ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

映画『万引き家族』一般的な "正義"=システム=法律では救えない人間と、それだけに頼る事の寒さ。

こんにちわ、なおっちです。

バイトの面接すら通らない無職です。働けと言うなら、俺に仕事を持ってこい!

 

ということで最近は『パラサイト』を見て、凄く面白かったので、今度は『万引き家族』について感想を残します。

万引き家族

万引き家族

  • メディア: Prime Video
 

 

最近の日本映画の中では最も話題になった「万引き家族」は、一般的な正義=システム=法律側=体制側=国(行政)には救えない人間がいることを教えてくれます。

劇中のいわゆる「体制側」の人間たちの言うこと為すことが、何だか寒く感じるように作られています。

これが本作の真意です。システム=法律=体制が、すべての人を救える訳ではないのです。

リリー、安藤サクラ樹木希林などが演じる家族に、一人の女の子がやってきます。その子はどうやら、あまり家族の愛情を受けていないように見えます。そこをリリーフランキーが見つけて、家に連れてきます。その後、しばらく捜索願いも出されず、その子はしばらく万引き家族の元で預けられます。万引き家族の元で暮らす女の子は、少しばかり、人間らしい様子を見せます。

しかし、そのあと2ヶ月ほどして捜索願いが出されます。テレビでそれが報道されると、ニュースキャスターはいかにも定型的な「早く家族の元に帰れると良いですね」というコメントで、見ている方を寒々とさせます。人間社会の複雑さを、大きなシステムであるマスメディアが捉えられていない、そもそも捉えられる訳がないことを表現しています。システムとか、法律とか、体制というのは何だか空虚だと。本当に意味のあるのは、むしろそれ意外の所なのですね。

 

その後も、万引き家族の生き生きした様子とは反対に、警察や、女の子の両親など、法律の中の人間たちは、何だか味気なく映ります。そもそも法律に味気なんて有るわけがないのですが、それにしても中身が無いように思えて、法律って何なのか?という疑問が消えません。

 

別にシステムや法律が要らないと言っているのではなく、そもそも論として、それらは万能ではないですよ、と。必ずそれから漏れてしまう人はいます。殺人罪があるのに殺人の犠牲になる人がいるのと同じように、劇中の女の子は、法律で養育の義務があるのに、家族の中で愛情を受けられないという被害にあっているのです。法律的にその子が家族の元に返されても、状況が変わることはなく、救われないのは変わらないのですよ。

 

現実社会で、法律的な集団から漏れてしまう人、学校で不登校になる人や、家族と揉めて戻れない人、会社に居られなくなった人。彼らはシステムから疎外されてしまい、簡単に戻れることはありません。

 

どういう事情か、システムや法的な社会から転がり落ちた人間が、どうにかして法律から外れても生きていくという強さ。システムでは救えないものがあるという、ごく当たり前だけど、あまり知られていない、みんなが目を向けないことを、『万引きの家族』は表現しているのです。

 

韓国映画『パラサイト半地下の家族』では、血の繋がった家族が金持ちに寄生して生きていく姿を描いています。確かに血の繋がった法的な家族ですが、本質は『万引き家族』とそこまで変わりません。分断、貧しい中でも、どうにか生きていくという覚悟。法律が助けてくれないなら法律なんて関係ない、という強さ。コレが両方に共通しているのです。テイスト的に、『万引き』はより社会風刺的、『パラサイト』はエンターテインメント調、と言えます。

 

社会の底辺に落ちると、確かに万引き家族やパラサイトファミリーたちの気持ちがよく分かります。何としてでも生きていかなければいけない人たちというのも、社会にはいるのよね。そういう人たちに、法律はあまり関係ないんですよ、と。だって、法律は彼らを守ってくれないんだから。

 

万引き家族

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