読書感想「デカルトの憂鬱」 日常から哲学を見る。
金が無いので、立ち読みとか図書館で借りて本を読んでいます。
某本屋の思想書コーナーで面白そうな本を見つけました。カラフルだと思ったら、あの有名なデカルトの本だそうです。本屋で途中まで読みました。
デカルトは、「われ思う、ゆえに我あり」というのが有名な哲学者です。この世界は本当なのかウソなのか分からないし、自分の感覚も時に間違う、でも自分のこの疑う思考だけは確かに存在する。それが「我思う、ゆえに我あり」です。彼の哲学は懐疑主義とも呼ばれます。
デカルトから始まり、スピノザ、ライブニッツと続く哲学は、「大陸合理主義」という学派に区分されます。デカルトはそれの先駆けになります。
島国イギリスではロックなどの経験主義という学派ができます。18世紀になると、カントが合理主義と経験主義を上手く合体させ、「ドイツ観念論」に移行させます。
哲学だとこの辺が分かりやすいです。
何が言いたいかというと、デカルトは哲学の歴史の中でも凄く重要だということです。
んで、彼の哲学を、自己啓発的なものに利用する、というのが本書です。あまり自己啓発て好きじゃないし、むしろ自己啓発本とかに金をかけるのは無駄だし、それらの多くは詐欺です。
しかし、本書はデカルトの哲学の入門、そしてそれを日常に生かす方法が書いてあります。
例えば、知識を得るとこは良いことですが、新しい知識を得る事だけではなく、それを思考によって真偽を明らかにしろ、と言っています。新しい知識ばかりに気を取られると、本当に大事な「疑う」ことが抜けてしまうと。本当に大事なのは、ある物事についてじっくり考えることだと言いたいようです。この辺に懐疑主義デカルトが現れています。
んで、間違わない為には、判断を保留する事だと。焦ったり、早とちりをしなければ、まず間違いは減ると。まぁ、中には判断を強いられる事もありますが。
デカルトの哲学が、日常に生きるかも....と考えると面白いですね。日常から哲学を見ると、より哲学も面白くなるかもしれないですね。
ちなみに、個人的に21世紀は哲学と宗教の時代だと思っています。イノベーションで世の中が更に複雑になり、覇権がアメリカなのか中国なのか分からない中、人間はどのように生きれば良いのでしょうか?という答えに、辿り着くとは言わないまでも近づけるのは、実は太古の昔からある哲学や宗教ではないかと。