ニートの平日

地方国立大卒ニートの生活記録。「え、ニートに平日も休日もないだろ....」という下らない日記です。

「キモくて金のないおっさん問題」が将来の自分の事に思えて来た。川崎殺傷事件から~。

初めに言っておくが、僕は殺人を擁護する気は一切ない。関係ない人間の命を奪うのはどんな事情があっても良くないし、場合によっては自分の命などで責任を取ってもらうのが正しいと思う。

川崎で痛ましい事件が起きた。未来のある人間たちの命が、一人の人間によって奪われた。残念以外に言葉が見当たらない。

 

さて、この事件について、いろいろと意見があるみたいですな...。でも、そりゃそうだよね。事件を起こす人間もいれば、それについて色々な意見を持つ人間もいる。人間とはそういうものだ。だから人間社会とは面倒なんだな...。

 

ひろゆき氏は、このような事件を起こす人間の事を「無敵の人」と呼んでいるようですね。いわく、このような問題が増える事を10年前から予想していたと。まぁ、その通りだよね。経済的に恵まれない人間が増えた今、そのような事件が増えるのは、まぁ当然だよね、って僕も思います。

 

NPO「ほっとプラス」の藤田孝典氏は「一人で死ねという言葉を使うのは止めて欲しい」と言っているようです...。それが若干、炎上中のようですが、僕もその意見には一部賛同する部分があったりします..。

なぜかと言うと、日本という社会の中にも、やはり身分とか貧富の差というのがあって、お金や権力を持って楽しく生きている人もいれば、貧乏でも幸せな人、そして、お金も守るべきものもなくてつまらない思いをしている人も存在するんですね。

その「お金も守るべきものも無い人間」の事を、最近では「キモくて金のないおっさん」とか、失うモノが無い人間という意味で「無敵の人」って呼ばれています。

その「金もなくてキモイおっさん」とか「無敵の人」の中には普通の人もいて、普通に社会に出て活躍しているレベルの人が、就職氷河期や、パワハラ、人間関係のアレコレなどの社会的な要因で、その場を奪われたりという事がある訳ですね。

そういう社会的な要因で、活躍の場を奪われた人間には、やはり社会から何らかの助けとかが必要なんですよね。それこそ、今回の川崎での事件を起こした人は、引きこもっていて、他人と意思疎通を取る事も少なかったようですし...。

その人が、どんな事情を持っていたのかは、その人にしか分からないでしょう。でも実際に、社会的な要因によって、”普通”に生きる事が出来なくなった人間もいる訳ですよね。そのような人は、社会に対して不満を持ちます。そうなると、このように自分の存在を知らしめるために、犯行に及んだ理するんですよね。今回の事件の場合も、概ねこんな感じで間違ってないと思います。

 

就職氷河期世代がどんどん歳をとっていく中、このような事件は増えていくと思います。だって、世の中に不満を持っていて失うモノが無い「無敵の人」が増えるんですもん。事件を起こしても、何も失うモノが無いなら、そりゃこういう事件も起きるわ、と。

だから、社会がこのような人たちを見捨ててはいけないと思うんですね。社会がもし、何らかの手を差し伸べて、「無敵の人」に救いを与えられるなら、そのような事件が無くなる事はなくても、発生するリスクを減らすことが出来ると思うんです。

 

日本という国は先進国で、経済的にも治安的にも恵まれた社会であると言われています。そこに異論はありません。日本という国に産まれたのは幸せな事だと思います。

しかし、人間というのは身近な人間と比べる生き物なんですね。「同族嫌悪」という言葉があるように、同じような人間を意識して、そのような者同士が争ったりするように人間は出来ています。

そこで、日本人が自分と比べる対象というのは、そりゃ日本人になる訳ですよね。アフリカとかの凄く治安の悪い所の人が、今日も殺されたり誘拐されたりしていますが、そういう事情は、わりとどうでも良くて、大事になるのは、他に日本人がどのようにしているか、なんですよ。「無敵の人」と呼ばれる人間たちは、他の日本人が楽しそうに生きているのを見ると、とても苦しいし、自分という存在が惨めに思えてくるんですね。

僕も、テレビとかで他の人が楽しそうに生活をしているのを見ると、残念な気持ちになるんですね。「何で俺はこんな人生なんだ!」ってイライラします。それを思うと、彼らも僕も、そんなに変わらないんじゃないかなって。

 

だから、こういう事件は減らすためにも、「社会がしてあげられる事」を議論するのが、社会を良くする上で最も建設的だと思うんですよ。

と言うのも、僕にも似たような所があるのかな、って思ったんです。友達もいなくて、国立大学を出てもニートで、つまらない人生を送っている僕って、このような事件を起こす可能性があるんじゃないか、と。100%他人事には、とても思えなかったんですよ。

 

繰り返しますが、関係の無い人間を殺すことを、擁護するのは絶対に出来ません。でも、社会からドロップアウトしてしまった人間が、こういう事件を起こすことは絶対にあるんですね。この世の中で、そのような「無敵の人」に転がり落ちていく可能性は、誰にでもある訳で。

自分が被害者にも加害者にもなりうることを考えられず、単純に自己責任で片付けようとする人には、少し嫌悪感を抱いたりもします。もう少し、ちゃんと考えようよ。人間には思考力があるんだからさ。

社会がそのような人間を助ける努力などを、怠っては絶対にいけませんよね。決して自己責任だけで片付けるのではなく、それは社会に課せられた責任であり義務でもある、という世の中の方が、そりゃ良い社会に近づくよねって思ってます。

 

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映画「ゆれる」を見て。長男とか兄弟とか家族とか、色々考えさせられるよね...。

映画の「ゆれる」を見ました。アマゾンの100円セールの時に買ったやつでした。

西川美和監督らしく、人間とは何か?的な核心にせまる内容でした。やっぱり、映画とはこういうものを言うんでしょうね。ちゃんと演技が出来る役者に、しっかりしたストーリーで面白かったです。

 

ゆれる

ゆれる

 

 

ストーリーは、オダジョー演じる弟の「たける」と、香川照之演じる兄貴の「みのる」が、自分たちの実家のガソリンスタンドで働いている「ちえこ」と三人で川へ遊びに行くが、吊り橋からちえこが落ちて死んでしまい、その事でみのるが逮捕され、兄弟、家族の関係が崩れていく...。的な感じです。

 

アクションとかサスペンスではなく、日常的に発生しそうな所を描いてる、非常にリアリティのある映画です。

是枝さんとか園子温さんとか、あとは白石和彌さんとか、そういうリアルな日常的な映画を作るのが上手いですよね。最近、園さんはあまりマトモな映画は撮っていないようですが、今度まら冷たい熱帯魚みたいなのを撮って欲しいですね。

 

ほんで、この映画では、兄貴の香川照之演じる「みのる」が逮捕されて、そのあと違う顔を見せて来る所が大きなポイントです。

それまで、弟にも優しくて、父親の家業を継いで、真面目に暮らしていたみのる。しかし、事件のあと、逮捕されて裁判が始まると、兄貴はまるで別人のような人格を見せます。

弟のたけるが面会に来ると、「もうあんな家に戻りたくない」とか、「仕事をして家事をして、それが終わると親父の講釈を聞いてウンザリなんだよ」って言ったり..。それまで、良い人で真面目に、特に愚痴もこぼさずやっていた兄貴が、突然こんな事を言いだすんですね....。

このみのるさんは長男で、おそらく「家業を継ぐのが当たり前」とか「親の面倒を見るのが当たり前」的な感じで、子供の頃からずっと生きて来たのでしょうね。

それで、彼はその通りにずっと生きてきました。家業も継ぎましたし、親と一緒に暮らしています。しかし、彼は、そんな暮らしが、ずっと不満だったと言うのです。

やれやれ、この辺って、長男である事の宿命を感じますよね。「親の面倒を見るのが当たり前」とか「家業を継いで当たり前」とか、そういうのって、本人からすればわりと迷惑なんだろうね、って思う訳ですよ。

みのるには、本当はやりたい事があったかもしれないし。事実、弟のたけるが楽しそうに自由に生きている事を羨むセリフもあります。それを見ると「俺だって自由に生きたかったんだよ」的な気持ちを感じる訳ですね、はい。

 

みのるのような人間って、良い人を演じるというか、小さい頃から教え込まれている「当たり前」的なモノに潰されてしまったんだろうなって思うんですよ。ホントはこれをしたいのに、あぁいう風にしたいのに、って思っているけど、自分でそれをするのはなかなか難しくて、いつの間にか”普通”に生きる事を選んでしまって....。

でも、それが切れたって、やはり怖いですよね。そういう人が切れると、何をするか、分からないモノですからね...。

 

僕も、一応は長男なんですね。もし、僕の家が何かの家業を持っていたら、どうなっていたか...。いや、家に商売があるって良い事だし、ニートの僕としては、就職活動をしなくて良いなぁって思うんだけど、一方で、将来を限定される感もまたするのよね。「君はこれをするんだよ」的な。

大学を出て、就職をして、普通に遊んで的な暮らしを求めている人にとっては、それって嫌なんだろうな、と。おそらく、みのる君も、ホントはそうしたかったんじゃないかな、って思うのよ。

 

長男とか、兄弟とか、家族とか、いろいろ考えさせられる作品ですな。もし、自分が長男で、家業を継ぐ立場にある人とかは、凄く心に刺さるはずで~す。

 

と言う事で、僕は視聴期間が過ぎないうちにもう一度みます。やれやれ...。アマゾンのビデオのレンタル期間が48時間なんですよね。どうにかならないかなwww...。

 

淵に立つ

淵に立つ

 

 

永い言い訳

永い言い訳

 

 

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僕も宗教にハマっていたかもしれない。村上春樹『1Q84』を読んで....。

村上春樹氏の『1Q84』を読み終わりました。

彼らしい文体と、徐々に複数の人間の人生が交わるストーリー、登場人物のパーソナリティなど、やはり面白いですね~。やっぱり村上春樹サイコーですわ。

ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』、初期の方だと、『風の歌を聴け』などに並ぶ作品だと思うので、皆さんも読んでみましょう。

 

1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

 

 

その『1Q84』では、宗教とかがわりと重要なテーマとして出て来るんだけど、まぁけっこう考えさせられるのよね。主人公の「青豆」や「天吾」、その天吾と一緒に小説を書くことになる「ふかだえりこ」などが、話が進むにつれて宗教と関わりを持ってきます。

「青豆」は、小さい頃から両親がある宗教の信者で、そのせいで色々と変な目に遭っていました。「ふかだえりこ」は、両親が新興宗教「さきがけ」の幹部で、そこに天吾が関わって来て.....。あぁ、あんまり言うとダメだね。詳しくは読んでみて。

その「さきがけ」は、資本主義または物質主義に馴染めなかった人間たちが最後に行く着く場所として描かれています。この辺が色々と考えさせられるのよ。

一応、日本という社会の中では、会社や組織に属して、お金を貰って生きていかなければいけない。早稲田大学とか慶応義塾大学とかを出た人間たちが、「三菱商事」とか「みずほ銀行」とかに就職して、「社会人」として生きていきますよね。

それはほんの一例で、僕みたいにつまらない地方の大学を出た人間でも、地方のパッとしない会社とか地方自治体に就職して、給料をもらって生きていくのが、一般的な訳ですよね。高卒でも同様に。それは、一部界隈では「社会の歯車になる」と言われたりもしますね....。

 

しかし!残念ながら、それが上手く出来ない人間もいるのよね。僕もその一人です。社会とか、組織とかに上手く順応できない人間は、就職をするというハードルを超えられず行き場所を失う、なんて事もあるのよね。そういう人は、「社会不適合」なんて言われ方もします。

そういう人は、行き場所を失います。どこからもお金を得られなくて、住むところも無い....。そういう人たちがはどこに行くのかと言うと、最後の手段として、宗教とかに入信して、街からは少し離れた山間のコミュニティに入って生活をしたりするわけ。そういう人も少なからずいますよね。

1Q84』でも、そういう描かれ方をしています。行き場所を失った人間たちが生きるために、資本主義社会から離れた場所に行くのです。そこに行く人は自信を失っているため、ある意味での「絶対的な指導者」を求めるのですよ。ある教典や教祖を絶対的な存在と崇め、心の拠り所にする、というのはよく聞く話ですね。

 

それで。僕もそうなっていたかもしれないって思ったわけよ。上手く社会に馴染めず、就職にも失敗し、バイトも続かず心を病んで...。それって、要は資本主義社会に馴染めなかったという事になるんだよね。そういう僕みたいな人間がどこに行くのかと言うと、山間の独自のルールで運営されているコミュニティとか、もっと言うと、新興宗教だったりするんですよね。

 

僕は、あまり宗教に良い印象を持っていません。怪しいし、誰かを絶対的な指導者と崇めるなんて危険だし、大体にして科学的では無いし...。まぁ、そこに違いはあまりないでしょう。危険な思想の元に運営されている所もあるし。

でもね、社会に馴染めない人間たちにとっては、そこは最後に救いを求めて行く場所な訳だよね。オウム真理教みたいな事件を起こした団体も、そこは社会に馴染めなかった人間たちも多く居ただろうし。それを考えると、なかなか絶対悪にするのも微妙な感じがあるのよ。

 

社会で行き場所を失った人間たちは、自分たちを排除した、あるいわ自分たちがどうしても上手く馴染めなかった”社会”に対して、おそらく「恨み」に近い感情を持っているでしょう。そうなると、テロで社会を変えようという思想を持ったり、行動を起こしたりする事もあり得る訳だよね。

オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件とか、連合赤軍あさま山荘事件とか、そういう事件も、おそらく社会の転覆とか変革とかを求めた事件。そういう事件を起こす人達って、社会の中では少数派とか、弱者と言われる人間たちなんだよね。どうしてもその社会では生きられない人たちが、最後の手段として、そういう行動を起こすのかな、って思ったんです。

 

いや、もちろん良くないんですよ。どういう背景や思想があっても、関係の無い人を死なせるのは絶対に良くないです。

しかし、まぁ社会にはそう言う人達もいるんだな。どうしても社会の変革を求める人たちが。もちろん、日本は少子化とか色々と問題はあるけど、治安も良くて自由もある程度は保障されているし、GDPも世界3位なので、まずまず良い国だとは思う。でも、そういう中でも、やっぱり社会に変革を求める人は出てくるんだな。ソ連も崩壊して共産主義も下火になってきたのに。やれやれ......。まぁ、人間というのはそういう生き物なんだね.....。

 

新興宗教とか、そこにハマる人って、危険って言われますよね。でも、それって、正確に言えば、「多数派、または体制側の人から見れば危険」な訳ですよ。社会の多数派、体制派、政権側、社会に上手く馴染んで機能している人間たちからすれば、社会に馴染めなくて宗教に入信したり、もっと過激になると社会の変革を求めて行動を起こしたりする人達は、「危険」なんですよね。だって、社会を変えようとしているんだもん。今の社会に満足している人からすれば、社会を変える必要なんて無いんですよ。彼らのような人間たちは危険分子そのものなんですよね。

 

まぁ、それは当然ですよね。選挙で勝った方の言い分が通って、そういう社会になるというのが民主主義だから。最大多数の最大幸福を目指すのが、民主主義政治の基本。だから、負けた方の言い分は、まぁ基本的に聞き入れて貰えない。そんなもんです。選挙の機会も与えられず、ある政党や指導者の言うことが実行されるよりは、まだ良いじゃないか、って感じなのかな。

 

長くなったけど、何が言いたいかというと、1Q84』はメッチャ面白い!

それに尽きる。これからもハルキ・ムラカミに期待。彼が生きている間に、どれくらいの作品を生み出してくれるのかな。楽しみである。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 
ノルウェイの森 (講談社文庫)

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

 

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子供が欲しいから結婚をするのか?

某タレントの離婚が少し話題になっている。

いや、離婚は良いと思うんだ。人間だし、気持ちが変わる事もある。そもそも、結婚なんて、役所の紙一枚出して出来る事だし、その程度のものだ、と僕は思っている。

ちなみに、僕は結婚をしても熱は絶対に醒めるものだし、そんなのしない方が良いんじゃないか、と思っている。結婚をしている人を見ていて、あまり幸せそうな人を見ないからだ。普通に暮らしているけど、どこかにやりずらさを感じているように思えるのだ。だったら、一人で思いっきり好きな車に乗って、好きなモノを買っていた方が幸せだよね、って思うのよ。ねっと掲示板の人とかだと、「結婚する人ってバカだと思うんですよ」なんて言っているし。まぁ、あの人にかかれば、誰でもバカになりそうだけどね。

 

僕が、「ん?」って思っているのは、離婚を切り出した、20歳年下の旦那が「子供が欲しいから別れる」と言っている点である。

ほほほ.....。なかなかコミカルな意見だな、と個人的には思う。子供が欲しければ、養子を貰うという方法があるはずだ。いやいや、違う。彼は子供が欲しいのではなく、”自分の遺伝子を引き継ぐ人間”が欲しいのだ。

やれやれ。自分の遺伝子を継ぐ人間が欲しい....。なるほど.....。まぁ、世の中の人間の大半はそうなんだろうね。自分のそんなに自慢できない遺伝子を残そうと必死になっている(その人のことではない)。そのために、「パートナー」という事実上の子供を産んでくれるor種を提供してくれる人間を作る。今回の芸能人の旦那も同じだ。自分の子供が欲しいから、結婚をする。そのために、今のパートナーと別れる....。悲しい。

それは本当に正しいのだろうか?子供を作りたいからという理由で結婚をする。しかも、そのために今いるパートナーと別れるってwww。僕からすれば、これは愚の骨頂でしかないのよ。だって、仮にも好きで結婚しているはずなのに、自分の子供が欲しいから別れるというのはいかがなモノなの?

 

僕が何を言いたいかと言うと、この人の場合も、世の中的にも、結婚が子供を作るための道具になっている気がするのよ。あくまで、結婚は二人が幸せになるためにする事であって、子供を作るためにする事、では無いと思うのよ。

子供を作るとか、そういうのは後に付いてくるものじゃないの?あくまでそれは、目的ではなく後に来るものだろう。しかし、世の中的には、こういう人たちが珍しくない。子供、もっとハッキリと言えば、「生殖」が目的化しているんだよね。

いやいや、それはやばいでしょ?子供を作りたいから結婚をして、一緒になって暮らすって...。それ、結婚生活が破綻するじゃね?って思う訳ですよ。子供が出来ても、それは一緒に暮らしていても、パートナーとの関係が悪くなってきて、夫婦生活、もっと言えば家族生活が崩壊して、子供の成長などにも少なくとも影響してくるのかなって思ったの。

子供は幸せな夫婦の元に産まれてくるのが一番だし、あくまでそれは付いて来るモノであって、目的化するものではないと思う訳よ。そのために結婚しても、良いようにはならないよね~って。でも、そういう人も居るんだな、不思議と。

 

僕が何でこんな事を言うのかって、あまり幸せそうでは無い夫婦の元に育っている子供を、わりと多く見ているからなんですね。

夫婦二人があまり成熟していなくて、お金もそんなに無くて、とても子供を育てられる環境では無いのに、”子供が”出来てしまった”、ていう家庭が、わりと多くあるのよね。しかも、子供が一人ではなく三人とか。

それって、子供を作る事が目的化してしまって、先に来てしまった結果なんじゃないかな。まずは、夫婦二人の生活を充実させる事から始めて、それから二人が同意の上で、子供を作った方が、絶対に良いよね。と言うか、子供って、それくらいの準備をしてから作るものだよね、って。

 

今回の彼の場合。子供が欲しいから別れるって。それって単に、その某タレントの事が、あまり好きでは無いからじゃいの?だったら、そう言えば良いのにね。言いたいことも言えないこんな夫婦じゃ、ポイズン。そんなの誰が聞いても、大体は想像できるのよ。

 

そして、遺伝子って、そこまでして残すほどのモノなのか?いや、子供を作りたいという欲求は大事だ。それは性欲と呼ばれ、人間社会が持続的に発展していくためには絶対に必要なモノなのだ。これが無くなったら、人間はいなくなってしまう。でも、世の中の人って、子供を残すほど優れているのかな?(今回の某タレントの旦那の事では無い。あくまで一般的に)

いや、もしかしたらめっちゃ凄い能力がある人間なのかもしれないし、優しくて良い人なのかもしれないよ。でもね、それでも今の”愛し合っている”パートナーと別れてまでする事なのだろうか?

そして、そんな事も考えられないような人って、多分そんなに賢くない訳よ。そんな自分の遺伝子を残すために、わざわざ別れて、”自分の遺伝子を継ぐ人間”を残す事に必死にならなくてもねぇ...。

でも、世の中の人って、大して優秀でも無い自分の遺伝子を残すのが好きだよね。何でだろ?僕は不思議で仕方が無い。何も考えないで、とりあえず子供を作る。これでは、人類は、不幸を繰り返すだけだよね。早く人間の皆さんが賢くなって、「自分の子供って必要かな?」って考えられるようになって欲しいなぁ。そうすれば、不幸な人も減るし、自分ももっと楽に生きられるのに...。

 

と、童貞ニートで暇な精神患者が上から言ってみましたよ。まぁ、好きにすればいいよね。自分の人生だし。「自分の遺伝子を残す事」を趣味にしても良い訳だよ。日本は自由な生き方を保証している民主主義国家だから。こういう人間がいる事も、日本の良い所である、という事にしておこう。

 

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いとこが美人になっていてビビった話。

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(ぱくたそ)

 

このまえ、父親の実家の農作業の手伝いに行った。

ニートの僕は身内に顔を出すのも恥ずかしくて仕方が無いのだが、さすがに少し役に立つなら行かなければという僅かに残った責任感と貢献心を振り絞って、実家に向かった。

父親を助手席に乗せて、国道を一時間ほど走らせて父親の実家へ。別にそこの人間が嫌な訳でも無いし、行った時は普通に接してくれるのだが、やはり気が重い。このままどこかに行ってしまおうかと思ったが、その重い足と腕を何とか動かして、実家に向かった。

到着すると、まずばあちゃんが出迎えた。「まずお茶でも飲めよ」と。あぁごめんね。ホントはこんな孫の顔を見るのも嫌なはずなのに。情けない孫だな。と、僕は帽子を被って自分の顔を隠しながら中へ入った。そしてまずは死んだじいちゃんの仏壇へ。「あぁ、じいちゃんスミマセン。僕はまだこんな状態です」と心の中で唱えながらチーンという音を鳴らして手を叩いた。やれやれ、こんな状態がいつまで続くのか。

 

少し居間でお茶を飲んで農作業へ。トラックに苗を積んで、持っている田んぼに行って、トラクターにそれを積んで、あとは田んぼをレイキでならしながら、一家の主である父親の兄ちゃんが田植えをしているのを眺めた。

トラックに苗を積んで、それを降ろして、トラクターにそれを再び積む作業は、非常に疲れるし身体も痛くなる。やれやれ、これを一人でやるのはムリだよな....。と大変さを心と身体で感じながら、自らの状況を憂う事も禁じ得なかった。やれやれ、農業をちゃんと守らないと、日本は沈んでしまうよ。ムダな道路工事で建設事業者に忖度するより、生活に必要な食べ物を作る人を守ろうよ、政治家の皆さん。

 

午前中の作業を終え、僕らは家の中でご飯を食べた。僕らが来ることで気を使ったのか、寿司を買ってきてくれていた。いや申し訳ない。ニートの僕にここまでしてくれるのか。すまないなホント。と、僕は自分はどう思われているのかを気にしながら、一緒のテーブルを囲んで座った。

そこに居合わせたのは、家の主の娘。実は、僕はマトモに話した事も無い。昔からコミュ障、学校の女とマトモに話した事も無い、そして向こうも僕の事を良く思っていないのは少し見ればすぐに分かる。その上、僕はニートだ。そんあ状況で、いくら従姉妹とは言えども、話す事なんて無理なのだ。やれやれ......。僕はまたも恥ずかしさから、帽子を被りなら、食卓を囲んだ。

 

そしてビックリ。何と、家の主には、もう一人の娘(妹)も居たのだが、その妹の方が帰省してきていたのだ。一瞬、目を疑ったが、どうやら妹の方で間違いないらしい。

まず、格好にビックリ。少し根元が黒くなった金髪ショートヘア。いやいや、大学生だったらそれくらいやっても当然。きっと大学でもイケイケな生活を送っているのだろう。

顔を見てみると、僕の驚きは頂点に!誰が見ても、そこそこ可愛いと思える顔をしていた。今まで、ほとんどマトモに顔を見たことも無かったが、目はクリッと大きめで、身長は女子にしてはそこそこ高い。もしかしたら僕よりも高いかもしれない。そんな劣等感を感じながら、僕は彼女を帽子のつばの下から、チロチロと覗くように見た。

彼女(妹)はバンドをやっているらしい。大学生で、バンドをやっていて、それでいてあの容姿...。これは彼氏がいるな....。きっと彼女はヴォーカルで、バンドのギターの男が洋楽好きの、そこそこのテクニシャンで、バン・ヘイレンの奏法などを真似していて、夜はコンビニで酒を買って、家で一緒にそれを飲む。ウィスキーとかを瓶のまま飲みながら好きな音楽について語り合って、最後のエッ.....。

バカ野郎、いとこだぞ。そんな事を想像してどうする?仮にも血の繋がっている人間だぞ。俺はここまで落ちたか。いとこのそんな事まで想像するまでに落ちぶれたか....。

 

僕はそんないとこへの想いを隠しながら、寿司を食べて、午後も少し作業を手伝って、家を後にした。なるべくその従姉妹と顔を合わせないうちに、帰りたかった。じゃないと、僕の中の”何か”がおかしくなってしまうかもしれないからだ。

 

やれやれ、25歳童貞には明るい未来なんて待っていないんだな。それがよく分かった。きっと、この後はただのキモイおっさんになって、普通の人には考えられない性癖を持って、満たされない欲求を抱えて生きていくんだろうなぁ...。やれやれ...。

 

僕は帰りのクルマを運転している中、いとこの事を考えた。やれやれ....。何で農作業の手伝いに行って、いとこの事であぁでもないこうでもないと悩まなければいけないのか。僕はなぜここまで、色んなものに悩み、苦しまなければいけないのか。

性欲邪魔。僕に性欲さえ無ければ...。女を見ても何とも思わなくらいドライだったら..。この世に美人さえいなければ...。みんな、見た瞬間に吹きだしてしまうくらいのブスだったら、僕は悩んだりしなくても良かっただろう。

美人とはどんな時も恐ろしい存在である。僕はブスよりも美人の方が嫌いです。あぁこの人キレイだな。でも、自分には無理だな。それが一番つらいんだよ。やれやれ。

 

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精神科に行ったら「ちゃんと税金を収めろ」と言われましたwww

どうもこんちわ。なおっちです。久々の更新です。更新が滞った理由は、最近は小説を書いていて楽しかったので、そちらを優先していました。

こちらのブログでも、時々つまらないどうしようもない事を書いていくので、読んでバカにするなり、ぼっちの皆さんの暇つぶしの役に立つと嬉しいです。

 

そんで、この前の水曜日に遂に精神科に行きました。

今まではどうせ混んでいるし、行っても治る訳では無いんだろうな、と思って行ってませんでした。

やれやれ、行ってみると、まずは相談員に具体的な症状を話して、それを先生に伝えるという事だった。

僕はその相談員の人間に、自分の症状やどのあたりで症状が出始めたか、思い当たる事はあるかなど、聞かれた事に正直に答えた。過去の事を思い出してイライラする、独り言を言ってしまう、朝起きるのが辛い、何もやる気が起きない、などなど、自分が抱えている症状を相談員の人間に話した。

相談員の人間は感じの良い女の人だった。この人が先生だったら良いのにな、と思いながら、その人間との相談を終えると、少し待合室で待っていろ、との事。いったいどんな人間が先生なのか、人間嫌いな僕はその事が気になった。

そして、呼ばれて診察室へ。待っていたのは、大柄で白髪が生えた男。「えぇ、女の人じゃないのか」と内心ガッカリ。やはり何かを話すには女の人の方が色々とやりやすい。特に精神をやっている僕みたいな人間にとっては、やはり女の人間の方が、自分の症状を話しやすいのだ。やれやれ、こういう時に女の人の偉大さを感じる。いやらしい意味でもエロッちい意味でもなく、僕は女の先生の方が良かった。

「どうぞ」と言われて、僕は診察室の椅子へ座った。白髪の大柄な男は、数十秒黙り込んだ。まるで精神が病んだ僕を試すように。「この男は沈黙にどれくらい耐えられるか」と試験をしているようだった。

 

そして開口一番、「今日はどうしたの?」

え?今日はどうしたの......?さっき相談員の人に言いましたよ。過去の事を思い出したりしてイライラしたりとか、独り言を言ってしまったりとか、やる気が起きなかったりとか、朝起きるのが辛かったりとか、症状はそんな感じです。それを直したいので来ました。僕はさっきの女の人に言ったことを、そのままその先生にも繰り返した、さっきの感じの良い女の「相談員」は、一体なにをしていたのか?何のために存在していたのか?あの30分ほどの時間はいったい何だったのか?考えるほど、訳が分からなくなってきた。

 

その「先生」と呼ばれる人間は終始偉そうだった。いや、おそらく先生というのはそういうものだ。お医者様だから、それは仕方が無い。僕はそう思う事にした。

でも僕はそれが微妙に嫌だった。話すほど、自分が侵略されている気がしなくもなかった。

次の質問は、「何がきっかけで、そのような症状が出たのか。分かる?」いやいや、それもさっき言ったよ。人間関係がうまく行かなかったり、就職活動にしっぱいしたり、バイト先の変な爺さんに理不尽を強いられて嫌になったりで、色々いやになったんだよ、と。おい、「相談員」さんよ、君がいったい何をしていたのか?感じの良いふりをして、何もしていないじゃないか。さっきの女の人にも腹が立ってきた。そして、この男の質問の仕方、さっきも話したことをまた話させるこのやり方にもムカついた。自分の精神に問題がある所や症状につぃて話すのは、本当に嫌な事なのに、それを繰り返させるとは、この男は、もしや、僕を余計に病ませたいのか。そうとも取れる人間だった。いや、本人に悪気はないのだろうが。

 

その後も続いたお話。

医者「友達はいる?」

僕「いない」

医者「一人もいないの?」

僕「たぶん」

医者「ほぉ」

いやいや、そういう人間だって居るのよ。特に後になって会って話すような人間が一人も居ない人間が、世の中にはいるのよ。そんな特殊なモノを見るような目で見ないで。

僕はこの男との会話をいち早く終わらせたかった。早く終わってくれ、テキトーな薬をだして、楽にしてくれ。これ以上、僕を苦しめないでくれ。

最後の方になると、彼の口調も少しは柔らかくなって来た。最初からそうしてくれよ。人と話すのも辛いんだから、せめて精神科医なんだから、それくらいはしてくれ。お医者様、お願いします。

「あんまり考えすぎず、適当に受け流す所は受け流す。これが大事ですよ」

あぁ、やっと少し僕を励ますような言葉を言ってくれた。しかし、最後に

「やはり、最終的な目標は、あなたがちゃんと、”納税者”になる事だね」

あぁ~言われた~。遠回しに「ちゃんと働け」と。病んでいる人間にはこれ以上ないパンチ力のあるワード。それは殴られるよりも辛いのだ!お願い、先生、それだけはやめてください。

いや、それはその通りですよ先生。あなた間違っていない。僕だって精神が良くなったらちゃんと働いて、給料をもらって、税金を払って、人並みに生きたいですよ。医療を受けるのも、ちゃんと働いている人が収めた税金で成り立っている訳だし。

ただ、今まで集団でマトモに過ごした経験が無いからな。僕にそれが出来るかは微妙。もしかしたら、僕には他にも、アスペルガーとか自己愛性障害とか、そういうものもあるかもしれないし。

やれやれ、精神患者は辛いよ。これと言った対策がないから。やれやれ、どうすれば長いトンネルから脱出できるのか。生き地獄というのはこういう事を言うのかもね。

いずれ、今回の診療で分かったのは、「他人の気持ちを理解できる人間はいない」という事だ。いや、至極当然の事だが、いくら医者と言っても、合わない人間はいるのだ。改めて、それを思い知った。お医者さんにも色々居るのね。僕の闘いは続く。

 

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「思考は現実化する」と言っていた大学時代の知人は、第二地方銀行に就職した。

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初めに言っておくが、その知人を馬鹿にする目的でこの記事を書いている訳では無い。

就職して、ちゃんとお金を稼いで、税金も納めて、社会を回している事には尊敬するし、ニートの僕が偉そうに何かを言える立場では無い事も分かっている。

あくまで、自己啓発の意味の無さを実感した、というだけだ。

 

僕には、友達とまでは行かないが、ちょっとした知り合いがいた。

大学の同じゼミで、ビジネスなどに少し興味がある人間だった。

その彼(以下、ビジネス君。バカにしている訳ではなく、あくまで便宜上)は、けっこう意識を高く持っている人間だった。

交友関係も豊富で、コミュ障で性格が悪くて友達なんて一人もいない僕とも、ちゃんと話してくれたし、すごく病んでいた僕には、彼と話すのが少し救いでもあった。

 

ただ、少し嫌なのが、「人の悪口を言うな」と言ってくる事だった。彼いわく、「運が逃げる」。

僕はそれほど幸せな人生では無いし、出来れば他人の幸せを見るのは嫌だった。だって、自分が幸せじゃないのに、他人の幸せなんて祝えないし、上手く祝えないと文句を言われるからだ。せめて、他人の悪口くらい言わせてくれ。

まぁ良い。彼は特に破綻することなく、それまでもマトモな人生を送っているようだった。事実、彼はちゃんと就職している。

僕に比べれば、マトモなのは明らかだ。いちおう、その時は、いう事は聞くことにした。「そうだね」とテキトーに誤魔化しておいた。

 

ビジネス君は読書も好きで、「人を動かす」とか「金持ち父さん貧乏父さん」とかを読んでいた。ホリエモン氏の「本音で生きる」も好きだったようだが、僕も中古で買って読んだ。

確かに面白かった。彼と会った時、読んだ本の話をするのは、わりと楽しかった。

 

そして、彼は、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」も読んでいた。

自己啓発の元祖、総本山とも言える「思考は現実化する」。どういう意味合いで言っているのかは分からないが、いずれ、そのタイトルに若干の違和感を覚えていた僕は、別に自己啓発を否定する訳ではないが、その本だけは微妙に避けていた。

 

だって、全ての思考が現実化したら、そりゃ大変だろ?

まず、思考が現実化するなら、「金持ちになりたい」って思っている人間の思いが全て現実化する事になる。僕は常々、金持ちは偉いと思っているし、自分も金持ちになりたいと思っている。常に、毎日だ。

しかし、僕は金持ちになっていない。それどころか、普通に働けないくらい心を病んでいる。さて、これはどういう事か?

そして、全ての思考が現実化したら困る。世界を崩壊させたい人間たちが、それを思考するだけで現実化できるなら、世界は何回やり直しても足りないだろう。

北朝鮮や中国の人間が「日本を滅ぼしたい」と思っていても、それが現実化したら、日本人としては溜まったものではない。

そんな大げさなレベルではなくても、例えば「あの人と付き合いたい」とか、「彼女と結婚したい」と思っても、実現しない事の方が多いだろう。日常生活レベルでも、思考が現実化するケースは、そうは多くないのだ!

 

さて、思考は現実化する、というのはかなりムリがあるのは分かってもらえただろうか?

 

そんで、ビジネス君だが、大学を卒業する直前に知ったのだが、彼はどうやら地元の第二地方銀行に就職していたらしい。

いや、立派だ。一応は、東証一部上場企業だ。スゴイ!上場企業勤務の肩書は、ほとんどの労働者が手に入れたいだろう。それを、彼は新卒で手にしてしまったのだ。

 

しかし、意識が高くて「思考は現実化する」と言っていたビジネス君。

果たして、彼の思考は、本当に現実化したのか?

つまり、彼の思考は「第二地方銀行に就職したい」だったのだろうか?

おそらく、違う。彼ほどビジネスに関心があり意識の高い人間が、第二地方銀行に行きたいと願うなんて、まずあり得ない。

きっと、東京に本社がある会社に行きたかったはずだ。

 

やれやれ….。彼は常々、僕に「悪口を言うな。運気が下がる」とか、「マイナスの事ばかり考えていると、その通りになる」と言って来た。

確かに、そうかもしれない。他人の悪口を言っているから、僕はこんなになってしまったのかもしれない。事実、他人の悪口を言っている人は、ストレスが掛かるらしい。

 

しかし、「他人の悪口を言うな」とか、「マイナスの事は考えるな」と言っている君は、どうなのか?

その結果が、第二地方銀行に入る事なのか?僕はここに、強い疑念を抱く。

 

結局のところ、「思考は現実化」しない。現実化するのは、正しい努力をしたうえで思考をした場合のみだ。

適正があるうえに、正しい努力をすれば、だいたいの夢は叶う。思考もある程度は現実化する。

しかし、そもそも何かに対して適性がある事に気付くのが、まず大変だだ。そして、その上で正しい努力をするのは、もっと難しい。大体の人間は正しい努力が出来なくて、挫折してくのだから。

 

僕はビジネス君の事は、まったく嫌いでは無い。彼は僕の事を何と思っていたかは分からないが。

暗くて友達もいないダサい奴だ、と思っていたかもしれない。しかし彼から、そんな態度を感じた事は無かった。

少なくとも、僕は彼と話している時間は楽しかった。大学4年時、既にかなり病んでいた僕の多少の救いになってくれたのも事実だ。すごく感謝している。

 

だから、ビジネス君には幸せに暮らして欲しい。こんな理不尽や不条理にまみれた世の中で、さらに辛いと言われる銀行業界で、どうか潰されること無く、病むことなく、生き残って欲しい。

そんな彼に、一言だけ言いたいのは、他人の悪口をいう事も、たまには大事だという事だ。たまには吐き出さないと、ダメになるぞ。ほどほどに、ガスを抜きながら、健康に生きて欲しい。

そして、自己啓発が、もし彼の心の救いになるなら、それで良いと思う。たまにやる気を出させてくれたりする自己啓発本なら、それは十分に価値があると思う。もしかしたら、自己啓発の意味は、そこにあるのかもしれないから…。

 

だが、やはり、ビジネス君。キミの「悪口を言うと運気が逃げる」とか「思考は現実化する」という考えは、やはりキモイww。

 良い人ぶっているだけではないか。実際、君は就職してから、事務の女の人の愚痴を言っていたではないか。ほら、やっぱり。自己啓発なんて意味ないでしょ?

その時、僕はビジネス君の思考の浅はかさを知った。別に嫌いではないし、君と話した時は楽しかった。

 

だが、思考は現実化しない。これだけである。

 

 

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