が一緒に暮らす、という不思議な映画でしたなぁ、と。

 

さよなら渓谷

さよなら渓谷

  • 発売日: 2016/04/15
  • メディア: Prime Video
 

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

 

東浩紀氏の「平成は間抜けな祭りの時代」に激しく共感....。

のんべんだらりと生きている者です。納税者の皆さん、お疲れ様です。

さて、令和が始まって一年が過ぎ、「令和おじさん」菅義偉氏が総理大臣になりました。

時代が過ぎるのは早いもので、平成が終わって、安倍政権も終わって、ついて本当の新時代に突入、といったところでしょうか.....。

そんな時に面白いものに出会いました。「ゲンロン」という会社を経営している哲学者の東浩紀氏の、以下の記事です...。

https://www.bookbang.jp/article/566944

 

本記事は、思想家であり哲学者であり、「ゲンロン」という知的プラットフォームを運営している東氏が、「平成」という時代を、自身の思想の変遷と共に振り返る、という内容です。いわく、「間抜けなお祭りの時代だった」と...。一部引用して紹介。

 

そう、平成はその名のとおり間抜けな時代だった。平成に入る直前の日本は大きな可能性を秘めた国だった。世界第二位の経済大国で、欧米も仰ぎ見る技術大国で、時価総額で世界トップの企業がごろごろとあり、若者も多く、人口もまだ増えていて、二一世紀は日本の時代だと言われ、新首都の建設さえ真剣に検討されていた。にもかかわらず、平成期の日本人は、自分たちになにができてなにができないのか、そもそも自分たちはなにをしたいのか、きちんと考えないままに自尊心だけを膨らませて、空回りを繰り返して自滅した。それを間抜けといわずして、なんと形容しよう。

 

それはつぎのようにいいかえることもできる。平成は祭りの時代だった。平成はすべてを祭りに還元し、祭りさえやっていれば社会は変わると勘違いをし、そして疲弊して自滅した時代だった。

 

 

思えば、本当にそうだなぁと。

 

僕は平成一けた産まれなので、バブルが弾ける前、つまり「JAPANアズnumberワン」と言われていた日本を、この目で見たり肌で感じたりした事がない。

僕には、きっと凄い時代だったんだろうな、という事しか分からない。株式の時価総額がトップを日本企業で独占していたなんて、今では考えられないが、確かにそういう時代はあったのだな、と。そんな時に産まれていたら、まだこの国を好きになれていたかもしれないですね。

僕が産まれてから、この国にはロクなことが無いように思える。バブルが弾けて、オウムがあって、山一證券が潰れて、酒鬼薔薇聖人が出てきて、ホリエモンが一世を風靡して逮捕されて、就職氷河期が来て「ロスジェネ世代」が誕生して、ワールドカップを開催して、民主党政権が誕生して、2度の大地震が起きて、再び自民党になって安倍政権が新安保法を作って、アベノミクスで株価だけは上がって、シールズなんて訳の分からない連中が騒いだり.....。

 

やれやれ、中には華やかなイベントもあるけど、どれも実態の無い空回り、つまり単なる「お祭り」のようですなぁ....。どれもコレも、騒ぐだけ騒いで、中身の方は全く伴わない空虚なものにし思えない。それが平成の本性だったのだろう、と...。

 

今思うと、オウムはそんな時代の幕開けだったように思える。大きなイデオロギーに引っ張られる訳でも無く、行先を見失った人間たちが訳の分からないものに付いて行って、地下鉄で毒を撒く...。

昭和の時代は、まだ「反資本」など目指すべきものがあったのだが、彼らは一体なにを目指していたのか?きっと、中身なんて無かったんだろうな。でも、それがその後の日本を象徴していたとは、その時は誰も知る由もなかっただろうな....。

 

その後もロクな事なんてなくて、ホリエモンが新しい時代を作ってくれるかもしれないと期待されたけど逮捕されてしまったし、民主党に政権が移ってから何かが変わるかもしれないとマスコミが騒ぎ立てたけど何も変わらなかった。

終わりの方には新安保法に反対する「シールズ」という若者の集団が誕生したけど、法案の中身とか背景とかはまるで知らない連中で、あれこそ平成が生んだ中身の伴わない空の人間であることを露呈してしまった。

 

今でも、反安倍の人たちが騒いでいるが、君たちがロクでもないから、君たちの嫌いな安倍ちゃんが長期政権を築いてしまうのだ、となぜ気が付かない?党名を変えたりしても、反安倍を唱えても、結局それは中身のない「お祭り」なんだと。

それはアメリカでも同じで、反対側がどうしようも無いから、せめて消去法で少しでもマシな奴が選ばれているのだと、マイケルムーアの「華氏119」を見て、少しは勉強して欲しい。

 

華氏119(字幕版)

華氏119(字幕版)

  • 発売日: 2019/03/19
  • メディア: Prime Video
 

 

naocchi3.hatenablog.com

 

そんな事をしている間に、遂に中国に追い抜かれた。インドも追い上げている。アメリカとの差もどんどん広がっている。何より、アマゾンとかGoogleが、日本を支配するようになった。技術大国日本いったいどこへ?

 

やれやれ、こんな時代は何時まで続くんだ、とウンザリしているのは僕だけじゃないだろう。僕が子供の頃から、朝のニュースでは冴えないサラリーマンが「不況だ」と肩を落としている。こんな光景を毎日のように見せられて、大人を尊敬しろとか、無理な話で...。誰か楽しい姿を見せてくれればなぁ、と思った事は数え切れない...。

 

でも、今後もロクでも無いことが続くんだろうな...。東京オリンピック大阪万博と、中身の伴わない「お祭り」が目白押しだ。中身の伴った実りのある施策は、いつ講じられるのか、と苛立ちを覚えているのは、僕だけでは無いはずだ。平成はまだ続いている。令和なんて名ばかりだ。

 

記事の終わりに、東氏も述べているように、僕だって下の世代から責められる可能性があるのだな、と。「お前らのせいでロクでもない日本になった」と。

確かにそうだな。僕らの世代が、船が沈みかけているのを分かっていながら、何も出来なかったな、と爺になって思う時が来るのだろうなと思うと、凄く悲しい気分になる。どうか、菅義偉新政権には、「間抜けなお祭り」ではなく、中身のある施策を期待したい。じゃないと、平成は終わらないぞ。君が発表した「令和」は訪れないぞ、と.....。

 

ゆるく考える

ゆるく考える

  • 作者:東浩紀
  • 発売日: 2019/02/26
  • メディア: 単行本
 
ゲンロン11

ゲンロン11

  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2020/09/23
  • メディア: 単行本
 

 

naocchi3.hatenablog.com

naocchi3.hatenablog.com

 

[ぼっちですが何か?]は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。