ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

【アマゾンプライムで観れる】気軽な暇つぶしにおススメの傑作邦画たちpart2

皆さんこんちわ、なおっちです。

 

やれやれ....。相変わらず精神が優れないのでアマゾンプライムで映画を観ながらニート生活を送っています。

人間の怖さを感じる映画やストーリーに工夫や意外性がある映画が好きな僕ですが、最近では苦手な社会派映画を観ていました。案外面白い作品も多くてビックリしています。

ただ、やはり恋愛モノは苦手ですねぇ...。他人の恋愛の様子を見ても「あぁ、そうですか....」程度の感想しか浮かばないんですよね...。まぁ良いでしょう。

んで、アマゾンプライムでは、わりと新し目(TSUTAYAの準新作くらい)の話題作とか、不朽の名作とかもラインナップにあったりするんで、めっちゃ捗ってますね。コレで年間3,900円なんて破格すぎません?

 

まぁ良いでしょう...。映画と言えば真っ先に洋画が思い浮かびますね。確かに、良い映画だったなぁ~というのは、圧倒的に洋画の方が多いです。

が、が、が(DX)...。洋画は言語が英語なので、やはり少し疲れるんですよねぇ....。

肩を張って見ないと良さが分からないモノもあります。ホントに傑作というのはそういうのを言うのかも分かりませんが、まぁ気軽な感じでは無いですよねぇ....。

ダラッと観ていると、「アレ、今なにが起こったの?」とか、そんな事になって、いつの間にか終わっていたり.....。まぁ、そんな事も無きにしもあらず....。

 

しかし、邦画にも良い作品はあるんですよ...。

て言うか、暇つぶしとして優秀なのは邦画ですねぇ...。言葉は日本語なので、ちょっと目を離しても耳で状況を把握できます。

また、役者も日本人なので、登場人物も覚えやすいです。外人の役者だと、「アレ。この人ってどの役だっけ?」ってなる事がありますが、邦画だとそういう事にはなりません。なので安心して見れます。

そういう訳で、「あぁ何か暇だから、映画でも観るかな」って時には、邦画の方が良かったりします。

休日の昼下がりにビールを飲みながらユルっと暇を潰せる、そんな感じです。

 

僕よりも遥かに詳しい映画好きさんの中には、洋画よりも邦画の方が好きと言う人もいますね。

ぶっちゃけ、僕もその方が正しい気がしています。字幕を追いながらストーリーもちゃんと追って、それでいて全て内容を理解するのってハードルが高い気がするんです....。

んで、本来は、音声と映像で楽しむのが映画だと思っている節もあります。何となく、字幕があるのは微妙なんですよね。

まぁ本場のハリウッドはアメリカにあるので、映画は洋画だという常識が定着しているのも事実ですが....。

 

そんでもって、ユルっとした暇潰し(ひつまぶしとひまつぶし)に良い邦画たちを紹介します。

 

無料体験もあるのでやってみて下さい。学生なら半年間の体験をできますよ..。

 

 

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記憶力は無い方が良い。

昔の事って自分の重荷になるんですよね。
「あの時あれで、凄くムカついたな」とか、「アイツにいろいろ言われて、今でも気になるんだよな」とか、あるいは「好きな人に振られてトラウマ」とか、人によって色々あると思います。

実は過去の思い出って一生ついて回るんですよね。何かする時に過去に関わった人間とか、または昔の自分が出て来て、色々と何かを言ってくるのです。ふらっと現れては消えて、現在の自分を構成する要素になります。
ちょっとスピリチュアルで自己啓発っぽいですが、おおむね間違い無いでしょう。
苦しんでいる人って、多くは今の現実よりも過去に苦しめられている事の方が多いんじゃないかって、個人的に思ってます。

詳しくはこの辺に書きました。自己啓発くさい事を言うのは嫌いですが、まぁ過去と決別するのってムズいですよね。って事です。

んで、よく記憶力を良くする方法とかが世の中で流行りますよね。
勉強とかでは、単語とか文法とか公式とかを覚えてないと話にならないので、覚える力は大事になりますよね。

しかし、昔の事をいちいち覚えているのは、それだけ負担になります。
重い物を何個も背負っている状態になるので、動きも重くなります。まぁよく言われる鬱という状態ですね。
いや、良い思い出が多い人はそれをエネルギーに出きるんでしょうけど、僕のように良い思い出が少ない人は、そうもいきません。

僕は学生時代から揉め事が多くて喧嘩とかが絶えませんでした。
特に中学の時は地獄でしたね。少なからず、あの時の経験が僕の脚を引っ張り、泥のような何かに巻き込まれているのは確かです。

んで、僕は器用に都合よく嫌なことを忘れられる性格ではありません。
よく忘れっぽくて何も覚えてない人とかって居ますが、良いですよね。
「あれ、そんな事ってあったっけ?」って、失敗とか覚えてない人って、凄く気楽で楽しく生きられるんでしょうね。羨ましいですよねホント。

僕の大学時代には、同じゼミにバイト先の居酒屋に殺されかけて、単位がヤバくて卒業が怪しい人がいました。が、その人も就職もして卒業もしたんでしょうね。
同じく、単位の関係で卒業が遅れた
人も居たようです。が、その人は妙に自信がある感じの人で、おそらく何とも思って無いのでしょうね。

それを考えると、いろんな事を覚えているよりも、余計なことは忘れられる方が良いよねって思います。アレコレと考えるのは損ですよねホント。

他にも、都合の悪いことは全て忘れて、自分たちを正当化する人は多いです。

僕の中学はクソみたいな人間の集まるごみ溜めみたいな場所でした(僕もその一人)。
二年生の時に、とある男の先生が担任になりました。その先生は少し変わった人で、赤い車にナンバーを全て同じ数字にしてくるというナルシズムを兼ね備えている人間だった。
それだけならまだ良かったもの。彼の頭は残念ながら大部分が不毛地帯と化し、額はだいぶ後退していた。それも影響し、彼はクラスの人間の反感を買ってしまった。

彼が出勤してくるとクラスの人間は「ハゲ!」と、その教師を罵倒した。
そしてクラスの女子は、彼の言うことを聞かず、集団で彼を嫌う態度を取り始めた。

その結果その教師は心を病み、休職に追い込まれた。
幸い、僕たちが三年生になってから彼は復帰したらしい。しかし、他の職員からの評判は、あまり高くなかったそうだ。

そんな事があった中学だったが、やはりクラスの学生の中で、その出来事は大した事ではなく、すぐに忘れ去られてしまった。

僕はクラスの人間の誰一人とも関わっていない。
その当時は仲の良い感じを出していたが、今となってはだれとも連絡を取っていない。所詮、その程度だ。

女子には嫌われていて、僕が特に何かした訳でも無いのに悪口を言う人間も居た。彼女たちは人間の糞だと思っている。

その中でもも、わりとマトモな人間も居た。

わりと顔が整っている女子で、女子たちから嫌われていた僕にも、まぁごく普通に話す人だった。
最も会話をしたのは2〜3回くらいだし、陰では悪く言っているのも知っているが。

そんな彼女だったが、皆と同じようにその教師の事を嫌っていた。しかし、彼女な彼が居なくなると、すぐに存在を忘れてしまったようで、卒業する時の文書で、「みんな仲良く卒業しました」的なことを書いていました。
いや、俺らが犠牲にした担任教師と、君たちが消した女子生徒(クラスの中心的な女子が一人不登校になっていた)は、一体どうなるんだ?
いや、その人はいじめに加担してないかもしれない。
だが、少なくとも面白くない想いをした人が何人か居るなかで、「みんな仲が良かった」と書くのはあまりにも乱暴だろう。
僕はクラスの女子と仲が良かった覚えはない。ほとんど嫌いだ。
みんな仲が良いというのは、おそらくその人の暮らしが良かったからであって、ほとんどの人間には当てはまらない。「皆」という言葉を使うなら、それくらい考えて欲しい。「私は皆と仲良かったよ」と言うなら、その人の勝手だが。

しかし、ここで思うのは、彼女はあまり記憶力が良くないという事だ。
自分達が嫌っていた担任教師の事や、自分も多少は関わりのあった女子生徒の事を差し置いて「皆仲が良かった」なんて言えるのは、おそらく彼女は彼らの事を何とも思っていないか、すっかり記憶から消えてしまっていたのだろう。
それは凄く都合の良いことだし、その人が良ければそれで良いのだ。
つまり、他人の事なんて覚えてない方が、幸せには生きられるという結論が導き出せる。
どうでも良い人間、自分が辛い思いをさせた人間、逆に辛い想いをさせられた人間などは、全て記憶から消し去ってしまった方が、そりゃ良いに決まってる。

だから、記憶力が良いことは、人生を生きる上ではマイナスだ。
人の事なんて、全員初対面くらいに思ってた方が余計な関係を持たなくて済む。向こうから何か言われても「あれ、誰でしたかね?」て言っておけば、向こうも諦めるだろう。

覚えてないことに勝るものは、世の中には無いのかもしれない。
仮に自分が経済的に成功して、昔の嫌なやつをバカにして懲らしめても、名誉毀損などで訴えられる可能性が出てくる。

だから、いい生活をして、「どちら様?」ってしれっとしてるのが、正しいやり方なのだ。

みんな、どんどん過去の事は忘れよう。良いことも悪いことも、思い出すだけで辛くなるだから、無かったことにしてしまおう。

それが出来る人間ほど健康に生きていける。どうせ、悪意で満ちた世の中なんだから、いちいち色々と覚えてなくて良いんだよ、て思いました。

過去は変えられないが、未来は変えられる。しかしやはり過去はいつまでも付いてくる...。

こんちわ、なおっちです。

「過去は変えられないけど未来は変えられる」という、真実なんだけど何だか自己啓発くさくて微妙な文言が世の中で定着しています。

僕はあんまりこういうの好きじゃないんですよね。何か情報弱者を騙す自己啓発の匂いが強いし、そんな簡単に未来は変えられないよ、ってのが僕の意見です。

いや、あのね、未来って現在の延長でしか無い訳ですよ。今つまらない思いをしていたり何か重要な問題に直面している人って、この現在が未来に繋がっているのであって、劇的に何かが変わる事は、まぁ可能性としては高くは無いんですよ。

別に未来に希望を持つのは良いし、変わろうと努力するのも良い事です。しかし、あまり額面通りに受けてしまうのもどうかなと....。

一方で、過去っていつまでも付いて回ります。仮に自分が成功して、過去とかどうでも良いとか思っても、過去って薄っすらと付いて来るんですよねぇ....。

その過去の存在が小さくなるだけで存在感は薄くなるけど、過去はその人の所をウロウロとして、その人を構成する要素になってくるんです。多かれ少なかれ。

だって考えてもみて下さいよ。過去に人を殺したとか、人の人生をメチャクチャにした人間が、ちょっと更生して「過去は変えられない。だが未来は変えられる」なんて堂々と言っていたら、どうですか?「は?何言ってんだコイツ」ってなるでしょ。ちなみに殺人の刑が軽すぎると常に思っています。

 

ダメな自分をどうにかしたくて努力して、成功した人間でも、ダメだった過去って残るんですよ。

成功する為に、そのダメな昔は必要だったのかもしれませんが、その人の履歴書には、「〇〇~〇〇・・・ダメ人間」っていう経歴がちゃんと残ります。

過去に色々あって、精神を病んでしまっている人は、少なからず存在していると思います。僕もその一人です。

時に、その過去はその人の心や身体に入ってきて、弱い所から浸食してきます。時に、それはその人を支配し、飲み込んでいきます。元の人格が戻って来ない事もあります。

過去は決して物資としてカタチを成さないモノだが、風呂場のカビとか、頑固な油汚れよりもネットリ粘着して、身体の隅々まで纏わりついて、ゴシゴシと擦ったり必死に逃げたりしても、それは取れないんです。一生一緒に付いてくるんです。

力道山の一生一緒に居てくれやって言わなくても、自然とセットになってきます。

 

僕はいつも「過去」に潰されそうになります。とても大きくて、墨汁を煮詰めたよりも黒くて、時にそれは物凄く臭いです。

それからは絶対に逃げられないし、頑張っても自分から離れる事はない。それに飲み込まれたらジワジワと浸食されていくのを待つだけ...。

おそらくそれは、いずれ自分を壊し、自分が燃えて灰になるまで、僕に付いてくるんですよね....。

何をする時にも、それは現れます。フラッと出てきて、あぁでも無いこうでも無いと文句を言ってきます。

僕はそれに時に凄く悩むし、苛立ちを覚えるし、迷うし、もう何もしたくなくなります.。

 

この世で最も怖いモノは、毒蛇でも、狂犬でも、ガンでも、地震でも、津波でも、火事でも、戦争でも、核爆弾でも、あるいは幽霊やオバケでも無い...。

最も怖いのは人間だし、それは他人でもあり過去や現在の自分でもあります。過去の自分は現在の自分を容赦なく責めてきます。

『どうして、あの時あぁしなかったんだ?」、「おい、昔のお前のせいで今こうなってるぞ、あぁ!?」とか、そんな事を朝起きる度に言ってきます。

他人も例外ではありません。昔の人は、いつまでもそのままだし、いま何をしているのかは関係ありません。

あの時、わりと良い人だった者は現在でもそのままだし、あの時クソみたいだった人は、自分の中で永遠にクソとして生き続けます。それに終わりは無いし、僕が何かをする毎に出てきて邪魔をしてくるんですね.。

 

僕だって誰かにとっての過去として出てきているのでしょう。誰かにとっての僕は、凄く醜くて見るにも声を聴くにも耐えられない存在だし、今その人が何かをする時に邪魔になっているんでしょうねぇ。

あの時の僕がフラっと出てきて、あぁだこうだと文句を言って去っていくんでしょうねぇ...。

 

過去はいつでも付いてきます...。それはモノじゃないから、簡単に捨てる事も出来ません。

切り傷のように治療で埋まる事もないです。刺青のように消せる訳でも無い。常に脳みそを巡回し必要とあらば出現してくる鬱陶しい存在です。

 

そんな重荷となる過去が少なければ少ないほど、人は幸せになれるし、明るくもなれます。逆に嫌な過去という重いモノが多いほど、人は生きるのが辛くなるし、暗くなるのでしょう。

そのような人に「明るく生きろ」とかマジでセンスが無いし、場合によっては「おまえ死ね」くらいの殺傷能力を持っているんですね。

思いやりのつもりで言っているのが、余計に切れ味が鋭くて刺さるんです。それに多くの人は気付かない所に、世の中の地獄を感じます。

 

おそらく、僕にとっての一番の敵は「過去」で、そいつとの戦いは一生続いていくのでしょう.。それに耐えられなくなった時、僕は「死」という形で、それを終えるのでしょうねぇ...。

さて、今日も明日も、過去は付いてきます。非常に少ない可能性だが、それを小さくして自分にとって取るに足らない思い出になる事があれば、僕は闇から解放されるのかな...。非常に小さな希望だが、今はそれに賭けています。

しかし、冴えないオッサンとなった時、それは更に大きくなり現在が過去になった時、果たして「今」は、どんな「過去」になっているのろうか?考えただけでも恐ろしいですね...。

 

と、過去についてポエム臭く色々と書いてきました。本来ポエムって嫌なんですけどね...。やはり未来は変えられるけど、過去は永遠に付きまといます。

未来を変えた所で、多かれ少なかれ過去は自分の中で存在し、時々現れてきます。と言う事で、ぼくは「過去は変えられない。だが未来は変えられる」という言葉は薄っぺらくて嫌いですね、はい。

 

孤独になるための結婚はアリだと思う。

僕、頑なに結婚に反対の立場を取っています。

同じ人と一生一緒に居るっていうのが、まず無理ですし、浮気したら「不倫」と賠償金まで求められるシステムって、どう考えてもバカだと思うからです。

特に男にとっては厳しいのが結婚で、別れる時に慰謝料と子供が居れば養育費を請求されます。これ程バカな事ってあるでしょうか?

 

特に、若くして勢いで結婚して、そのあと熱が冷めた時に崩壊する夫婦もいますね。

あれ、マジでヤバいなって思うんですけど(申し訳ないですが....)、それはやはり人間は飽きる生き物だし、勢いだけで一生一緒に居るなんて無理なんですよね。

プリクラで「絶対結婚する」とか「一生大事にする」って書いているカップルの画像がインターネットで見れたりしますが、ああいうのを見る度に、「どうか勢いだけで結婚をして子供を作ったりしませんように...」と祈るのです。だって、子供が可哀想でしょ?

 

有名人などでも、結婚をしていて他の異性と関係を持つと、「不倫」と週刊誌に報道され、そのあとワイドショーで何時間も何日間もかけてネタにされ、世間からも「不倫だ」って批判されるんです。

え、じゃあお前は一生同じ人と暮らせますか?たまに違う人とも関係を持ちたくなったりしないんですか?一回、自分の胸に手を当てて考えてみて下さい。多くの人は、そうでは無いはずです。

 

でもね、人間というのは自分の事を一番分かっていないモノで、自分が歪んでいる人間だという事を分かっていないんですね。んで、自分も浮気とかした事あるくせに、不倫をした人の事を一生懸命叩くんですよね。まぁ人間なんて、そんなもんでしょう.....。やれやれ....。

 

しかしね、孤独が好きな人が、あえて孤独になるために「結婚」という選択をするのはアリだと思うんですね....。

は?何で結婚するのに孤独になるの?意味不明じゃん....。

って思われるでしょうが、それって案外そんなに相反する事でも無いんじゃないかな....。って事を書いていきます。

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料理と映画は似ている。

さてさて、僕は映画を見たりするのが好きで、かれこれ一年間で150本~200本くらいは観ているんじゃないかな....。まぁ貧乏なので映画館にはいかず、年3,900円のアマゾンプライムで観てますけどね....。

誰も幸せにならなかったり、ストーリーに意外性がある映画が好きです。「PET」と言う二重人格の女が出て来るサスペンスモノとか、「凶悪」などの人間の怖さが存分に出ているのに楽しさを感じます。

最近だと、「アイズ」とか、「誰でもない女」というのが良かったっす。特にアイズは凄く作りの上手いジャパニーズホラーでした。傑作の域です。今ならアマゾンプライムで観れるので見て見て下さい。

 

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反対に、恋愛映画とか真面目な社会派は苦手です。

そもそも、恋愛というのは体験して楽しむモノです。他人の色恋沙汰を観た所で、特に面白いと思う点は無いです。

恋愛映画では、恋人たちがよく喧嘩をして、仲直りをして、その後幸せに暮らしました、ってなる話が多いです。

しかし、大体の恋愛というのは実を結ばず終わりを迎えます。喧嘩をして、その後は何事も無く終わりました、という話がほとんどのはずなのに、そんな上手く行く訳が無いだろと思うのです。

彼ら彼女らの喧嘩も、まぁ不毛ですよね。お互いの悪い所について、あぁでも無いこうでも無いと言い合うのは中学生の喧嘩程度のモノで、それ以上でもそれ以下でもありません。

他人の欠点について言い合うのは僕に言わせれば無意味です。欠点なんて、どうせ治りませんし、嫌なら見なければ良いだけです。

それを指摘しても自分に何かメリットがある訳では無いですし、言ったら言ったで何倍にもなって言い返されるし.....良い事はありません。もし耐えきれない程の欠点を相手が持っていたら、距離を取れば良いだけです。大人の付き合いというのはそういうものだと思っています。

恋人同士の喧嘩というのは「暇人同士の、喧嘩が目的の喧嘩」に見えなくも無いんですね。

本来、人は自分の事に夢中なはずで、他人の事に夢中になるというのは無いはずです。成熟した人ならなおさら、他人のことはどうでも良いと思えるはずです。

だから恋愛映画は基本的に見ません。まぁもちろん、良い映画もありますが。例えばタイタニックとか。あれは真面目に傑作ですけど、船が沈むというパニック要素が強いので、ジャックとローズの恋愛は二の次という感じです。

とにかく他人の恋愛事なんて興味ね~よ、って事です。まぁ良いでしょう....。

 

あと、僕は料理をする事が増えました。暇人の為か貧乏の為か、又はどちらもですが、あまり良い状態では無いのは確かです。節約のため、という側面が強いです。

 

いや、別に食べるのは好きだし、料理だって立派な趣味だと思ってますよ、食べるといのは人間の生命を維持するのに必須の行為ですし、より楽しく健康的に美味しく食欲を満たすための行為は素晴らしい事です。

作るモノと言っても大したモノではありません。安い肉を買ってきて衣を付けて揚げたり、野菜と肉を一つの鍋で煮るとか、まぁそんな程度です。

 

が、素材を集めたり味付けをしたり、具材を入れる順序を工夫したり、それで最終的にどういう味にしたいかとかを考えて、出来たモノを食べてみて、その出来具合を確認するという行為は、けっこう面白かったりするのですよ。

 

この前はキムチ鍋を作りました。

最初にキムチをごま油で炒めると良い味になるという話を聞いたので、やってみました。その後、ニンニク、ショウガ、味噌を入れてスープを作りました。あと、豚肉は最後に入れました。辛さは控えめで、コクのある良い味になっていましたよ。

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あっと、話が逸れました。この記事では、料理と映画の関係性について語るんでしたね。

で、食事を作るという一連の行為というのは、実は映画に似ていたりするって事ですね。

 

行為の順に、それを説明すると.....

・具材を集める、買う・・・役者を揃える

・調理の順番を決める・・・物語の順番を決める

・味付けをする・・・演出、ストーリー、最終的な結末をどうするかを決める。

・食べる・・・出来た作品を鑑賞する。どんな作品だったか感想を言う。

 

ていう感じだと思います。

 

記事のタイトルとか冒頭を見て、「ウェww。キモイ。無職が何を言っているんだ?」って思って人もいるでしょうが、こうやってプロセス別に見ると、それが少し分かるんじゃ無いでしょうか?

具材を入れる順番とか、調味料を入れる量とかタイミングとかを考えながら、最終的にどのような味(結末)にしたいのか、という過程は楽しいのですよ。

 

んで、狙い通りの味(結果)になった時は、そりゃ嬉しい訳です。

こういう料理を作りたいという狙いを持って、それに近い味になるというのは、二重の意味で美味しい訳ですよ。

さっきのキムチ鍋でもそうですが、「辛さは抑えて、深い味にしたい」という狙いを持って、その通りになった時というのは、ただ食べるよりも美味しいんです。

 

んで実際のところ、コンビニなどで買うよりも、自分でやった方が、そりゃ値段的にも安い訳です(一人暮らしの場合はコスパが悪い事もあります)。

だから料理と言うのは、食べる事と、それを作るという二重の楽しみがあるという訳です。

 

こうやって見ると、映画を自分で製作するのも楽しそうですけどね。

どういうモノを作りたいのか?とかを考えて、その役にはどんな役者を揃えれば良いのか、そして物語の順序とか、どこで意外性を付けるとか、結末はどういう終わり方をして、観た人にどういう感想を持たせたいのか....。

それを考えて製作して、その通りになった時というのは、ただ見ているだけよりも面白みがあって、感動するモノなのでしょう....。

もちろん、感想は観ている人の自由なので、製作側が押し付けるのはセンスが無いですが...。あくまで狙いを持って作るということです。

 

料理をただ食べるだけでなく、味とかを想像しながら作ってみる楽しみもがあるのと、映画というのは凄く似ていますね。

やれやれ.....。やはり自分で作ってみるというのは何にも代えがたい楽しみがありますね。

クルマとかも同じなのですが、ただ誰かが作ったモノを乗るだけだと、その裏にある「どういう人をターゲットに、どのようなコンセプトで」という製作者の狙いとかが分からないんですよね。

しかし、そういうのも全て理解して、初めて全ての楽しさを享受できると思うのです。

クルマを改造して、より速く面白くする「チューニング」の楽しみはそういう所にある気がします。自分で車をカスタムするのは乗るだけでなく、そういう楽しみもあるはずです。

 

と言う事で、皆さんも料理をしてみましょう。案外、新しい発見があるかもしれないですよ.....。

映画は年間3,900円のアマゾンプライムがあれば良質な映画をたくさ味わえますよ~。

 

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苦手な人こそ観て欲しい!アマゾンプライムの面白い社会派、歴史系の映画10選!

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 ぱくたそ

 

社会派・歴史系映画って苦手という人にこそ観て欲しいです。

 

こんちわ、なおっちです。

2月に入って、またアマゾンプライムで映画を観始めています。やっぱり映画は良いですねぇ....。

僕が見る作品と言うと、ストーリーに意外性がサスペンスやミステリー映画だったり、観た後に不快になるクライム映画だったり、そういうのが多いです。

作品名で言うと、「冷たい熱帯魚」とかでしょうか....。園子温監督が入院してしまったんですが、大丈夫ですかね....?

まぁ良いでしょう。話を元に戻します....。

最近観た中だと、「暗黒街」とか面白かったですね。最後まで分からないイタリアンマフィア映画でした。ちなみにレビューはこちらに書いています。

 

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そんで最近は「社会派・歴史系」の映画を観るようになりました。

どちらかと言うと、僕はそう言う作品は苦手です。

堅苦しのとか重苦しい所が嫌なんですよね...。

ほら、目を覆いたくなるニュースならテレビでいくらでも観れるじゃないですか。NHKのドキュメンタリーでも放送していますし....。せっかく受信料を払っているんだから、そっちで見れば良いでしょう。

そして、現実世界は理不尽や不条理で溢れています。そんな毎日を生きているのに、映画でまでそんなモノを観たくない、と言うのが僕の意見です。

映画とは、非現実を楽しむモノ、という側面もありますからね。

 

しかし!社会派、歴史系の映画も面白い!食わず嫌いしてました。

確かにね、堅苦しくて重い感じもあるんだけど、それ以上にエンタメの映画tして楽しませてくれます。

現実の社会問題や歴史を知り考えるための社会派映画ですが、それで”非現実”を楽しむというのも変な話ですね。でも、まさにそんな感じです。

 

中には、皆さんも知っているような賞レースで高い評価を得ている作品もあります。

アマゾンレビューも高めです。その辺は保証します。

 

そんな、社会派だけどエンタメとして面白い映画たちを10作品紹介します。

歴史を題材にしながら最後まで意外性で楽しませてくれるサスペンス、ドシっと重めのミステリー、社会問題と独裁者がテーマながら、要所に笑いを含ませてるブラックコメディなど、マジで意外にもエンタメな作品たちです。

 

プライムで観れる作品に絞っているので、気になったら無料のトライアルに申し込んでみて下さい。サクッと簡単に、その上安く、サイコーの暇つぶしが出来ますよ。

 

おススメ度の順番に、★3つ評価で紹介しています。

 

 

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バイトテロはダメだけど無くならない。この世から戦争や殺人が無くならないように....。

くら寿司すき家セブンイレブンファミリーマートバーミヤンなど、皆が知っているお店でアルバイト従業員の、明らかに不適切で職務規定に反する行為がネット上に上がって問題になっている。。

寿司のネタとなる魚をゴミ箱に捨てたり、流行りの芸人のネタを真似しておでんの具を口に含んでみたり、商品を舐めっから袋に入れたり.....まぁ誰が見てもダメなのは分かるが....。

やっている本人は面白いと思ってやっているし、撮って公開している方は「コレはウケるだろ」という気分で撮影しているのだろう。そこに間違いは無いはず。

コレは学校の悪ふざけの延長と捉えて良いだろう。学校がアルバイト先になっただけで、基本的に本人たちの気持ちは変わらないはずだ。

「こういう事をやったら問題になるよな」という想像力は本人たちにもあっただろう...。中学生だって、こういう事をしたらこうなるだろう的な想像力はあるし、それでも学生同士の問題というのは世の中から無くならない。

しかし、そんな単純では無い。想像力があっても、人は危険な行為をしたがる生き物だ。

むかし人間は、危険を冒しても食べ物が欲しいから、獲物を捕まえて栄養を補給してきた。それと同じで、危険を冒すというのは人間に備わっている本能なのかもしれない。と言うか、そうとしか説明がつかない。だって、想像力が無い訳が無いのだから...。

また、想像力はあるけど、一時的にそれを忘れてしまったという事も考えられる。悪ふざけをする時は、「あの時はそういう事になるとは思わなかったが、思い返してみると、確かにそうだよなぁ....」という事もあるだろう。

僕も学生時代は似たような事をしてきた。悪ふざけのつもりで悪戯をしたら、その人は物凄く怒りだしたりとか、学校全体の問題になったりとか、そんな事もあった。

思い返してみれば、その時はそのような結果になって当然ではあるが、その時は面白さにしか目が行かず想像する事を忘れてしまった事も多かったなあと、我が身を振り返って見ると、他人事では無いなぁと思った。

悪い事をするのは基本的に楽しい事だ。学生時代は隠れて授業中にゲームをしたりお菓子を食ったりするのは、確かに楽しかった。自分だけ他の人とは違う存在になれた気がするからだ。

 

偉そうに説教をする大人や教師も、全員が間違った事をした経験が無い人では無いだろう。中には人には言えないような悪事を働いた事がある人でも、教員採用試験に合格すれば教員になって人を怒ることは出来る。同様に性行為をすれば子供を作れるから、人の親にもなれる。子供に偉そうに説教も出来る訳だ。

もちろん、人間なら間違う事はあるし、人にモノを教える人や親でも、間違った経験があるのは当然でもある。その事について文句を言うつもりもない。ただ、人間というのはそういう存在なのだ、というだけの事だ。

ただ、自分の行動を顧みず、ただ他人の間違いに対して説教をするのは、どうも微妙な気がしてならない。

テレビに出ているタレントでも、悪い事をしている人は当然いるし、そういう人がアルバイト店員の揚げ足を取って、「あり得ない行為だ」などと説教を垂れるのは、どうも違うと思うのだ。

 

んで、社会全体に目を向けると、残念な事件や目を覆いたくなるニュースなどが、毎日のように流れて来る。

今日も世界のどこかでは戦争や殺人などが起こっている。日本でも大の大人が異性に大してムリヤリ性的な行為に及んだとして逮捕された(世の中ではそれをセクハラと言う)というニュースも多い。

会社では今日も理不尽な扱いを受けて心を病む人間がいる。それはパワハラと呼ばれ、指導の範囲を明らかに超えた罵倒などが当てはまるが、そんな行為は今日も日本のどこかで行われているのだろう...。この世から精神科医という職業が無くならないのはそういう理由だ。

つまり、いま問題になっているファミレスやコンビニエンスストアのアルバイト従業員の問題行為も、まぁ氷山の一角くらいというのは確かだろう...。

人を殺したり、人種や肌の色や宗教で人間を差別したり(そこには政治的な理由が関係していて一概に悪だとは言えないが.....)、何の理由かは知らないが急に隣の国に軍事介入してみたり、金品目的で人を殺したり、組織の中で立場の弱い人間に対して指導の範囲を超えた接し方をしてみたり、世界はもちろん我々が住んでいる日本でも、そういう事は絶えず起こっている。とにかく世の中は悪事で満ちている。大の大人でも、組織の中で偉い取締役級の人間でも、逮捕されたりは常にある社会なのだ。

一方、今回の件で死んだ人は居ない。おでんの具を口に含んだところで死ぬ人は居ない。要はアルバイト店員の不祥事など、世の中で起こっている事件に比べたら重要度は高くないのだ。

その中で一介のアルバイト店員が一瞬の悪意でカメラの前で悪い事をした事をテレビなどで大々的に報じて皆で叩く事に、僕は非常に無意味さと違和感を抱くのだ。もちろん、その行為は良くないし、謝罪や場合によっては賠償が必要なのも理解できるが.....。

いずれ、彼らを一方的に批判したところで、アルバイト店員の不祥事は無くならないだろう。

もし、そのような事件を無くしたりなら、もっと深い所に目を向けなければいけない。それは労働環境なのか、賃金なのか、店舗のオペレーションなのか、組織の体質なのか、人間そのものの性質なのか.....。分からないが、いずれ複雑な事は確かだと思う。

まぁ、世界的には想像を絶する出来事が起こっている中、日本ではこのような事件がニュースでかなりの時間を取っているという事は、逆に言えば平和な事実の裏返しなのかもしれない...。このような事件が問題となっている限り、まだ日本は大丈夫なのかもしれない....。

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